なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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ブッダを知りませんか?
キサー・ゴータミーはコーサラ国の都シュラヴァスティーの貧しい家に生まれ、痩せていたことからキサー(痩せた)・ゴータミーと呼ばれた。また、ドウッガタ・クラッサ・ディーター(貧しい家の娘)という舌を噛みそうな名前でも呼ばれたそうだ。恐らくシュードラだったと思うけど、貧しい家の娘なんていくらでもいただろうから、その中でもよっぽど貧しい家だったんだろうね。
そんな彼女も年頃になって同じ村の男と結婚し、かわいい男の子を産んだ。はじめは貧しい家の出であることで軽蔑されていた彼女だったが、男の子を産んでからは皆に大切にされるようになった。幼い頃から貧しさと苦労の連続だった彼女にも、ようやく幸せが訪れようとしていた時、突然この子が死んでしまう。悲しみに沈んでいた彼女に追い打ちをかけるように、今度は旦那さんが死んでしまう。『長老尼の詩』(テーラー・ガーター)には「貧苦なる女にとっては二人の子どもは死に、夫もまた路上で死に、母も父も兄弟も同じ火葬の薪で焼かれました」と書かれている。旦那さんが道端で倒れて死に、両親・兄弟を一緒に火葬にしたというから、コレラとか天然痘とかの流行病で命を失ったのかも知れないね。旦那さんが死んだあとキサー・ゴータミーは二人目の子供を出産したようだが、この子も生まれて早々にこの世を去ってしまう。彼女は半狂乱となり、死んだ子供の遺体を抱いて放心したように、街中をさまよい歩いた。
親にとって、特に母親にとって、一番辛いことは我が子を失うことだ。辛くないお葬式なんてもちろん一つもないけど、親に先立った子供のお葬式がなんと言っても辛い。僕もいくつか経験しているけど、一番辛かったのが子宮頸ガンで亡くなった26歳の女の子のお葬式だ。母子家庭だったんだけど、母親にとってはそれこそ目に入れても痛くないほど可愛がっていた子だったから、お母さんはお葬式の間中泣きじゃくっていた。そしていよいよご遺体を火葬炉に入れる段になって、お母さん半狂乱になって、「自分も一緒に炉に入る」と言ってきかない。本当に飛び込みそうな勢いで、みんなで止めるのに苦労した。キサー・ゴータミーの場合は次から次に身内を亡くし、生まれたばかりの子供まで亡くしたのだから、気が狂わんばかりになったのも当然と言える。
愛児の亡骸を抱いたキサー・ゴータミーは、
「この子を生き返らせる薬を下さい」
と言って、家ごとに頼んで歩いた。人々は
「死んでしまった子に飲ませる薬があるものか」
と言って嘲り笑った。
ある男がこの様子を見て、「この女は子供の死にショックを受けて気が狂ったに違いない。彼女を立ち直らせることが出来るのはブッダしかいない」と考え、彼女にブッダのところへ行って薬を貰うにように勧めた。彼女は言われた通りブッダのもとに行き、
「この子を生き返らせる薬を下さい。この子にまで死なれたら、私は生きていくことができません。どうか、お願いします」と涙ながらに頼んだ。
ブッダは彼女の心を知って、次のように答えた。
「よく来た、ゴータミーよ。それでは、町に行って芥子【けし】の種を2,3粒貰って来なさい。私がその子を生き返らせる薬を作ってあげよう。ただし、その芥子の種はまだ一度も死人を出したことのない家から貰ってきたものでないと駄目だよ」
ちょっと話が逸れるけど、芥子の実って見たことある?そうだね、あんパンに付いてるあのつぶつぶの実がそうだね。七味唐辛子にも入ってる。でも、芥子と言えばあのアヘンの原料だ。イギリスが中国に大量に持ち込んで、アヘン戦争の原因となった麻薬の材料だ。じゃあ、芥子の実を植えてアヘン作っちゃおうかな、なんて悪いこと考えちゃ駄目だよ。食用になってる芥子の種は加熱処理がされていて、発芽しないようになってるからね。
ブッダに死んだ子供を生き返らせる薬を作ってあげると言われて喜んだ彼女は、町へ行って1軒1軒訪ね歩いたんだけど、死人を出したことのない家なんてあるはずはなかった。何軒か歩くうちに、彼女はブッダが自分に何を教えようとしているかがわかった。胸にこみあげてくるものを押さえながら、彼女は町外れの墓地に行き、わが児の亡骸を抱いて言った。
「いとしい子よ、私はお前一人だけが死んだのだと思って取り乱したが、死ぬのはこの世に生をうけた人の定めであった」
彼女がわが子を墓地に葬ってブッダのもとに戻ると、ブッダはこう尋ねた。
「ゴータミーよ、芥子の種は手に入ったか?」
「ブッダよ、もう芥子の種の必要はございません。町中のどの家でも、死人を出したことない家などないことがわかりました。どうか私に安心【あんじん】の道をお教え下さい」
許しを得てブッダの弟子となったキサー・ゴータミーの進歩は速く、やがて覚りの位に達したという。彼女は粗末な衣を着てひたすら修行を続けたということで、尼僧の中で第一人者であるとブッダから認められ、「粗衣【そえ】第一」と言われたそうだ。(つづく)
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