なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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アショーカ王(阿育【あいく】王)
ブッダがマガダ国の都ラージャガハの竹林精舎に滞在していた時のこと、ある朝早く、多くの修行僧をしたがえて托鉢をしていた。
その時、ラージャガハのある町かどで、二人の子供が泥の家を作って遊んでいた。一人はジャヤといい、もう一人はヴィジャヤという名であった。彼らはそこに通りかかったブッダが、たぐいまれな32の優れた特色をもった姿をしているのを見て思わず立ち上がった。ジャヤは「麦こがしをさしあげます」と言って、一すくいの土塊【つちくれ】をブッダの持っている鉢の中に入れて供養の意をあらわし、ヴィジャヤはただ合掌礼拝してブッダに敬意を表した。ジャヤはブッダに土塊の施物をささげてから、「この功徳によって、私は世界を統一する王となり、ブッダに供養できますように」という願いを起こした。
ところで、「麦こがし」って、何だか分かる?。「きな粉」みたいだけど、きな粉は大豆の粉。麦こがしは大麦を炒って挽いた粉だよ。みんな食べたことないだろうな。麦こがしは「はったい粉」とも言って、僕らが小さい頃はおやつ代わりによく食べさせられたもんだ。砂糖を入れて、熱湯をかけて練って食べるんだけど、チベット人の主食になっているツァンパみたいなもんだ。ツァンパは以前チベットに行った時に食べたけど、麦こがしより美味しかった。ただし、熱湯を入れてから手で捏ねるから、火傷しそうなくらいに熱くて、なかなか口に運べなかった記憶がある。
話をもとに戻そうね。ジャヤが未来において王となるべき善根を積んだ時、ブッダは微笑んで、一緒にいたアーナンダにこう語ったという。「アーナンダよ、この子供は土塊の布施という善根を植えたことによって、ブッダの入滅の後100年経った時、パータリプトラの都にアショーカという名の王として生まれ、正義の王、理想の帝王となって、私の遺骨を各地に祀り、84,000のストゥーパを建てて人々を利益するであろう」
こんな前生譚【ぜんしょうたん】(前世の因縁物語)があって、紀元前304年頃アショーカはマウリヤ朝第2代ビンドゥサーラ王の多数の王子の一人として生まれた。成年に達したアショーカはタキシラで起きた反乱を鎮圧して功績をあげ、父王の死で長兄らとの王位争いに勝って即位した。この時、99人の異母兄弟を殺したと言われる。即位後も暴虐な王として恐れられ、王の通った所はすべて焼き払われ草木が1本も生えていない、と言われるほどの暴君だったと伝えられている。そんなアショーカ王にとって転機となったのが、即位8年に行われたデカン高原東北部のカリンガとの戦争だった。カリンガを征服したものの、両軍あわせて数十万の犠牲者を出すという、壮絶な戦いとなった。このことを悔いたアショーカ王は仏教に深く帰依し、征服戦争を放棄すると、仏教の理想を実現するための政策を行った。高校の世界史ではダルマ(法)を理想とする統治を行った、と習ったよね。
アショーカ王は、国民に法を広めるために自ら仏跡へ巡礼に行き、各地で法を説き、石柱や岩壁に法勅を刻んだ。写真の左はブッダ生誕の地ルンビニーの石柱法勅、右はヴァイシャリーの石柱法勅。ほとんどの石柱法勅は倒壊してしまっており、ヴァイシャリーのものだけが唯一立った状態で残っている。
磨崖法勅は辺境地帯に造られたのでなかなか見ることができないが、平成18年にパキスタンのシャーバーズ・ガリのものをようやく写真におさめることが出来た。
また、アショーカ王はブッダ入滅の後に建てられた8つのストゥーパのうち7つから仏舎利【ぶっしゃり】(ブッダの遺骨)を取り出し、新たに建てた84,000のストゥーパに分納したと伝えられている。仏教は「八万四千の法門」なんて言い方もするけど、84,000は「たくさん」という意味で、実際に84,000建てたという意味じゃないよ。
このほか道路や街路樹の整備、宿泊所・井戸の設置、人間や動物の施薬院の創設など、社会福祉事業も行った。アショーカ王はこうした政策を国外にも弘めようとして、アフガニスタン・シリア・エジプト・マケドニアなどに仏教伝道師を派遣したとされているが、残念ながらこれらの地域に仏教が弘まることはなかった。唯一伝道に成功したのがスリランカ。出家した王子マヒンダが派遣され、スリランカは上座部仏教の中心地となり、ここから東南アジアへと仏教が弘まって行った。
アショーカ王自身は仏教徒だったけど、仏教だけでなくあらゆる宗教を平等に保護した。彼が行った「法による政治」とは、慈悲と不殺生の精神で、広い国内に住むさまざまな宗教・生活様式を持つ人々を統合するためのものだったんだね。パレスチナのユダヤ教徒とイスラーム教徒の争い、シリアやイラクにおけるシーア派とスンナ派の争いなど、世界中で宗教の違いから来る紛争が続いているけど、そんな今こそアショーカ王の統治方法を見習ってもらいたいもんだ。
写真はアショーカ王がブッダの初転法輪【しょてんぼうりん】の地サールナートに建てた石柱法勅の柱頭。世界史の授業で習ったよね。4頭背中合わせの獅子の彫刻は、ブッダの教えが四方に行き渡ることの象徴で、現在インドの国章として用いられており、その下の法輪は国旗の紋章として使われている。
また、王の援助のもと、パータリプトラ(現在のパトナ)に5,000人の坊さんが集まり、第3回仏典結集【けつじゅう】が行われたとされるが、詳しい年代はわかっていない。
そんな善政を行ったアショーカ王であったが、晩年その地位を追われ、幽閉されたとも伝えられている。コーサラ国のパセーナディ王、マガダ国のビンビサーラ王、タージ=マハルを建てたムガル帝国のシャー=ジャハン。インドって、こんなんばっかだね。
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