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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴ってまいりましたが、これからしばらくは世界史のミラクルワールドをお届けします。

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ブッダに帰依した人たち その7


ブッダを知りませんか?

カニシカ王(
迦膩色迦【カニシカ】王)

KanishkaCoin3_convert_20141113163715.jpg 

 前回はアショーカ王のお話をしたので、世界史を教えている者としては、どうしても話さなくてはならないということで、今回はカニシカ王。高校の世界史ではクシャーナ(クシャーン)朝最盛期の王さまで、第4回仏典結集を行った、くらいしか教えない。まあ、カニシカ王が発行した金貨の写真は掲載されてるけどね。

IMG_0001_NEW_0002_convert_20141114135231.jpg

 クシャーナ朝についてちょっと説明しとこうね。もともと中国の西、陝西・甘粛地方に住んでいた月氏が匈奴に敗れて敗走、バクトリア地方に大月氏国を建てた。この国の支配下にあったイラン系クシャーナ族が自立して1世紀に建てたのがクシャーナ朝だ。カニシカ王は第4代国王で、在位期間は130~170年というのが有力な説。アショーカ王から約400年ほどあとに登場した王さまだ。中央アジアからガンジス川中流域までを支配して、クシャーナ朝の全盛期を築いた。都はガンダーラ地方の中心地プルシャプラ(現在のペシャワール)。クシャーナ朝はシルクロードの要地をおさえて、ローマとの貿易で繁栄。大量のローマ金貨が持ち込まれ、王さまはこれを鋳つぶして写真のような金貨を発行した。

 カニシカ王は政務のあい間に常に仏典を学び、毎日、一人の僧を宮廷に招いて教えを説かせたそうだ。しかし、同じブッダの教えを説いていると言っても、その僧によって説くところがそれぞれ違う。仏教はすでに20ほどの部派に分かれていたから、まあ当然と言えば、当然なんだけど、王の疑問は深まるばかりだった。
 そこで、脇【きょう】尊者(パールシュヴァ)に質問してみた。
「仏教は源は一つであり、その理に違いはないはずである。どうして、僧侶達の話す内容に違いがあるのか?」
 尊者は答えて言った。「ブッダが世を去ってから長い年月が経ち、弟子たちは分派し、師弟は意見を異にしています。そこで、それぞれの僧が別の意見を持つような結果となったのです。しかし、どの説も皆正しい。修行すれば成果を得ることができる。ブッダが予言されていたが、金でできた杖が折れてばらばらになっても、金という素材は変わらない。教えも多くに分かれてもその内容は変わらない」
「諸部派の教えのうち、私が修行するのにどれが最善だろうか?どうか、尊者よ教えて欲しい」
「諸部派のうち、説一切有部【せついっさいうぶ】を超えるものはありません。王が修行をされたいならば、これに依るのがいいでしょう」
「それなら、その部派の伝承にしたがって、仏典を編集し、解説してください。及ばずながら、私は仏教の興隆に役立ちたいと思います。

 脇尊者は了承し、王は命令を下して、すぐれた仏教僧を招集させた。王は本国のガンダーラで会を開きたいと思ったが、その地は蒸し暑く、不適当であった。また、マハーカッサパがかつて最初の結集を開いたラージャガハの石窟で開催しようとしたが、脇尊者が反対して言った。
「ラージャガハはいけません。かの地は外経を信じる者が多く、とても仏典の編集など出来ません。カシミールこそ土地は肥沃で、物産も豊か、仏典編集にふさわしい土地です」

 
こうして、カニシカ王が主催する仏典の編集会議はカシミールで開かれることになった。いよいよ会議を始めようとしたが、集まった僧の数が多すぎて議論が混乱しそうであった。そこで王は僧たちに言った。
「僧たちのうちで、悟りを開いている者はとどまれ。煩悩をもつ者は去れ」
 王の命令で、多くの僧たちが帰って行った。しかし、まだ人数が多すぎた。王はふたたび命令した。
「学問をし尽くして学ぶべきものの無い人はとどまれ。いまだ学ぶべきもののある人は去れ」
 こうして多くの僧が去ったが、まだ多すぎたので、王はまた命令した。
「聖者の位の3つの認識能力(三明【さんみょう】)と6つの神通力をもつ者はとどまれ。それ以外の者は去れ」
 それでもまだ多すぎたので、命令が下った。
「僧たちの中で。経・律・論の三蔵をきわめ、5つの学問(五明処)を身につけた者だけが残れ。他の者は去れ」
 こうして残った僧が499人いたんだって。これに世友尊者(ヴァスミトラ)を加えた500人の僧が集まって仏典編集の会議を開き、長い時間を費やして討論した結果、ついに完成したのが『阿毘達磨大毘婆沙論【あびだるまびばしゃろん】』だった。これは説一切有部の根本教義を集大成した文献。この時代にすでに大乗仏教運動が起こっていたんだけど、カニシカ王が保護したのは小乗仏教を呼ばれた、部派仏教のほうだったんだね。

 ところで、第4回仏典結集が行われたカシミール地方はカラコルム山脈の麓。紀元前2世紀前より罽賓【けいひん】国が支配していたが、紀元前1世紀にクジラ・カドフィセスに敗れ、クシャーナ朝の支配下に入った。ここで仏典結集が行われたということは、説一切有部の中心だったんだろね。4世紀半ば、9歳の鳩摩羅什が母とともに罽賓国に留学し、3年間、槃頭達多【ばんずだった】に学んだと伝えられているが、恐らく説一切有部を学んだんだろうね。


peshawar_museum-076-w384[1]

 カニシカ王は馬鳴【めみょう】(アシュヴァゴーシャ)を中インドから招き、プルシャプラ郊外にカニシカ伽藍と呼ばれる大塔を建てたそうだ。この大塔の規模の大きかったことは、6世紀の初めにこの地を訪れた中国の宋雲の記録にもあるんだけど、基壇の1片が87メートルというとてつもなく大きいストゥーパだったそうだ。1908~09年にその跡から写真の舎利容器が発掘され、中からブッダの骨片が3つ出て来たそうだ。2006年にペシャワール博物館に行った時にこの舎利容器を見たんだけど、あれはどうもレプリカだったみたいだ。


P1040177.jpgP1040178.jpg

 ところで、写真のコインはシャンカルダールのストゥーパを見に行った時に現地のおっさんから買ったものなんだけど、僕はカニシカ王の発行したものだと信じている。詳しいことが分からないので、知ってる人がいたら是非教えて下さ~いね。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/11/14 17:39 】

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