なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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カニシカ王(迦膩色迦【カニシカ】王)
前回はアショーカ王のお話をしたので、世界史を教えている者としては、どうしても話さなくてはならないということで、今回はカニシカ王。高校の世界史ではクシャーナ(クシャーン)朝最盛期の王さまで、第4回仏典結集を行った、くらいしか教えない。まあ、カニシカ王が発行した金貨の写真は掲載されてるけどね。

クシャーナ朝についてちょっと説明しとこうね。もともと中国の西、陝西・甘粛地方に住んでいた月氏が匈奴に敗れて敗走、バクトリア地方に大月氏国を建てた。この国の支配下にあったイラン系クシャーナ族が自立して1世紀に建てたのがクシャーナ朝だ。カニシカ王は第4代国王で、在位期間は130~170年というのが有力な説。アショーカ王から約400年ほどあとに登場した王さまだ。中央アジアからガンジス川中流域までを支配して、クシャーナ朝の全盛期を築いた。都はガンダーラ地方の中心地プルシャプラ(現在のペシャワール)。クシャーナ朝はシルクロードの要地をおさえて、ローマとの貿易で繁栄。大量のローマ金貨が持ち込まれ、王さまはこれを鋳つぶして写真のような金貨を発行した。
カニシカ王は政務のあい間に常に仏典を学び、毎日、一人の僧を宮廷に招いて教えを説かせたそうだ。しかし、同じブッダの教えを説いていると言っても、その僧によって説くところがそれぞれ違う。仏教はすでに20ほどの部派に分かれていたから、まあ当然と言えば、当然なんだけど、王の疑問は深まるばかりだった。
そこで、脇【きょう】尊。どうして、者(パールシュヴァ)に質問してみた。
「仏教は源は一つであり、その理に違いはないはずである僧侶達の話す内容に違いがあるのか?」
カニシカ王は政務のあい間に常に仏典を学び、毎日、一人の僧を宮廷に招いて教えを説かせたそうだ。しかし、同じブッダの教えを説いていると言っても、その僧によって説くところがそれぞれ違う。仏教はすでに20ほどの部派に分かれていたから、まあ当然と言えば、当然なんだけど、王の疑問は深まるばかりだった。
そこで、脇【きょう】尊。どうして、者(パールシュヴァ)に質問してみた。
「仏教は源は一つであり、その理に違いはないはずである僧侶達の話す内容に違いがあるのか?」
尊者は答えて言った。「ブッダが世を去ってから長い年月が経ち、弟子たちは分派し、師弟は意見を異にしています。そこで、それぞれの僧が別の意見を持つような結果となったのです。しかし、どの説も皆正しい。修行すれば成果を得ることができる。ブッダが予言されていたが、金でできた杖が折れてばらばらになっても、金という素材は変わらない。教えも多くに分かれてもその内容は変わらない」
「諸部派の教えのうち、私が修行するのにどれが最善だろうか?どうか、尊者よ教えて欲しい」
「諸部派のうち、説一切有部【せついっさいうぶ】を超えるものはありません。王が修行をされたいならば、これに依るのがいいでしょう」
「それなら、その部派の伝承にしたがって、仏典を編集し、解説してください。及ばずながら、私は仏教の興隆に役立ちたいと思います。」
脇尊者は了承し、王は命令を下して、すぐれた仏教僧を招集させた。王は本国のガンダーラで会を開きたいと思ったが、その地は蒸し暑く、不適当であった。また、マハーカッサパがかつて最初の結集を開いたラージャガハの石窟で開催しようとしたが、脇尊者が反対して言った。
「ラージャガハはいけません。かの地は外経を信じる者が多く、とても仏典の編集など出来ません。カシミールこそ土地は肥沃で、物産も豊か、仏典編集にふさわしい土地です」
こうして、カニシカ王が主催する仏典の編集会議はカシミールで開かれることになった。いよいよ会議を始めようとしたが、集まった僧の数が多すぎて議論が混乱しそうであった。そこで王は僧たちに言った。
「僧たちのうちで、悟りを開いている者はとどまれ。煩悩をもつ者は去れ」
王の命令で、多くの僧たちが帰って行った。しかし、まだ人数が多すぎた。王はふたたび命令した。
「学問をし尽くして学ぶべきものの無い人はとどまれ。いまだ学ぶべきもののある人は去れ」
こうして多くの僧が去ったが、まだ多すぎたので、王はまた命令した。
「聖者の位の3つの認識能力(三明【さんみょう】)と6つの神通力をもつ者はとどまれ。それ以外の者は去れ」
それでもまだ多すぎたので、命令が下った。
「僧たちの中で。経・律・論の三蔵をきわめ、5つの学問(五明処)を身につけた者だけが残れ。他の者は去れ」
こうして残った僧が499人いたんだって。これに世友尊者(ヴァスミトラ)を加えた500人の僧が集まって仏典編集の会議を開き、長い時間を費やして討論した結果、ついに完成したのが『阿毘達磨大毘婆沙論【あびだるまびばしゃろん】』だった。これは説一切有部の根本教義を集大成した文献。この時代にすでに大乗仏教運動が起こっていたんだけど、カニシカ王が保護したのは小乗仏教を呼ばれた、部派仏教のほうだったんだね。
ところで、第4回仏典結集が行われたカシミール地方はカラコルム山脈の麓。紀元前2世紀前より罽賓【けいひん】国が支配していたが、紀元前1世紀にクジラ・カドフィセスに敗れ、クシャーナ朝の支配下に入った。ここで仏典結集が行われたということは、説一切有部の中心だったんだろね。4世紀半ば、9歳の鳩摩羅什が母とともに罽賓国に留学し、3年間、槃頭達多【ばんずだった】に学んだと伝えられているが、恐らく説一切有部を学んだんだろうね。
カニシカ王は馬鳴【めみょう】(アシュヴァゴーシャ)を中インドから招き、プルシャプラ郊外にカニシカ伽藍と呼ばれる大塔を建てたそうだ。この大塔の規模の大きかったことは、6世紀の初めにこの地を訪れた中国の宋雲の記録にもあるんだけど、基壇の1片が87メートルというとてつもなく大きいストゥーパだったそうだ。1908~09年にその跡から写真の舎利容器が発掘され、中からブッダの骨片が3つ出て来たそうだ。2006年にペシャワール博物館に行った時にこの舎利容器を見たんだけど、あれはどうもレプリカだったみたいだ。
ところで、写真のコインはシャンカルダールのストゥーパを見に行った時に現地のおっさんから買ったものなんだけど、僕はカニシカ王の発行したものだと信じている。詳しいことが分からないので、知ってる人がいたら是非教えて下さ~いね。
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