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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴ってまいりましたが、これからしばらくは世界史のミラクルワールドをお届けします。

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ブッダのことば その7




ブッダを知りませんか?

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苦行の否定

 魚の肉ばかり食べることも、食物を断つことも、裸のままでいることも、髪を剃ることも、髪を結うことも、汚物にまみれることも、ごわごわした毛皮をまとうことも、火を用いた儀式を営むことも、不死を得るために多種多様な苦行を行い、讃歌や奉献を捧げ、季節に応じた犠牲を執行することも、疑いを乗り越えていない人間を浄化することなどできはしないのだ。
『スッタニパータ』249


 

 宗教の世界には、さまざまな修行者が存在する。僕の属する日蓮宗でも寒中100日間の大荒行があり、天台宗では千日回峰行がある。ブッダの時代にも、そうした人物が数多くいて、修行を実践していた。ブッダ自身も、肉体を徹底して痛めつける苦行を実践したとされる。いつも僕が使っているブッダの像はパキスタンのラホール博物館にある苦行像で、苦行の果てにすっかりやせ細り、骨だけになったブッダの姿を形にしたものだ。

 だが、ブッダは苦行によっては悟りの境地に達することができないと認識したといわれる。そして、菩提樹の下に座り、穏やかな瞑想によって悟りを開いたとされる。

 うえにあげた言葉は、そうしたブッダの経験が反映されている。苦行よりも重要なのは、周囲に対する不信の念、疑いを克服することなのだ。

 いま読んでいる植木雅俊先生の『思想としての法華経』に面白いエピソードが載っていたので、紹介しておこう。コーサラ国の都サーヴァッティー(舎衛城)にスダッタという長者がいた。あの祇園精舎をブッダに寄進した長者だね。そのスダッタの女召使いにプンニカーという名の娘がいた。彼女の仕事は水汲みで、寒い日も川に入って水を汲んでいた。ある日のこと、河の畔を歩いていると、一人のバラモンの行者が寒さを我慢して沐浴をしていた。

 プンニカーが何をしているのか尋ねると、バラモンの行者は、「あなたは知っていてそんなことを聞いている。私は、水につかることによって過去世の悪業を流し去っているのだ」と答えた。プンニカーは、「もしそうであるのなら、魚や、亀、蛙、鰐などのほうが生涯、水につかっているのだから遙かに解脱していていいはずではないですか?」と矛盾を突いた。さらに、「水には、これは悪業、これは善業といった判断力があるんですね」と皮肉り、「せいぜい風邪をひかないように」と言って立ち去ろうとした。そこで、バラモンの行者は目が覚めて、ブッダの弟子になることを申し出たそうだ。

 思わずクスッと笑ってしまった。このエピソードにはブッダが苦行を否定したということと、もう一つ大事なことがある。それは、召使いの娘さんがブッダの教えをきちんと理解していたということだ。ブッダの弟子にはこうした女性がたくさんいたんだね。


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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2015/01/03 11:41 】

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