なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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自らの嘆き悲しみ、貪りの思い、そして憂い悩み。自らの幸福を追い求める者は、自らの力でそうした矢を引き抜かなければならない。
『スッタニパータ』592
昨日、北海道に住む従兄弟の奥さんからの手紙で、2カ月前に息子さんが自ら命を絶ったという知らせを受けた。従兄弟といっても僕と二回りも年が違っており、3年前に亡くなっている。亡くなった息子さんは56歳。昨年の9月に家内と二人で従兄弟の墓参りに行った時には、にこやかに出迎えてくれ、自殺するような気配はまったく感じられなかった。
コーヒー店を一人で経営していたが、そのストレスから鬱病になったことが原因らしいが、詳しいことはわからない。遺書にはみんなへの感謝と詫びを書き、恨み言は一つも書かず、最後には〝おやじのもとへ〟と書かれていたそうだ。3年前に夫を亡くし、今また長男を自殺というかたちで失った母親の気持ちを考えると、胸がつまる思いだ。
ブッダは自殺についてどう考えていたのだろうか。『サンユッタ・ニカーヤ』にヴァッカリの自殺の話が出てくる。長者ヴァッカリは病の床に伏し、強い痛みに苦しめられていた。ヴァッカリの死期が近づいたことを知ったブッダは、使いを遣わして「ヴァッカリよ、恐れるな。おまえの死は罪に汚れてはいない。罪なくして臨終を終えるであろう」と告げ、その後ヴァッカリは刀で自殺した。これを読む限り、ブッダは自殺を容認していたようだ。
『スッタニパータ』に自殺に関する記述がないか探したが、見あたらなかった。やむなくあげたのが上に詩句だ。ブッダはつぎつぎに生まれてくる不幸の原因は、嘆き悲しむこと、貪りの心(渇望)、そして憂い悩むことだという。この3つをブッダは矢にたとえた。そしてこの矢は自らの力で抜くしかないのだと。
生きることについても死ぬことについても、誰も自分を助けてはくれないのだという現実を、ブッダは指摘している。しかし、子を失った母は、なぜ助けてやることが出来なかったかと嘆き、自らを責め、苦しむ。死の道を選んだ人にはそうしなければならない事情があっただろうが、それによって悲しむ人が一人でもいたら、自殺はすべきではないと僕は思う。
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