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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴ってまいりましたが、これからしばらくは世界史のミラクルワールドをお届けします。

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ブッダ初転法輪の地サールナート

2月23日(火)
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 午後1時40分ホテルを出発し、2時サールナートに到着。サールナートはブッダの時代には鹿野苑【ろくやおん】と呼ばれていた。名前のとおりたくさんの鹿がいたんだろうけど、「仙人の集まるところ」とも呼ばれていて、たくさんの修行者が集まっている場所だった。 だから、現在でも仏教徒だけではなく、ヒンドゥー教徒やジャイナ教徒の巡礼地になっている。
 
 最初に訪ねたのはチョーカンディー・ストゥーパ (迎仏塔) 。上部の八角形の塔は1588年にムガル帝国のアクバル帝が父フマユーン帝のサールナート訪問を記念して建てたもんだそうで、仏教とは何の関係ない。

 
ブダガヤの菩提樹の下で悟りを開いたブッダは、自分の悟りの内容はあまりにも難しくて理解できる人はいないだろうから、このまま死んでしまおうと考えた。それだと仏教は後の世に伝わることはなかった。これを救ったのがブラフマー神(梵天)。ブラフマー神が「願わくは憂いに沈み、生死に悩める衆生を導きたまえ。起【た】て、勇気ある者よ。世間に遊行したまえ。法を説きたまえ」って、3回お願いした。これを梵天勧請と言うんだけど、それで、ようやくブッダは布教する決心をしたんだ。
 
  さて、ブッダは説法をする決心はしたが、最初に誰に説くかが問題だ。なにせ地球上でブッダだけが知る深い悟りの内容なので、普通の人だと理解できるわけがない。思いついたのが、かつての先生であったアーラーラ・カーラーマだ。ところが、先生は7日前に亡くなっていました。あ~ら~ら、残念。次に思いついたのが、やはりかつての先生であったウッダカ・ラーマプッタ。ところが、またまた残念なことに、この先生も昨日の晩に亡くなっていた。あとブッダが知っている人で、ブッダの悟りを理解できそうな人というと、ブッダとともに苦行にあけくれた5人の仲間しかいない。彼らはブッダが苦行をやめた時に、「あいつは苦行を放棄した。あいつは堕落者だと」と、ブッダのもとを去り、当時は鹿野苑にいた。そこでブッダはブダガヤから300キロも離れた鹿野苑に足を進めたというわけだ。恐らく歩いて10日ほどかかったんだろうね。

 
その5人がブッダを迎えたところに建つのがチョーカンディー・ストゥーパ だ。さて、鹿野苑にいた昔の修行仲間だけど、コンダンニャ、バッディヤ、ヴァッパ、マハーナーマ、アッサジの5人だ。ブッダが遠くのほうからやって来るのを見つけた5人は、「おいおい、堕落した奴がやって来たぞ。努力をやめ、贅沢に走った奴なんかに挨拶なんかするなよ。迎えに行くんじゃないぞ」と話し合った。ところが、どうだろう。ブッダが近づいて来ると、5人はじっとしていられなくなり、いそいそと立ち上がると、ブッダのもとへ走り寄って、うやうやしく礼拝してブッダを迎えたそうだ。ブッダがよっぽど凄いオーラを発していたんだろうね。

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 チョーカンディー・ストゥーパ から800メートルほど離れたところにサールナート僧院跡があり、広さがなんと16,000坪。東京ドームよりもやや広め。サールナート僧院跡の中でもひときわ目を引くのが、高さ34メートルのダメーク大塔。グプタ朝時代の5世紀に建てられたもののようだが、イスラーム教徒の破壊により痛ましい姿になっている。ダメーク大塔の建つ場所こそブッダが5人の修行者に初めて説法した場所と伝えられている。車輪を転がすようにブッダの教えが弘まって行くということで、ブッダが説法することを「転法輪」といい、その初めだから、これを「初転法輪【しょてんぼうりん】)と言う。

 5人の修行者の中でブッダの説かれたことを最初に理解したのがコンダンニャだ。「生起するものはすべて消滅するものである」という、穢れのない真理を見る眼が生じたそうだ。この時、ブッダは大喜びして、「コンダンニャが判った、ああコンダンニャが判った」と感嘆の言葉を発したそうだ。「判った」は「アンニャータ」と言うんで、このあとコンダンニャはアンニャータ・コンダンニャと呼ばれることになった。こうして、まずコンダンニャがブッダのもとで、受戒し出家した。これにバッディヤとヴァッパが続く。あとのお二人さん、マハーナーマとアッサジは、なかなか理解できなかったみたいだ。そこで、先に理解した3人が町へ托鉢に行って食べ物をもらって来て、その間にブッダがマンツーマンで二人を教える、という日々が続いて、ようやく二人もブッダの教えを理解したということだ。5人の修行者はブッダからさらなる教えを聴き、執着がなくなり、もろもろの煩悩をコントロールすることができる阿羅漢【あらかん】となった。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者をアルハットというけど、これの漢訳が阿羅漢だ。

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 ダメーク大塔の周りをお題目を唱えながら、右繞【うにょう】する。右繞というのは、仏像なんかの周りを時計回りに廻る仏教の儀式のこと。

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 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経………」とお題目を唱え、右繞する。また、この地を訪ねることが出来た喜びに、自然と涙がこぼれる。

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 大塔を見上げながら歩いていたから下を見ていない。
ん、何かに蹴躓いたと思ったら、ここにもぐうたらな犬。こらっ、邪魔だどけ。 踏んづけちゃうぞ。

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一人の少年が何かを欲しそうな顔でついてくる。僕、いくらついて来ても、何もあげないよ。おじさん、ケチだから。

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東晋の僧法顕【ほっけん】は『仏国記』に、ここに僧院があったことを記し、唐の僧玄奘【げんじょう】は『大唐西域記』に、鹿野伽藍【がらん】は8つに分かれていて、1,500人の僧が学んでいるのを見たと伝えている。その伽藍はイスラーム教徒に破壊されてしまったんだけど、1905年から発掘されて、現在は遺跡公園になっている。 

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 奉献ストゥーパが多数建てられており、往事を忍ぶことが出来る。

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 ミャンマーの参拝団かな、熱心にお経を唱えている。8年前に来た時にはほとんど人がいなかったんだけど、巡礼する人が増えてきているみたいだね。(つづく)

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テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【 2016/05/09 17:44 】

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