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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダ最後の旅ーヴァイシャリー①

2月26日(金)

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 今回の旅に一冊の本を持ってきた。僕の敬愛する中村元先生が、『大パリニッバーナ経(大般涅槃経【だいはつねはんぎょう】』を翻訳された『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)だ。ブッダの生涯が神格化された文献がほとんどなんだけど、この経典だけは歴史的も信頼度が高く、ブッダが最後にたどった旅の道のりが、詳しく描かれている。

 この経典は「あるときブッダは王舎城の鷲の峰におられた」で始まる。王舎城の鷲の峰は、
ラージャグリハの霊鷲山のこと。昨日僕らが登ったお山だ。80歳を超えて身体の衰えがひどく、自分の死期が近いと感じたブッダは、長年従者として従えたアーナンダをはじめ数人の弟子とともに、この山から生まれ故郷カピラヴァットゥに向かい最後の旅に出た。

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 ラージャグリハからお涅槃の地・クシナガラまでは約350キロ。7回もインドに来ているのに、ヴァイシャリーを訪ねたのは1度だけ。いつもは一気にクシナガラまで行ってしまうんだけど、今回のインドの旅はひょっとすると僕達にとっても最後になるかも知れないということで、今まで訪ねたことのない所にも寄りながらクシナガラに向かう。

 
80歳という高齢のブッダは、この距離のほとんどを徒歩で踏破されたんだけど、僕たちは横着にも豪華なバスで移動する。

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 とは言っても、日本とは道路事情が違うので、何があるか分からない。ともかく、午前7時にしっかりと朝食をといただく。純和風(?)の食事はこれが最後。お粥に永谷園の「海苔茶漬け」をかけたもの、卵巻き、ほうれん草のおひたし、焼き茄子、海苔に梅干し、たくわんまで付いている。しっかりお粥のお代わりもして、午前7時50分にホテルを出発。

 霊鷲山をおりたブッダは北に歩き、穏やかな農村ナーランダー村に着くと、マンゴー林で過ごし、集まった修行者に説法をされた。(昨日のところでも書いたけど、中村先生によれば、この話は後世に追加されたもの)
 
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 さらに北に進んだブッダは、ガンジス川南岸の小さな船着き場パータリ村に立ち寄られた。この頃は小さな村だったパータリ村は後にマウリヤ朝の首都パータリプトラになる。パータリ村での説法を終えたブッダは、満々と水をたたえたガンジス川を、数時間かけて小舟で渡り、コーディ村に入られた。ブッダが渡河された詳しい場所は分かっていないんだけど、当時の人はブッダが渡った場所を「ゴータマの渡し」と呼んだ。

 僕らはここまでバスで1時間30分。舟に乗ることはなく、マハトマ=ガンジー橋を渡った。マハトマ=ガンジー橋は1982年に架けられた全長5,850メートルの橋。この橋の上下流70キロに橋はなく、重要な交通路となってるんだけど、架けられてから30年以上も経ち、あちこちガタがきており、ただいま改修中。

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 バスの車窓から。僕が眺めるのは景色ではなく、人。特に女性。いや~、美しいサリーですな。鼻の下を長~く伸ばしているうちに、ちょうど正午にヴァイシャリーのホテルに着いた。

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 まずはビール。今日の銘柄はTHUNDERBOLT。パンジャーブ州のマウント・シバリック・ブリュワーズ社製。サンダーボルトというと007のサンダーボルト作戦を思い出すけど、サンダーボルトって落雷のことだよね。名前の通り、痺れるほど不味い。キングフィッシャーが飲みたい。

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 料理はよく分からない。

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 お腹もふくれたところで、午後2時ホテルを出て、宮殿跡へ。ヴァイシャリーはヴァッジ国の都。商業都市として大いに繁栄し、ジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラの生誕地としても知られ、また『維摩経』の主人公である維摩居士【ゆいまこじ】(ヴィマラ・キールティー)はこの町の大富豪だった人だ。

 実はこのヴァッジ国は「ブッダ最後の旅」の冒頭部分に出てくる。ヴァッジ国を征服してガンジス川北岸も支配下に入れようとしたマガダ国のアジャータサットゥが、大臣を霊鷲山に使わしてブッダに意見を求めた。この時、ブッダは直接大臣の質問に答えず、かたわらにいたアーナンダに7つの質問をする。

 ①ヴァッジ族の人々はよく集会を開き、正しいことを論じているか?
 ②君主と臣下が協力し、身分の上下をわきまえお互いに尊敬しあっているか?
 ③法律を遵守し、礼節を重んじているか?
 ④父母に孝行を尽くして目上の者を敬っているか?
 ⑤部族の霊域を敬い、祖先の供養をよくしているか?
 ⑥男女間の礼節をよく守っているか?
 ⑦尊敬されるべき出家者たちに正当な保護と支持を与えているか?

 アーナンダがすべての質問に「はい、その通りです」と答えると、ブッダは「ヴァッジ族がこの7つの法を守っている間は、彼らはいっそう繁栄し衰えることはないだろう」と、戦争を暗に否定、アジャータサットゥに侵略を諦めさせた。

 ヴァッジ国はヴァッジ族やリッチャヴィ族など8つの部族が連合して形成していた共和政国家。これをサンガと呼ぶんだけど、仏教教団もサンガ。ブッダがあげた「衰亡しないための7つの法」は、国家ばかりでなく仏教教団が衰亡しないための教えでもあったわけだ。

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 午後2時20分、ブッダ・レリック・ストゥーパ跡へ。

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 クシナガラで亡くなり荼毘にふされたブッダの遺骨・遺灰は8つに分けられ、仏舎利としてそれぞれの国の王によって持ち帰られ、マガダ国、ヴァイシャリー、クシナーラー、そしてブッダの故郷カピラヴァッツなどにはストゥーパが建立された。ブッダ・レリック・ストゥーパはそのうちの一つだと考えられている。トタンの変な屋根がついてるけど、ストゥーパはこんな形と大きさだったんだよ、ということを示している。
 
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 屋根の下はストゥーパの基壇が残されており、ここから仏舎利の入った容器が発掘されており、パトナ博物館に行けば見れるそうだけど、残念ながら、そんな時間はない。


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 商業都市として避けたヴァイシャリーも今は畑と田んぼがどこまでも広がる長閑な農村地帯だ。


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昔の日本の農村風景に似ており、何となく心が和む。

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 農作業に励むご夫婦。頑張ってください。

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 たわわに実るバナナ。庭先にバナナの木があるってのは、何とも羨ましい。

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 真ん中にぶら下がっている赤いものがバナナの花。

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 20分ほど歩いて僧院跡へ。


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 僧院跡にはマウリヤ朝のアショーカ王の建てた石柱碑が今でもしっかりと立っている。ブッダの誕生地ルンビニーや初転法輪の地サールナートのアショーカ王柱は前に紹介したけど、折れてしまってたよね。アショーカ王柱は30本ほど建てられたそうだけど、インドは地震国だからほとんどが倒れてしまっていて、ここヴァイシャリーのものだけが完全な形で残っている。頂上部にはライオンの像が乗っていて、その顔が向いている方角に立派なストゥーパがあり、土地の人々はアーナンダのものと伝えている。
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 このストゥーパの裏手に沐浴するための池があるんだけど、今回撮り忘れたんで、この画像はトラベルサライさんからの借り物。伝説ではお猿さんが掘ってブッダに寄進したとされている。重閣講堂はこの池のほとり、大林のうちにあったとされ、大林精舎とも言われる。前に話したマガダ国の都ラージャガハの霊鷲山にあった霊鷲精舎とビンビサーラ王が寄進したた竹林精舎、208日に訪れる予定の有名な祇園精舎、そしてヴァイシャリーのこの大林精舎とアンバパーリーが寄進したという菴羅樹園精舎【あんらじゃゆえんしょうじゃ】。この5つの精舎をインドの5大精舎と言うんだけど、ヴァイシャリーに2箇所もあったことで、ヴァイシャリーが仏教にとっていかに重要な場所だったかが分かるよね。


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 この僧院跡の周りにも畑が広がっていて、黄色い花が咲いている。何の花か分かる?これ芥子、マスタードの花。生まれて初めて見たけど、綺麗なもんだ。
 さあ、次は今の話にで出てきたアンバーパーリーの生家跡に向かう。(つづく)


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【 2016/12/07 17:06 】

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