なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴ってまいりましたが、定年退職した途端に喉頭蓋炎で入院。しばらくはその闘病記を綴っていきます。

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ブッダ最後の旅ーチュンダの村


2月27日(土)
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 ケサリア仏塔の見学を終え、1時間半ほど走ったところで国道28号線の本通りにバスを停め、歩いてファジルナガル村に向かった。ファジルナガル村はブッダの時代はマッラ国のパーヴァー村。ブッダに最後の食事を差し上げたチュンダが住んでいたとされ、通称チュンダ村と呼ばれる。

 バスを降りたところに映画館。バイクが何台か停まっているし、屋台が出てるから、ただいま上映中のようだ。

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 パーヴァー村にたどり着いたブッダは、当地の鍛冶工であるチュンダのマンゴー林に留まった。マンゴー林なんか持ってるくらいだからチュンダはかなり裕福だったんだろうね。鍛冶工と言っても金銀細工をする職人も鍛冶工だし、いわゆる村の鍛冶屋みたいな鍬や鋤を作っているのも鍛冶工だけど、いずれにしても金属を加工する人はインドのカースト社会では最下層のシュードラで、卑しい身分とされていたそうだ。実は僕のご先祖さんは羽咋の滝谷の出身で屋号を「かんじや」と言うんだけど、これは鍛冶屋ということで、僕はひょっとしたらチュンダの生まれ変わりかも知れない。(ほな、アホな)

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 村の鍛冶屋さんなんて日本ではもうほとんどいないだろうけど、インドには今でも村の鍛冶屋がいた。写真はこのあとクシナガラで出会った鍛冶屋さん。

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 手回しの鞴【ふいご】はブッダの時代には無かったかも知れないけど、その他の道具はブッダの時代とあまり変わってないんだろうね。

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ガード下の屋台

 チュンダはブッダが自分のマンゴー林に滞在していると聞き、飛んできて挨拶し、ブッダの法話を聴いた。感激したチュンダは明朝、修行僧とともにブッダを食事に招待したいと申し出て、ブッダはこれを承認された。はりきったチュンダはたくさんのご馳走を作り、ブッダの一行を迎えた。ところが、特別に出されたキノコ料理を見たブッダが、「そのキノコ料理は私が食べよう。キノコ以外の料理をすべての弟子たちに与えなさい」と言ったというんだ。なんだ、ブッダは美味しいキノコ料理を独り占めしたんだ、なんて思っちゃいけないよ。これにはちゃんと理由があるんだけど、それはもうちょっと後でね。

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映画のポスター HAUNTED RESORT

 「さて尊師が鍛冶工のチュンダの食物を食べられたとき、激しい病いが起こり、赤い血がほとばしり出る。死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。
 さて尊師は若き人アーナンダに告げられた、「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーに赴こう」と。
「かしこまりました」と、若き人アーナンダは答えた。


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ヒンディー語のポスター 読めない

 ブッダが食べたのは毒キノコだったんだね。「赤い血がほとばしり」というリアルな表現をしているけど、そうとう激しい下痢と下血があったようだ。もちろんチュンダに悪意があったわけではなく、間違って毒キノコが混入してしまったんだと思うけど、腑に落ちない点が一つある。それはブッダが毒キノコだと判っていたんだろうということ。だって、キノコ料理を独り占めして、弟子達には食べさせていないもんね。でも、やっぱおかしいな~。毒キノコと判っていたら、食べなきゃいいもんね。経典編集者はブッダに神通力があったから、最初から毒キノコだと判っていて、それでも敢えて食べたみたいに書いてある。でも、実際には知らずにブッダが最初に箸をつけ、一口食べて毒キノコだと判ったんだと思う。だから、弟子達には食べさせないようにして、なおかつチュンダには残ったキノコ料理を穴に埋めるように命じている。
 
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村のメインストリート
 
 実はこの毒キノコと訳されている物の原語はスーカラマッダヴァ。これ直訳すると「柔らかい豚肉」なんだ。じゃ、なんで毒キノコと訳してるのか、ってことだ。ブッダが豚肉を食べるはずがないという先入観だろうね。なかにはトリュフみたいに豚が好むキノコのことじゃないか、という苦しい解釈をしている学者さんもいるみたいだけどね。ブッダは菜食主義者で肉は食べなかったか?答えはNOだ。供養された食事は断ってはいけない。だから、ブッダに供養するために殺された牛や豚でない限り、ブッダは断わることなく、食べていたんだ。だから、僕はここは素直に豚肉でいいと思う。しっかり調理してなくて、サルモネラ菌でもいたんじゃないかな。そうすれば、チフスということも考えられる。

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 またまた映画のポスター。DHARA 302。さすがボリウッドの国ですね。日本じゃもう映画のポスターなんて町中で見ることないもんね。

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 さあ、チュンダの話をしているうちに、チュンダの家があったという場所に到着した。バスを降りて歩くこと10分位かな。アショーカ王が建てたと言われるストゥーパの跡が残っているだけで、あとは何もない。ここに本当に2500年前にチュンダが住んでいたという証拠はない。でも、ブッダの時代から250年後のアショーカ王の時代まで、この地にチュンダが住んでいたという話が伝わっていたのかも知れない。

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 奥村君の説明を聞いていると、ぞくぞくと若者達が集まってきて、一生懸命に説明に耳を傾けている。あんたら、日本語わかるんかい?アンバパリーの村では裸足の子供達だったけど、この村で集まって来た連中は年齢が高く、全員靴を履いている。おまけに全員が男。なんだか気味が悪いや。しっしっ、あっちけ行け。

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 誰一人帰りそうにないんで、僕のほうが動いた。ストゥーパの跡地に登って、村全体の風景を眺めてみた。ここからクシナガラまでは約20キロ。出血の止まらないブッダの体力は、みるみるうちに落ちてゆく。臨終の地クシナガラへの道は最後の力を振り絞っての苦しい旅となった。(つづく)

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【 2017/01/11 16:22 】

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