なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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2月27日(土)
12時40分、カクッター河のたもとに到着。国道沿いにバスと停めて、川岸に降りてみた。カクッター河はブッダが最後に沐浴された河だ。
下痢と下血によりみるみるうちに体力の衰えたブッダにとって、臨終の地クシナガラへの道は最後の力を振り絞っての苦しい旅となった。広大なインドの野を、太陽の光にあぶられ、土埃を頭から浴び、身をひきずるように歩んでいくブッダの姿は、凄惨である。
ある町では道の脇に立ち止まり、大樹のもとに身を寄せると、
「さあ、アーナンダよ。お前はわたしのために外衣を四つ折りにして敷いてくれ。わたしは疲れた。わたしは坐りたい。」と言って、崩れるように倒れ込んでしまう。
「さあ、アーナンダよ。わたしに水をもって来てくれ。わたしは、のどが渇いている。わたしは飲みたいのだ。」
こう言われたアーナンダは「たった今、500台の車が通りすぎたばかりで、河の水は濁っていてとても飲めません」と答えたのだが、ブッダは再三にわたり水が飲みたいと要求する。まるで駄々っ子のようだ。アーナンダは仕方なく水を汲みに行くのだが、不思議なことにすでに水は清く澄んでいた。ブッダはアーナンダが汲んできた水を美味しそうに飲み、口の渇きをいやした。
「末期の水」って、知ってる?脱脂綿やガーゼを割り箸の先につけて、水を含ませて、亡くなった人の口を潤してあげることだけど、ブッダのこの故事がもとになってるんだよ。
ブッダがクシナガラに間近い道の途中の樹の下で休んでいると、マッラ族の人ブックサという者が来て、ブッダに法話を求めた。この人はアーラーラ・カーラーマの弟子だ。アーラーラ・カーラーマって覚えてる?出家したシッダールタが最初に教えを求めた仙人だったよね。ブックサはブッダの教えに感銘し、終生帰依する在俗信者となることを誓い、ブッダに2枚の金色に輝く絹衣を差し上げた。ブッダはその1枚をアーナンダにあげちゃう。
タイ ワット・ポーの涅槃仏
ブックサが去ってから、アーナンダが金色の衣をブッダに着せかけたところ、その衣は輝きを失ったように見えたというんだ。と言うことは、ブッダの身体のほうが輝いて見えたということで、ブッダの身体は金色であると考えられるようになったんだ。タイやインドの仏像は金ピカピカで、日本人から見ると何となくけばけばしくて違和感がある。だけど、われわれが慣れ親しんでいる日本の仏像は長い年月を経て渋い色になったんで、 作られた時には金ピカだったんだよ。
「さてアーナンダよ。今夜最後の更【こう】にクシナーラーのウパヴァッタナにあるマッラ族の沙羅【さら】林の中で二本並んだサーラ樹の間で修行完成者の完全な死が起こるであろう。
さあ、アーナンダよ。われわれはカクッター河へ行こう。」
そこで尊師は多くの修行僧とともにカクッター河に赴いた。赴いてカクッター河につかり、浴し、また飲んで、流れを渡り、マンゴー樹の林に赴いた。赴いてから若き人チュンダカに告げた。
「チュンダカよ。どうか、お前はわたしのために外衣を四つに折って敷いてくれ。チュンダカよ。わたしは疲れている。わたしは横になりたい。」
写真はカクッター河のほとりに建てられた案内板。『大パリニッバーナ経』の赤文字で示した部分が英文で記してある。
仏像も安置されていて、それなりにこの場所が仏跡として整備されている。でもね、最初のカクッター河の写真はゴミのなるべく無いところを撮したもの。
実はゴミだらけ。まあ、雨季になれば水量が増してゴミも洗い流されてしまうんだろうけど、日本人を初めほとんどの仏教徒は乾季に仏跡をめぐるんだから、もうちょっと何とかしてよ。
その上、網で魚を捕ってる。仏跡地で殺生するのは止めて欲しいな~。
話がちょっと逸れてしまった。ブッダが外衣を敷いてくれと頼んだチュンダカは、キノコ料理を供養したチュンダとは別人だよ、ややこしいね。チュンダカの名前でチュンダを思い出したのか、ブッダはアーナンダに、
「おそらく人々は鍛冶屋のチュンダに向かって、お前が出した供養のキノコ料理を食べてブッダがこの世を去ったのだと非難し、チュンダを苦しめるであろう。
アーナンダよ、最後の供養をささげたチュンダには大いなる功徳ありと師より聞いていると、お前の口からチュンダに言ってくれ。わたしの生涯で他の供養の食物よりはるかに優れた最上の供養の食物が二つあった。その二つとはスジャータの供養とチュンダの供養であったと。そうすればチュンダの悔いる心は晴れるであろう。」と告げた。
「与える者には、功徳が増す。身心を制する者には、怨みのつもることがない。善き人は悪事を捨てる。その人は、情熱と怒りと迷妄とを滅して、束縛が解きほごされた」と。
後にアーナンダからブッダの言葉を聞いたチュンダは、その優しい思いやりに涙を流したに違いない。
この後、われわれは昼食を済ませてから涅槃堂に参拝したんだけど、その後でブッダ最後の説法地を訪ねた。7回目のインドで今回初めて訪ねた場所。
最近整備されたようで、真新しいお堂が建っている。
お坊さんではなく、管理人さんがお出迎え。
とりあえず、仏像の周りを右繞【うにょう】してお詣り。右繞は時計回りで仏の周りを回ることで。われわれは普段の法要でも3回右繞する。
でも、なんか感慨が涌いてこない。というのは、『大パリニッバーナ経』ではカクッター河からブッダは直接涅槃の地に向かったことになっており、どこにも立ち寄っていない。そうすると、ここはどこ?いつ、ここでブッダが説法したの?という疑問がわいてしまう。
それと、もう一つ。祠にお堂に安置されている仏像が降魔印だということ。前々回お話ししたけど、降魔印【ごうまいん】はブッダが悟りを開いた時、悪魔がこれを邪魔しようとしたのを降伏させた時の印相だ。ここは涅槃の地なので、この印相はおかしい。誰が置いたのか知らないけど、なんかな~。というわけで、この空間にブッダがいたとは思えなかったわけです。疑い深くてすんませ~ん。(つづく)
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