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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダを訪ねてー祇園精舎と舎衛城②

2月28日(日)

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 午後3時25分、サヘート遺跡に到着。案内板にはJETAVAN、ジェータ園と書かれている。ここがあの有名な祇園精舎の跡で、19世紀半ばにイギリスの考古学者アレクサンダー・カニンガムによって考古学的に証明されている。この地はネパールとの国境に近いオウドの北方約93キロのところにあり、ガンジス川の支流ラプティ川の旧河道に接し、ヒンドゥスタン平原のただ中にある。現在は10万平方メートル(東京ドームの約2倍)もある歴史公園として整備されている。

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 今日は日曜日なんで参詣者で溢れかえっている。なかなか順番も回ってきそうもないんで、歩きながら祇園精舎の話をしよう。



 ブッダの布教活動は初めマガダ国のラージャガハ(王舎城)が中心だったけど、やがて西北にあるコーサラ国にも広がっていった。マガダ国はガンジス川の中流あたりに位置し、コーサラ国はガンジス川の支流ラプティ川の流域にあり、都はシュラヴァスティーといった。漢訳仏典では舎衛城と訳す。スダッタはこのシュラヴァスティーの大富豪だ。スダッタは「よく布施をする人」という意味なんだけど、その名の通りボランティア精神にあふれた人で、貧しい人々や身寄りのない人に惜しみなく施しをしたので、「身寄りがない孤独な者に食事を支給する長者」という意味で、アナータピンディカ(給孤独【ぎつこどく】)長者とも呼ばれた。 

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 スダッタは商売で成功した新興の豪商で、マガダ国の大富豪の妹を嫁さんにしていたので、よく商用でラージャガハを訪れていた。ある時、スダッタがラージャガハに来てみると、義理の兄ちゃんが忙しそうにあたふたと動き回っている。理由を聞くと、竹林精舎におられるブッダとその教団の修行僧たちをご招待するのに忙しいのだと言う。

 スダッタは、ブッダという言葉を聞いただけで驚いてしまう。近頃誰一人知らぬ者はいないというほど高名なブッダがこの町におられると知ったもんだから、落ち着いてはいられない。「私もこれから出かけて行って、すぐにでもお目にかかりたい」と言うのを、義理の兄ちゃんに「明日の朝にしなさい」と止められちゃった。

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 翌朝、スダッタは夜の明けるのももどかしく、転がるように急いで竹林精舎へと向かった。ブッダはその朝、コーサラ国のスダッタが会いに来るということを知って、道の傍らで待っていた。スダッタが近づくと、「おお、スダッタ、よく来た」 と声をかけた。

 スダッタは飛び上がらんばかりに感激してしまった。だってブッダが自分の名前を呼んでくれたんだよ。こんな光栄なことはないよね。嬉しくて、即座にブッダの足元にひれ伏した。スダッタは、「ブッダ、わが名を呼びたもう」と、後々まで語り続けたとのことだ。

 ブッダは、はるばる訪ねて来たスダッタに布施と持戒について説き、その果報によって天上に生まれることを教え、スダッタは在家のままでブッダの弟子となった。
この時、スダッタは、「ここはマガダ国。どうか、わがコーサラ国へも、教団の皆さんとおいでいただきたい。精舎を寄進いたします」とお願いして、ブッダの承諾を得た。

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 商用もそこそこに済ませコーサラ国のシュラヴァスティーの自宅へ戻ると、スダッタはブッダの教団のために僧院を寄進すべく、ふさわしい場所を懸命に探した。ちょうど適当な土地が見つかったんだけど、そこはコーサラ国王パセーナディの太子ジェータ所有の園林だった。
 
 スダッタは、ジェータ太子に、「この土地をブッダの教団に寄進したいので売って欲しい」と交渉したんだけど、答えはNO。「買いたい」「売らない」という問答が延々と続いたんだけど、ある時、太子が思わず、「たとえこの土地に金貨を敷き詰めたとしても、売らないよ」と言ってしまった。これを聞いたスダッタはニヤッと笑って、「勝った」と小さく叫んだ。

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 太子の言葉を聞き逃さなかったスダッタは、『金貨』という言葉が出たんだから、金貨を敷き詰めた部分だけは売ってくれるはずだと考え、車で金貨を運ばせ、その土地に並べ始めた。スダッタにとってはあり余るほどの金貨だったけど、敷き詰めてみると金貨はわずか入り口のあたりを埋めるだけだった。なんせジェータ園の遺跡は考古学者の実測によると19,170坪もある。東京ドームの広さの1.35倍の広さだよ。これに金貨を敷き詰めようというんだから、金貨がなんぼあっても足りない。スダッタはそれにもめげず、私財をなげうって金貨を敷き続け、少しもあきらめる様子を見せなかった。

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 それを見たジェータ太子は、スダッタの信仰の篤さに感心し、とうとう入り口は自分が寄進することを条件に園林を売ってくれることになった。スダッタはそこに精舎を建て、教団に寄進したんだけど、これが有名な祇園精舎だ。さっき書いたけど、スダッタの別名が給孤独長者。広い土地をスダッタに分けてやり、自らは僧院の門を寄進したジェータ太子は漢訳で祇陀【ぎだ】太子。そこで、新しく建てられたこの僧院は二人の名をとって、「祇樹給孤独園精舎【ぎじゅぎつこどくおんしょうじゃ】」、略して祇園精舎(ジェータヴァナ・ヴィハーラ)と呼ばれるようになったという訳だ。
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 添乗員の奥村君が以上のお話を長々と語ってくれた。僕は知ってるので半分上の空。ところが、僕に耳がある言葉に反応した、奥村君が一度この祇園精舎からヒマラヤを見たことがあると言うんだ。ブッダが雨期の3カ月間雨安居を過ごした場所は6カ所あったようなんだけど、ここ祇園精舎が26回と断トツに多いんだ。第2位の竹林精舎が5回だから、ブッダはほとんどこの祇園精舎で雨安居を過ごしている。その謎が今解けた。故郷カピラヴァットゥはヒマラヤの麓、ブッダは幼い頃から白く輝く山々を見て育った。そのヒマラヤが望むことができる祇園精舎が大好きだったんだね。いや~、新たな発見です。奥村君、ありがとうね。

 だいぶ話が長くなっちゃったね。続きは今度にしよう。(つづく)

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テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【 2017/04/03 06:34 】

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