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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダを訪ねてーアグラ城

3月1日(火)

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 午前10時30分、アグラ城へ。アグラ城は赤砂岩で造られた城塞で、ムガル帝国第3代皇帝アクバル(シャー・ジャハーンのお祖父ちゃん)が1565年に建てた。アマル・スィン門から中に入る。
 
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 門をくぐると、さらに門。

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 これをくぐると、アクバル門。
 
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 野生のインコが。

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 アクバル門を抜けると長い坂。

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 息を切らしながら登る。

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  坂を登り切ったところにあるのがジャハンギール宮殿。アクバル帝がお妃さんと息子のジャハンギール(第4代皇帝)のために建てた宮殿だ。左右対称の建物の上の両端には大きなベルのような形のチャトリ (小塔)がある。

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 おや、皆して何覗き込んでるのかな?

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 このでかいコーヒーカップみたいなものは、ロイヤル・ハンマーム。巨大な天然石をくり抜いて造った浴槽なんだ。アクバル帝はヒンドゥー教徒へのジズヤ(人頭税)を廃止するなど、ヒンゥー教徒との融和に努めた皇帝として知られる。だからお妃もカチンコチンのヒンドゥー教徒であるラージプート族のアンベール王国から迎えた。そのお妃さんがこの浴槽いっぱいの宝石を持参したんだってさ。今はジャハンギール宮殿の前庭に置かれているけど、可動式なんで宮殿内やキャンプで使われたそうな。

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 ジャハンギール宮殿に入ります。

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 ムガル帝国はイスラーム教の国だから宮殿も当然イスラーム様式で建てられている。でもアクバルは、ラージプート族から迎えたお妃さんのためにヒンドゥー様式も取り入れており、これは象をデザインしたものなんだって。

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 カース・マハルの天井。カース・マハルは1637年にシャー・ジャハーンが自らの居室と、愛娘のジャハナラとロスハラナのために建てたもの。この建物はタージ=マハルと同じ白大理石造り。シャー・ジャハーンはよっぽど白が好きだったんだね。内部はモザイクで美しく装飾されており、一部には金も残っている。

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 カース・マハルの目の前には「グレープ・ガーデン」という中庭があり、ここでブドウを育ててワインを作ってたんだってさ。優雅なこっちゃ。

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 ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)。1657年にシャー・ジャハーンが病床に伏すと、長男ダーラー・シコーが後継者として指名された。ところが皇位継承争いが起こる。三男坊のアウラングゼーブが4男坊と組んで挙兵、長男と次男を倒し、ダーラー・シコーを処刑。長男のくせにだーらーしな~い。アウラングゼーブは協力した4男坊も後に殺害。そして父ちゃんをアグラ城のムサンマン・ブルジュに閉じこめて、自分はデリーの「赤い城」(レッド・フォート)に行ってしまう。そして、父ちゃんが1666年に死ぬまで、ダーラーを偏愛したとして恨みの手紙を送ったり、宝石を取り上げたり、さまざまないやがらせをしたそうな。嫌な奴ちゃな。
 
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 こいつがアウラングゼーブ。爺ちゃんのアクバルが廃止したジズヤを復活、ヒンドゥー教徒を弾圧してその反抗を招き、ムガル帝国衰退の原因を作った奴だ。

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 ムサンマン・ブルジュは立ち入り禁止なので、外から撮すしかない。

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 今日はガスがかかっていてよく見えないけど、ムサンマン・ブルジュからはタージ=マハルが見える。シャー・ジャハーンは死ぬまでの8年間、窓から毎日タージ=マハルを覗いては亡き妻を偲んで涙にくれていたそうだ。なんとも可哀想だが、シャー・ジャハーンはジャハンギール帝の3男坊で、兄弟・甥っこを殺して即位した人物。因果は巡るというやつで、自業自得だ。

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 さて、最後はディワーネ・アーム(一般謁見の間)。

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 列柱がなんとも美しい。これで、今回の旅の見学はすべて終了。

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  帰ろうとしたら、野生のリスがお見送りしてくれた。

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 午前11時50分にアグラ城を出た後、大理石のお店に。真夜中に駅まで迎えに来てくれたバスはホテルのバスだと思っていたら、実は奥村君が懇意にしている大理石屋さんのバスだった。お礼も兼ねて買い物に寄る(寄らされた)。タージ=マハルを造った技術が伝承されて、アグラでは象嵌細工をした大理石製品が有名なお土産品になっている。息子の嫁さんたちに小物入れを買った。向こうの言い値は3万円。粘り強い交渉の結果、2万1,000円でゲット。3割引だからまずまずの買い物。さあ、あとは日本に帰るだけだ。(つづく)

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テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【 2017/06/22 15:03 】

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