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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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サマルカンド1日目 その1

8月7日(水)

 午後1時30分、ようやくサマルカンドに到着。途中ギジュドゥバンに1時間程寄り道したので、4時間半走ったことになる。町中に入ると、ガイドのザファール君がある建物に向かって合掌してお辞儀をしている。彼が卒業したサマルカンド国立外国語大学だ。「この大学がなければ、ザファールという厚かましい男はここにいなかったんですね。」だって。お腹もすいた、レストランに直行。

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 ブハラで昼飯を食べたレストランにはロバ車が置かれていたけど、このレストランの前には大きな馬車が置かれている。名前はロシア文字なので読めない。サマルカンドの町中にはちょいちょいラテン文字も見かけるが、圧倒的にロシア文字が多い。日本に帰ってから調べたら、店の名前は「Staraya Arba」、意味はわかんないけど、結構高級店らしい。

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 今日はまったく歩いていないんだけど、まずはやっぱりビール。飲み慣れてきたサルバストと、サマルカンドの地ビールのパルサーで乾杯。

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 チーズ入りパイ生地風の前菜をつまみに飲むんだけど、これがパクチーが入っていて臭い。好きな人は好きなんだろうけど、僕は苦手。キッコーマン醤油をかけて食べる。あとは、カボチャのスープにおなじみの胡瓜・ジャガイモ・人参・ゆで卵入り角切りサラダ。メインはマトンのホイル焼き。歩いていないせいか、皆あまり食欲がないみたいだ。  

 この後、サマルカンド一の観光スポットであるレギスタン広場(レギスタンは砂地の意味)に行くんだが、世界東洋音楽祭の予行演習が行われるため、午後3時以降は立ち入り禁止になるという連絡が入り、そそくさと食事を終わらせてレギスタン広場に向かった。だけど、世界東洋音楽祭って何だ?帰国してから調べてみたら、1997年から隔年で開かれている伝統音楽の祭典で、「シャルク・タロナラル」というそうだ。レギスタン広場は3つのメドレセ(神学校)が建つ場所なので、東大寺の大仏殿の前でコンサートを開くようなもんかな。今年は8月27日から始まり、53カ国代表396人が参加し、日本の尺八が3位になったそうな。

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 午後2時30分、かろうじて間に合ったが、広場に立ってがっかり。音楽祭のためのステージやら照明器具があり、全景が見えない。おまけにメドレセの屋根には工事のおっさんの姿まで見える。その上、さらにどんよりとした曇り空で、「青の都」なのに真っ青な空がない。もう、最悪。出演者や観客にとっては最高の場所なんだろうけど、他の場所でやってよ。
  
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 30分しかないから、急ぎ足で見学していく。まずはウルグ・ベク・メドレセ。ブハラのウルグ・ベク・メドレセが建てられた2年後の1420年に建てられた神学校だ。

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 星をモチーフにした青いタイルが美しい。青空だったら、もっと映えるのに、残念。

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 当時ウルグ・ベクはまだ26歳で、サマルカンド知事を務めていた。なにせ学問が大好きで、数学者・天文学者・神学者・歴史家の顔を持つ。メドレセ内部に学者たちと語らうウルグ・ベクの像もあった(たぶん座っているのがウルグ・ベク)。だけど、政治家・武将としての器ではなく、父シャー・ルフが死んだ1447年にティムール帝国のハン位を継いだが、たちまち内乱となり、2年後に長男との争いに敗れてしまう。ハン位を長男に譲り、メッカ巡礼に旅立つのだが、長男が使わした刺客によって暗殺されてしまう。その長男もウルグ・ベクの忠僕によって暗殺され、その50年後にティムール帝国はウズベク族に滅ぼされてしまう。 
  
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 次はお隣のティラカリ・メドレセ。ブハラ=ハン国時代の1660年に建設された。ザファール君が建物の中に入る前に、「自分を喜ばせたい人は、下を向いて中に入って下さい。絶対顔をあげないように。私がいいと言ったら、顔を上げて下さい。」と、おっしゃる。言われる通りに、みんな下を向いて中に入った。

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 「いいですよ。顔を上げて下さい」。顔を上げた途端、みんな一斉に、ワーオ、スッゲエ。なんちゅうピカピカ、キンキラリン。秀吉の黄金の茶室も真っ青になるほどの、キンピカピカだ。“ティラカリ”って、「金箔された」という意味で、ソ連時代に修復されたそうだが、使った金の量が3kgだって。
  

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 レギスタン広場最後のメドレセはシェルドル・メドレセ。これもブハラ=ハン国時代の1636年に完成したメドレセで、完成までに17年もかかったそうだ。お向かいのウルグ・ベク・メドレセを模倣して造られそうで、確かによく似ている。

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 “シェルドル”は「ライオンが描かれた」という意味で、その名の通り入り口のアーチに子鹿を追うライオンが描かれている。どうみても虎か豹にしか見えないけど、そのライオンが人面の描かれた日輪を背負っている。あれっ、この顔どっかで見たぞ。そうだ、ブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセだ。

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 ねっ、似てるでしょ。この2つのメドレセ、同じ頃に建設されているので、おそらく同じ建築家が造ったんだと思う。あれこれ調べたけど、そこまで踏み込んだ解説はなかった。造らせたハンの名前もどこにも出てなかったけど、時期的に考えて恐らくイマーム・クリという人物だろう。ブハラのところでも書いたけど、偶像崇拝を厳禁するイスラーム教では、人間の顔や動物を描くことは御法度。建築家は責任をとって自殺したというから、可哀想なもんだ。自分の権力を誇示するためムハンマドの教えに逆らったイマーム・クリは、当然緑園(イスラーム教の天国)には行けなかったでしょうね。(つづく)
 

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【 2013/10/28 18:28 】

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