なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月3日(木)
え~っ、こんな足場を渡るんすか?落ちないすか。おしっこちびりそうですが、渡れとおっしやるなら、渡りますよ。
あっ、ここは通らなくていい。安心しました。
一難去ってまた一難。こんどは螺旋階段ですか。シーギリヤ・レディを見に行くためだけに造られた階段らしい。一方通行で登りと下りの2本ある。
恐怖の螺旋階段を登って、ようやくシーギリヤ・レディとご対面。このフレスコ画はイギリス統治下にあった1875年に、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人によって発見された。
もともと500人ほど描かれていたそうだが、現在残っているのはわずか18人。ほとんどが風雨にさらされて浸食されてしまい、さらに1967年にバンダル人の攻撃で剥がされてしまった(と、『地球の歩き方』に書いてあるけど、バンダル人なんて聞いたことない)。カーシャパ王亡き後、この王宮は坊さん達に寄進されたそうなんで、こんなエロチックな肖像は修行の妨げになるから、坊さん達も剥ぎ取ったと思われる。シーギリヤ・レディの18人はたまたま非常に高いところにあって坊さんの目に触れなかったことと、上の岩がオーバーハングしているお陰で風雨から守られて助かったんだろうな。
今まで4枚の写真を見てもらったけど、実はこれ全部レプリカ。以前はフラッシュを使わなければ撮影を許されていたのが、2016年1月から完全に撮影禁止になったそうだ。当然撮影できると思って来た僕はがつくり。
話によるとなんぼ注意しても中国人観光客がフラッシュを使うんで、禁止したそうだ。くっそう、中国人のあほたれが。
で、レプリカのシーギリヤ・レディを撮したのがシーギリヤ博物館。この博物館はJICAの無償資金協力により建設され、2009年7月28日にマヒンダ・ラジャパクサ大統領と福田康夫前首相を迎えて、開館式が盛大に行われた。岩山を降りてからここを訪れ、2階にある復元されたシーギリヤ・レディを撮影したというわけだ。
これもレプリカ、というのは嘘で、これは唯一本物。監視員の目から一番遠い壁画を、ファインダーを覗くとバレルるので、腹のあたりにカメラを固定させて撮った写真。運任せでシャッターを切ったが、見事に真ん中にヒットした。ただ、ちょっとピンぼけ気味。
シーギリヤ・レディを鑑賞しての帰り道、女子高生の団体に遭遇。現代のシーギリヤ・レディ、なかなか可愛い子たちばかりなので、失礼してパチリ。
もう1枚パチリ。そしたら、一番奥でこっち見てる監視員が僕に向かって何か怒鳴ってる。ジャヤン君が通訳して、「壁画の写真撮ったでしょう」。「いいえ、女子高生を撮ったんで、壁画は撮ってません」、て答えたけど、ありゃバッチリ壁画も写ってる。こりゃ、いかん。データを削除しろと言ってくる前に退散、退散。(つづく)
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さあ休憩も終わったし、元気出して登るぞ。茶色く見えているところがミラー・ウォール=「鏡の回廊」と呼ばれている高さ約3メートルの壁。真珠のような輝きをもち、鏡のような光沢があるため、この名前がついたんだって。レンガの上に漆喰を塗って、その上に多量の卵の白身と蜂蜜と石灰を混ぜたたものを上塗りし、その表面を丹念に磨きあげて、光り輝く壁にしたんだってさ。
そのミラー・ウォールの左手に螺旋階段が見えると思うけど、そこを登り切ると、第一目標のシーギリヤ・レディにお会い出来る。頑張ろうぜ。
そのミラー・ウォールの左手に螺旋階段が見えると思うけど、そこを登り切ると、第一目標のシーギリヤ・レディにお会い出来る。頑張ろうぜ。
かなり登って来てるようで、眺めは抜群。風が気持ちいい、と言いたいんだけど、気持ちいいを通り越した突風が吹いている。「あっ」と言う声が聞こえたと思ったら、Iさんの帽子が突風に吹かれて、飛んで行っちゃった。さよ~なら~。帽子は遙か下に落下。今登ったところを降りて、取りに行く気力はIさんには無い。帽子は諦めちゃった。ところが、一人の青年が猛ダッシュして、帽子を取って来てくれた。てっきり金を要求してくると思ったが、さにあらず。心からの親切心からだった。疑ってご免。さすがスリランカ。また、一段とスリランカが好きになった。
え~っ、こんな足場を渡るんすか?落ちないすか。おしっこちびりそうですが、渡れとおっしやるなら、渡りますよ。

あっ、ここは通らなくていい。安心しました。

一難去ってまた一難。こんどは螺旋階段ですか。シーギリヤ・レディを見に行くためだけに造られた階段らしい。一方通行で登りと下りの2本ある。
これ下から見たらどうということないんだけ、登りながら下見たら、おしっこちびるよ。この螺旋階段は1936年にイギリスが造ったそうだ。いくら金網で囲われているとは言え、80年も前に造られたものだから、劣化によって階段そのものが落ちてしまうなんてことを考えたりすると、足がすくんでしまう。高所恐怖症の方には拷問のような階段だけど、これ登らない限りシーギリヤ・レディに会えないんですよね~。
恐怖の螺旋階段を登って、ようやくシーギリヤ・レディとご対面。このフレスコ画はイギリス統治下にあった1875年に、この岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人によって発見された。
もともと500人ほど描かれていたそうだが、現在残っているのはわずか18人。ほとんどが風雨にさらされて浸食されてしまい、さらに1967年にバンダル人の攻撃で剥がされてしまった(と、『地球の歩き方』に書いてあるけど、バンダル人なんて聞いたことない)。カーシャパ王亡き後、この王宮は坊さん達に寄進されたそうなんで、こんなエロチックな肖像は修行の妨げになるから、坊さん達も剥ぎ取ったと思われる。シーギリヤ・レディの18人はたまたま非常に高いところにあって坊さんの目に触れなかったことと、上の岩がオーバーハングしているお陰で風雨から守られて助かったんだろうな。
ところで、この美女たちは一体何者なんだろうか?殺してしまった父親の霊を慰めるために描いたという説があるらしいけど、なら父親の墓に描くだろう。また、裸の女性が天国に住む妖精アップラサで、服を着ているのが王の侍女だとも言われているが、この説もなんかな~。
カーシャパ王の奥さんたちだという考えはどうかな?この岩のてっぺんの王宮に住めた人間の数は限られただろうから、500人の奥さんを住まわせるわけにはいかない。選りすぐりの数名と岩の上で暮らし、その他の奥さんは下の宮殿にいた。カーシャパ王は恐怖心から岩から降りられず、会えない寂しさを紛らわすために、奥さんの肖像を描かせた。これ、あたってんじゃない。
カーシャパ王の奥さんたちだという考えはどうかな?この岩のてっぺんの王宮に住めた人間の数は限られただろうから、500人の奥さんを住まわせるわけにはいかない。選りすぐりの数名と岩の上で暮らし、その他の奥さんは下の宮殿にいた。カーシャパ王は恐怖心から岩から降りられず、会えない寂しさを紛らわすために、奥さんの肖像を描かせた。これ、あたってんじゃない。
今まで4枚の写真を見てもらったけど、実はこれ全部レプリカ。以前はフラッシュを使わなければ撮影を許されていたのが、2016年1月から完全に撮影禁止になったそうだ。当然撮影できると思って来た僕はがつくり。

話によるとなんぼ注意しても中国人観光客がフラッシュを使うんで、禁止したそうだ。くっそう、中国人のあほたれが。

で、レプリカのシーギリヤ・レディを撮したのがシーギリヤ博物館。この博物館はJICAの無償資金協力により建設され、2009年7月28日にマヒンダ・ラジャパクサ大統領と福田康夫前首相を迎えて、開館式が盛大に行われた。岩山を降りてからここを訪れ、2階にある復元されたシーギリヤ・レディを撮影したというわけだ。
これもレプリカ、というのは嘘で、これは唯一本物。監視員の目から一番遠い壁画を、ファインダーを覗くとバレルるので、腹のあたりにカメラを固定させて撮った写真。運任せでシャッターを切ったが、見事に真ん中にヒットした。ただ、ちょっとピンぼけ気味。
シーギリヤ・レディを鑑賞しての帰り道、女子高生の団体に遭遇。現代のシーギリヤ・レディ、なかなか可愛い子たちばかりなので、失礼してパチリ。
もう1枚パチリ。そしたら、一番奥でこっち見てる監視員が僕に向かって何か怒鳴ってる。ジャヤン君が通訳して、「壁画の写真撮ったでしょう」。「いいえ、女子高生を撮ったんで、壁画は撮ってません」、て答えたけど、ありゃバッチリ壁画も写ってる。こりゃ、いかん。データを削除しろと言ってくる前に退散、退散。(つづく)
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