なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月7日(水)
午後5時15分、さあいよいよグリ・アミール廟だ。今回の旅で一番楽しみにしていた場所に入るが、その前にティムールについて勉強しておこう。
チンギス=ハンの再来と言われたティムールは、1336年、サマルカンド南方のケシュ(現在のシャフリサブス)で、西チャガタイ=ハン国(チンギス=ハンの次男坊が建国)のトルコ系小貴族の子として生まれた。ティムールは“鉄”のこと。チンギス=ハンの実名テムジンは“鉄の男”だから、名前は共通する。戦傷で右足が不自由になったことから、ペルシア語で「ティムーリ・ラング(跛者ティムール・びっこのティムール)」で呼ばれ、ヨーロッパでは訛ってタメルランの名で呼ばれた。
チンギス=ハンの子孫を称してモンゴル帝国の再現をめざし、1369年、サマルカンドを都にティムール帝国を興した。ティムールはチンギス=ハンの血を引いていなかったので、生涯ハンを名乗らずアミール(将軍の意味)を名乗った。東チャガタイ・イル・キプチャクの諸ハン国を支配下に置き、インドにも侵入、1402年のアンカラの戦いではオスマン帝国を破り、大帝国を建設した。さらに、モンゴルの元を滅ぼした明を撃つべく、1404年中国遠征を開始。そのままいけば、明の永楽帝との間で一戦交えるはずだったが、1405年2月ティムールはオトラルで病死する。
グリ・アミール廟はアミールの墓の意味で、風雲児ティムールが眠る。もともとは彼の最愛の孫で王位継承者であったムハンマド・スルタンが建てたメドレセがあったが、1403年に彼が29歳の若さで戦死すると、ティムールは隣に廟を建設した。1405年にティムールがオトラルで亡くなった時、すでに生まれ故郷のシャフリサブスにティムールの廟は築かれていた。しかし、シャフリサブスへの道が雪で閉ざされていたため、遺体はサマルカンドに運ばれ、グリ・アミール廟で孫と一緒に眠ることになった。
真ん中にティムールが眠っているんだけど、黒緑色の軟玉製の墓石がティムールの墓。その東側にムハンマド・スルタン、西側にティムール帝国3代目のシャー・ルフ、南側にシャー・ルフの子で4代目のウルグ・ベク、北側にティムールの師ミルサイード・ベリケが眠る。しかし、これらはみな墓の位置を印した墓石で、亡骸は地下3mの墓室に葬られている。これはアグラのタージ・マハルと同じ構造。観光客が見ているシャー・ジャハーンとムムターズ・マハルのお墓には遺体は入っておらず、お二人さんは地下に眠っている。あっ、知っていると思うけど、タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンはティムールの子孫だよ。
午後5時15分、さあいよいよグリ・アミール廟だ。今回の旅で一番楽しみにしていた場所に入るが、その前にティムールについて勉強しておこう。
チンギス=ハンの再来と言われたティムールは、1336年、サマルカンド南方のケシュ(現在のシャフリサブス)で、西チャガタイ=ハン国(チンギス=ハンの次男坊が建国)のトルコ系小貴族の子として生まれた。ティムールは“鉄”のこと。チンギス=ハンの実名テムジンは“鉄の男”だから、名前は共通する。戦傷で右足が不自由になったことから、ペルシア語で「ティムーリ・ラング(跛者ティムール・びっこのティムール)」で呼ばれ、ヨーロッパでは訛ってタメルランの名で呼ばれた。
![efbe83efbda8efbe91efbdb0efbe99efbc96efbc8defbc92[1]](http://blog-imgs-59.fc2.com/k/i/n/kintaku3/20131018170153b16.png)
チンギス=ハンの子孫を称してモンゴル帝国の再現をめざし、1369年、サマルカンドを都にティムール帝国を興した。ティムールはチンギス=ハンの血を引いていなかったので、生涯ハンを名乗らずアミール(将軍の意味)を名乗った。東チャガタイ・イル・キプチャクの諸ハン国を支配下に置き、インドにも侵入、1402年のアンカラの戦いではオスマン帝国を破り、大帝国を建設した。さらに、モンゴルの元を滅ぼした明を撃つべく、1404年中国遠征を開始。そのままいけば、明の永楽帝との間で一戦交えるはずだったが、1405年2月ティムールはオトラルで病死する。
グリ・アミール廟はアミールの墓の意味で、風雲児ティムールが眠る。もともとは彼の最愛の孫で王位継承者であったムハンマド・スルタンが建てたメドレセがあったが、1403年に彼が29歳の若さで戦死すると、ティムールは隣に廟を建設した。1405年にティムールがオトラルで亡くなった時、すでに生まれ故郷のシャフリサブスにティムールの廟は築かれていた。しかし、シャフリサブスへの道が雪で閉ざされていたため、遺体はサマルカンドに運ばれ、グリ・アミール廟で孫と一緒に眠ることになった。
真ん中にティムールが眠っているんだけど、黒緑色の軟玉製の墓石がティムールの墓。その東側にムハンマド・スルタン、西側にティムール帝国3代目のシャー・ルフ、南側にシャー・ルフの子で4代目のウルグ・ベク、北側にティムールの師ミルサイード・ベリケが眠る。しかし、これらはみな墓の位置を印した墓石で、亡骸は地下3mの墓室に葬られている。これはアグラのタージ・マハルと同じ構造。観光客が見ているシャー・ジャハーンとムムターズ・マハルのお墓には遺体は入っておらず、お二人さんは地下に眠っている。あっ、知っていると思うけど、タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンはティムールの子孫だよ。
ティムールの棺には「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」という言葉が刻まれていたそうだ。でもソ連の連中は無神論者だからそんなことは信じない。ミハイル・ゲラシモフという学者が1941年6月19日に棺をあばいて学術調査を行った。その結果、ティムールはやはり右足が不自由だったことや、ウルグ・ベクが斬首されたことなど、歴史記述が正しかったことが判明した。写真のティムール像はゲラシモフが頭蓋骨から復元したものだ。ザファール君にどこにあるのか聞いたら、「ロシアにあるんでしょ」、というそっけない返事。調べてみたらタシケント歴史博物館にあるそうだ、いい加減な。
ゲラシモフは棺の内側に文章を発見し、解読した結果「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉が現れた。そして、その言葉通り、6月22日にナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を開始、ソ連になだれ込んで来た。びっくり仰天、慌ててティムールとウルグ・ベクの頭蓋骨を丁重にもとに戻したそうな。
ゲラシモフは棺の内側に文章を発見し、解読した結果「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉が現れた。そして、その言葉通り、6月22日にナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を開始、ソ連になだれ込んで来た。びっくり仰天、慌ててティムールとウルグ・ベクの頭蓋骨を丁重にもとに戻したそうな。
ティムールの死後50年ほどして帝国はウズベク族に滅ぼされてしまう。そのウズベク族の国が現在のウズベキスタン。「なんで自分たちが滅ぼした連中を英雄として扱ってるの?」、ってザファール君に聞いたんだけど、明確な答えが返って来なかった。ウズベキスタンのあちこちにティムール像が建っており、民族と国家を象徴する英雄となっており、なかにはティムールをウズベク人とする考えもあるという。どう考えても、おかしい。まあ、ごちゃごちゃ言わずに、ティムールさまさまで外貨稼げればいいじゃん、という声が聞こえてきそうだ。グリ・アミール廟のティムールの案内板に、アンカラの戦いが1400年になってたんだけど。ティムールで稼ぐんだったら、ちゃんと直しといたほうがいいよ。(つづく)