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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー謎の仮面王国・三星堆

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 中国文明は黄河文明に始まると言われてきた。僕が世界史を教え始めた40年ほど前には、こんな風に教えていた。紀元前5000年頃は現在よりも温暖であったため、長江流域はジャングル状態であり、当時の稚拙な道具類で農耕を開始することは不可能であった、とね。

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河姆渡遺跡の住居跡

 この説を覆したのが、1973年に発見された河姆渡【かぼと】遺跡だ。河姆渡遺跡は杭州湾南岸に位置する紀元前5000年~3300年頃の新石器時代中期の遺跡で、大量の稲籾、稲殻、籾殻などが発見されたことで、長江下流域稲作起源説が強まり、長江文明の存在が明らかになった。(1988年に彭頭山【ほうとうざん】遺跡で紀元前7000~6000年頃に遡る栽培種の稲が出土し、長江中流域稲作起源説が強まっている。)これにより、従来は中国文明の源流として黄河文明が強調されてきたが、多元的に文明が発生したという見方が通説になっている。

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 中でも異彩を放っているのが、1986年に四川省の成都の北方で発掘された三星堆【さんせいたい】遺跡だ。成都と言えば、三国時代の蜀の都が置かれた地だが、それよりも2000年も前に古蜀王国が栄えていたことが明らかになった。

 ことの始まりは1929年に燕道誠という農民が用水路の修繕をしていたところ、おびただしい数の玉器と石器が入った土穴を発見したことであった。1984年夏に本格的発掘調査が行われ、東西2100メートル、南北2000メートル、総面積4平方キロという広大な地域が、巨大な城壁で囲まれた古代都市であったことが判明。1986年夏には三星堆という3つの丘の付近で、祭祀坑と考えられる土穴から、重さ1トンを超える多種多様な青銅鋳造遺物、300点以上にのぼる玉石類、数点の金器、80数本の象牙、および大量の子安貝が発見され、20世紀最後の考古学上の大発見とされた。

 最大の問題はこの祭祀坑が地層や年代測定法によって紀元前1300年頃のものと推定されたことだった。それはちょうど、「黄河文明」殷代の後期にあたり、殷と同じ時期に長江流域にも高度な青銅器文明が栄えていたことになる。

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 高校の世界史の教科書にも殷の代表的青銅器として写真が掲載されていたと思うけど、左が「尊」で右が「爵」。現代では「尊敬」や「男爵」といった言葉に使われている漢字だけど、もともとはどちらもお酒を入れる器のことだ。中国の歴史ドラマを見てると爵で酒を呑んでるシーンが出てくるけど、どう見ても呑み難そうだよね。王さまからご褒美でお酒が下賜されたことから、尊卑の意味になったり、貴族の爵位に使われるようになったんだ。

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 これが司母戊鼎【しぼぼてい】と呼ばれていた、これまで発見された中で最も重い青銅器。一緒に写っている人間と比べたらその大きさがわかると思うけど、高さ137センチ、長さ110センチ、幅77センチ、重さが875キロもある、とんでもなくでかい鼎【てい、かなえ】だ。鼎というのは空洞になっている足を持つ器物のことで、足の部分が詰まっていれば鬲【れき】と呼ぶ。足はもともと3本だったので、今でも3人で会談することを鼎談と言うよね。「呼ばれていた」と過去形にしたのは、現在は后母戊鼎【こうぼてい】と呼ばれているから。名前が変わった理由は、銘文の「后」の字を「司」と読み間違えたというアホみたいな理由だ。

 鼎は後に権力の象徴とされるようになるが、もともとは神さまに捧げる生け贄の肉を煮るためのもの。豚なんかをぐつぐつと煮てお酒と一緒に神さまにお供えし、お下がりのゆで豚を肴に酒を呑んでトランス状態になることで神意を聞いたんだってさ。殷が滅びた最大の原因が酒の飲み過ぎ。詳しいことは、殷の滅亡のところでお話しよう。

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 こうした殷代の青銅器には饕餮文【とうてつもん】と呼ばれる装飾が施されている。饕餮は体は牛、顔はヒトという、逆ミノタウロスの怪物。饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意味。何でも食べる猛獣だったんだけど、何でも喰らうというイメージから転じて魔を喰らう怪物となり、後には魔除けになった。だから、饕餮文は神さまに捧げる肉や酒を魔物から守っているわけだ。ただし、写真の模様を饕餮文と呼んではいるけど、実際には何を表しているのかよく分かっていない。

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 尊、爵、鼎の他にもいろいろあるが、青銅器は宗教儀式用に作られた祭器であるというのが、中国青銅器に対する常識であった。ところが、三星堆の青銅器はこの常識を打ち破り、全く異質である。三星堆では殷代青銅器も存在はするが、黄河流域では全く見られない奇妙な人物、動物および植物の造形が主流をなしている。

 三星堆で出土した青銅器のうち人々を最も驚かせたのが、写真の縦目青銅仮面である。高さ64.5cm、幅138cmと、ヒトが被るにしては大きすぎる。その上、目玉が正面に向けて水平に14センチも飛び出しており、耳も「スターウォーズ」のヨーダのようにやたらに大きい。三星堆は宇宙人が造った遺跡か?

 『華陽国志』蜀志には、古代の蜀における最初の王である蚕叢【さんそう】は「其の目は縦なり」と表現されている。「目が縦」とはどうゆうこと?いろいろ推測されていたが、縦目青銅仮面の発見によって明らかになった。縦目青銅仮面はまさしく蚕叢を表しているのである。

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 こんな縦目青銅仮面もある。

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 これは貼金銅人頭像。縦目青銅仮面と同様に、三星堆遺跡を紹介する際によく用いられる青銅頭像で、文字通り金箔が貼られており、種類が多く、様々なタイプの頭像が発掘されている。これらの金製品は大小すべてを総計して100点を上回っており、同時代の中国において類を見ないものとなっている。また、青銅器にばかり目を奪われてしまうが、玉石器も多く発見されており、総数300点を上回る。

 黄河流域では「天帝」という抽象的な神を崇めるために供献用の青銅製容器が異常に発達したが、偶像はほとんど作られていない。それに対し、三星堆では青銅により神々は目に見える具体的な姿で表され、偶像崇拝という形で祀られたため、供物を捧げる容器は発達しなかった。

 三星堆遺跡の最大の謎がある。それは、これらの貴重な財宝が2つの窮屈な土穴に埋められており、ほとんどの遺物が土穴に入れられる前に激しく打ち壊され、さらにひどく焼かれていたことである。その背景に政権交代があったことは明らかで、恐らく、三星堆を中心とする古蜀王国は成都西部を中心とする杜宇の新興勢力により覆され、蚕叢を祖とする王家は無惨にも滅ぼされ、神殿も容赦なく破壊されるという悲惨な結末を迎えたのである。

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 これは「青銅神樹」。高さが396cmもあり、中国で知られているうちでも最大の青銅鋳造遺物で、1986年に発掘された。
 
 この神樹は中国の古典『山海経』【せんがいきょう】に描かれている扶桑【ふそう】樹ではないかと推測されている。扶桑樹は十の太陽が宿るところであり、太陽はそこからカラスに乗って順番に空へ巡回に出かけることになっている。神樹の枝には3階層にまたがるそれぞれの枝に計9羽ずつのカラスが装飾されている。幹の頂上部分は欠落しているが、そこにもカラスがとまっていたとすれば、ちょうど10羽になる。

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 中国神仙伝説の中で、西王母ほど知名度の高い神はいないであろう。『山海経』によれば、西王母は玉山と呼ばれる山を擁する崑崙之丘に住んでおり、「人間の姿で、虎の歯、豹の尾を持ち、よく吼える」とされ、恐怖を覚えさせる姿をした神であったが、時代とともに変遷し、冥界を支配する淑やかで容姿端麗な女神へと変貌していった。

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 一号坑から出土した13点ほどの青銅人頭像は抽象化した表現によるものがほとんどだが、写真の1点だけ写実的な手法で表現されたものである。かすかに笑みを浮かべながら、どこか気品と威厳を放っている女性に見えないだろうか?この特別な女性頭像が表す人物こそ西王母であり、ここ三星堆の古蜀王国が邪馬台国の卑弥呼のような女王が支配した国であったと推定する学者もおり、ますますロマンが広がっていく。

 参考 徐朝龍著『三星堆・中国古代文明の謎 史実としての『山海経』』

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2018/09/04 11:32 】

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