なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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司馬遷の『史記』によれば、中国の歴史は三皇五帝三代で始まるとされる。三皇は伏羲【ふっき・ふくぎ】・女媧【じょか】・神農【しんのう】の3人の神。伏羲と女媧は兄妹あるいは夫婦とされ、写真のように蛇身人首で交尾している姿で描かれ、手には矩(直角定規)と規(コンパス)を持っている。伏羲は狩猟、神農は農業を始め、女媧は人間を創造したとされる。
五帝は黄帝・顓頊【せんぎょく】・嚳【こく】・堯【ぎょう】・舜【しゅん】の理想の君主とされた5人の人物。佐藤製薬の栄養ドリンク剤ユンケル黄帝液があるけど、黄帝は中国医学の祖とされているので、非常に上手いネーミングだね。ちなみに、秦の始皇帝が中国史上初めて皇帝という称号を使ったけど、皇帝には三皇五帝の徳を兼ね備えた者という意味もある。

五帝の後、夏・殷・周の三代の王朝が続くことになるが、夏王朝の創始者が禹【う】という男である。禹は帝顓頊の孫にあたり、治水事業に失敗した父・鯀【こん】の後を継ぎ、大洪水を起こした黄河の治水に邁進した。厳しい自然との戦いで、身体が半身不随となったが、13年後中国全土の治水に成功し、生まれ変わった土地で民の暮らしは一変した。禹は舜から禅譲されて王位に就き、17代続く夏王朝が始まった。
禹は現在の中国でも人気があり、2006年には湖北省武漢市の川辺にある大禹神話園に、長さ13.5m高さ8mという巨大な大禹像が出現した。場所は長江と漢水の合流地点。禹が治水に成功したのは黄河で、長江は何の関係も無いんだけど、漢水はよく氾濫するので、それを禹の力で止めようという魂胆かな。
ところで、2016年に南京師範大学の研究チームが伝説の大洪水の証拠を発見したと発表した。それによると洪水が起きたのは紀元前1920年で、黄河の水位は通常よりも最大38m高くなったそうだ。この発表が正しければ、夏王朝の歴史は紀元前1900年から始まったことになる。
「夏」は「華」に通じ、中華を意味する語でもあり、現在の中国は自国を美化して「華夏」と呼んでおり、現在の中国人は夏王朝の子孫の末裔とされている。ところが、山川出版社の教科書『詳説 世界史B』では夏王朝は伝説の王朝として扱われている。夏王朝ははたして実在したのであろうか?
ところで、2016年に南京師範大学の研究チームが伝説の大洪水の証拠を発見したと発表した。それによると洪水が起きたのは紀元前1920年で、黄河の水位は通常よりも最大38m高くなったそうだ。この発表が正しければ、夏王朝の歴史は紀元前1900年から始まったことになる。
「夏」は「華」に通じ、中華を意味する語でもあり、現在の中国は自国を美化して「華夏」と呼んでおり、現在の中国人は夏王朝の子孫の末裔とされている。ところが、山川出版社の教科書『詳説 世界史B』では夏王朝は伝説の王朝として扱われている。夏王朝ははたして実在したのであろうか?
夏王朝の実在を裏づける遺跡として近年脚光を浴びているのが、1959年に河南省で発見された二里頭遺跡である。
二里頭遺跡は 殷の後期の都であった殷墟のある河南省安陽市小屯から南西130キロほどにある。紀元前1800年頃から紀元前1500年頃の遺跡とみられ、史書の夏王朝の時期に相当するため、中国では夏王朝の都の一つと考えられている。
宮殿復元図
1960年には規模の大きな宮殿の基壇が発見された。人の出入りする南門のすぐ近くに最も重要な宮殿(一号宮殿)を配置、その重要な宮殿の内部には回廊と広い中庭、正面に王が立つ建物(正殿)を配する構造になっている。この構造は、後の中国歴代王朝の宮殿構造に引き継がれ、宮廷儀礼もここから始まったと考えられる。
写真は二里頭遺跡で出土した平底銅爵。当時最先端の技術で作られたピカピカの銅爵は人々を驚かせた。「謎の仮面王国・三星堆」で書いたように、爵は儀式用の酒器のことだけど、後に身分を表すようになった。宮廷儀礼で身分の高い貴族は壇上に上げられ、王から酒を賜ることになる。下から見守る参列者たちは、王との身分の違いを痛感し、王を崇めるようなった。軍事力だけでは、長く権威を維持させることは不可能なので、このような宮廷儀礼というソフトパワーのシステムが作られ、これが清朝まで続くのである。
動物紋飾板。動物の姿を真上からみたデザインを、青銅の板にトルコ石で象嵌【ぞうがん】してある。恐らく身分の高い人が身につけていた装身具だろうね。
トルコ石で作られた龍。
これは玉璋【ぎょくしょう】。璋は日本の神主さんが手に持っている笏【しゃく】みたいな物で、宮廷儀礼の際に最後に壇上に上がった王が権威の象徴として手に持っていたものだ。これが玉で出来ている。「たま」じゃなくて「ぎょく」。玉は「玉石混淆」【ぎょくせきこんこう】の玉で、翡翠【ひすい】のことだ。中国人はこの玉が大好きなんだけど、玉のことはまたいずれ書こう。さあ、ここにも龍が描かれているね。分かる?
二里頭のすべての玉璋の柄の部分には、龍の頭、背びれが刻まれている。龍はもともと、中国東北部で宗教的なシンボルとして信仰されてきた空想上の生き物であるが、二里頭はこの龍を、権力の象徴として利用し始めたんだね。このように龍と王の結びつきは二里頭から始まり、龍は中国の歴代の王朝に権力の象徴として脈々と受け継がれていった。近年の発掘で、この龍を刻んだ玉璋が中国各地で発見され、夏王朝の影響力が大陸全域に及んでいたと考えられている。
これらの発見によって中国の学者は二里頭遺跡が夏王朝の都の一つと考えているが、二里頭の都市文化は殷墟のように文字資料は出土していない。したがって、考古学的に『「夏」と後世に呼ばれた政権が実在した事』は証明されたが、史書のいう『「夏王朝」が実在した事』は証明されていない。
いまだに夏王朝は幻なのだ。
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