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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーシルクロードの開拓者・張騫

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陝西省城固の張騫像

 漢の頃まで、万里の長城の西は謎だった。砂嵐のふく砂漠の北には匈奴【きょうど】がおり、時に南下して中国を侵した。甘粛【かんしゅく】には月氏【げっし】の国があった。その南にはチベット系の羌【きょう】が遊牧していた。だが、砂漠を越えた煮にに何があるかは、ほとんど分からなかった。その頃、遙か製法に旅してその状況を伝えた者がある。その名を張騫という。

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 匈奴は冒頓単于【ぼくとつぜんう】の時代に勢力を拡大、東の東胡【とうこ】に攻め入ってこれを滅ぼし、そのままま西に転じて月氏を敗走させた。さらに、紀元前200年に白登山の戦いで漢の高祖劉邦を破り、歳賜(毎年貢ぎ物を贈る)を約束させて、以後漢を圧迫し続けた。

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 こうした状況を打開しようとしたのが、漢の第7代皇帝・武帝であった。そんなときに武帝は匈奴の捕虜の話に心を動かされた。月氏が匈奴のためにもと住んでいた土地を追われて遠く西に移り、匈奴の老上単于は殺害した月氏王の頭蓋骨を盃にして酒を飲んでおり、月氏は深く匈奴を憎んでいるというのだ。

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 頭蓋骨を盃にしたものを髑髏杯【どくろはい】という。気持ち悪いと思われるかもしれないが、今でもチベットではこれを密教法具として使っている。(写真がチベットの髑髏杯であるカパーラ)。
 月氏がそんなに匈奴を憎んでいるのだったら、これと同盟して匈奴を挟撃したらどうか?武帝は月氏に使いする者を募った。この時公募に応じて使者に選ばれたのが、当時はただの一役人に過ぎなかった張騫であった。

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 紀元前139年、張騫は従者100余人を連れて、長安を出発した。

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 めざす月氏は西方のイリにいるとしか分からぬまま、一行は西に進んだ。だが、隴西【ろうせい】を出ると、彼らはたちまち匈奴に捕らえられてしまった。これから、長い匈奴生活が始まる。からりとした気性を愛されて、匈奴の娘を妻にあてがわれ、子までできた。だが、張騫は漢の使者の符節【ふせつ】を身につけ、じっと機会を待っていた。捕らわれて10余年、彼はついに妻子と従者を連れ、西方に脱出した。聳え立つ天山山脈の南に沿って、オアシスをちりばめたタリム盆地を横切り、大宛【だいえん】国に着いた。今のフェルガナ地方で、葡萄酒と名馬を産する地である。ところが、月氏はすでにそこにおらず、烏孫【うそん】に追われて、さらに西方へ移動していた。張騫は康居【こうきょ】を通り、やっとアム川上流にある月氏の宮廷に着いた。

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 張騫はすぐに月氏の王に会って、武帝の意を伝えた。だが、事情は変わっていたのである。月氏はここに移ってから、すでに南の大夏【だいか】(バクトリア地方)を属国にし、土地の豊かさと、敵のいないことに満足しきっていた。旧怨を雪【すす】ぐために、遙か遠くの匈奴と戦うなど、愚かなことであった。張騫は大夏までも出かけて画策したが、月氏を動かすことは出来なかった。

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 月氏を出発した張騫は、今度は崑崙【こんろん】山脈の北に沿って帰ったが、また匈奴に捕らえられた。1年余りして、彼は匈奴の内紛に乗じて脱出し、ついに長安に帰った。出発してから13年、初めの一行のうち彼とともに帰ったのは一人だけだった。

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 その一方で、張騫の帰りを待っていた武帝だが、待てど暮らせど張騫は帰って来ない。業を煮やした武帝は寵姫の弟である衛青【えいせい】将軍を匈奴討伐に送り込んだ。

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 さらに、衛青の甥にあたる霍去病【かくきょへい】将軍を送り込んだ。霍去病はわずか24歳で病死したが、この二人の活躍で匈奴の本拠地は撃破された。

 張騫は当初の目的も達成出来ず、その後おめおめと帰って来たわけだが、計り知れぬものを中国に与えることになった。武帝は張騫の報告に基づき西域を征服、東西の交通がここに開けたのである。西方の国からは葡萄や名馬、宝石、石榴【ざくろ】、西瓜、楽器の琵琶等々、そして漢からは金や絹などが、天山の道を運ばれ始めた。いわゆる絲綢【ししゅう】之路、シルクロードである。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2018/10/20 16:29 】

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