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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーチンチンの無い権力者・宦官

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 宦官【かんがん】は去勢(性器を切除し、生殖不能とする)された官吏のことで、その源流は牧畜における家畜管理の技術にあると言われる。メソポタミア・エジプト・ペルシアなどに古くから存在したことが知られており、またギリシア・ローマ、さらにムガル帝国やオスマン帝国や朝鮮でも存在したが、中国の宦官は皇帝の側近として政治に深く関与する場合がままあり、歴史上多くの役割を果たした点でとりわけ有名である。

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 中国史に記録された最初の宦官は、紀元前1300年ごろの殷王朝の遺跡から出土した甲骨の解読により、すでに宦官が存在していたことが判明している。写真の甲骨文字がその証拠になるが、明らかにチンチンの切除を意味している。

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西太后と宦官たち

 その後、1912年の清朝滅亡まで約3300年間、宦官は中国歴代王朝に存在し続けた。

 最初は刑罰しての宮刑があり、死刑に次いで重い刑罰であった。宮は性器のことを意味しており、宮刑は去勢する刑罰であり、腐刑ともいった。普通の男性を宮廷で働かせると、後宮【こうきゅう】(日本でいう大奥)で皇后や側室と不祥事を起こす可能性がある。皇帝の女に手を出されたら困るので、宮刑に処せられた者や異民族の捕虜を去勢して宮廷で使うようになったのが、始まりとされる。宮刑は隋代に廃止されたため、唐代からは民間で去勢された人物を地方ごとに献上させるようになった。

 宋代になると自主的に去勢して宦官を志願する者が増加するようになるが、これを自宮【じきゅう】という。中国で官僚になるためには、厳しい試験で有名な科挙に合格しなければならない。才能はもちろん、勉強し続けられる財力が必要で、一般庶民にはとうてい無理。そこで、貧困から脱出するために、子孫を残すことを諦めて、チンチンを切るわけだ。しかし、
現在のような医療技術がある訳もなく、去勢した後の傷口から細菌が入って3割は死んだそうだから、宦官になるのも命がけだった。自宮は何度も禁令が出されたが、希望者は後を絶たなかったそうだ。

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 浅田次郎の『蒼穹の昴』はテレビドラマ化もされたので、ご覧になった方も多いと思う。主人公の李春雲は架空の人物だが、実在した最後の宦官・小徳張の逸話が取り入れられている。李春雲は糞拾いで生計を立てていた貧民の子だったが、自宮して老公胡同【ラオコンフートン】で宦官に必要な全てを教え込まれ、紫禁城に入り西太后に仕える。ドラマでは宦官とは言わずに、太監という言い方をしている。

 ここで、清代の去勢の方法を紹介しようね。自分で切ると言っても、自分の手で切るわけではない。刀子匠【タオツチャン】と呼ばれる政府公認の専門家が数人いて、一人銀6両【テール】(現在の日本円で約3万円)を支払えば最後まで責任を持って手術してくれたそうだ。

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北京にある宦官文化陳列館の像

 手術の方法は、まず白いヒモ或いは紐帯で被手術者の下腹部と股の上部あたりを堅く括って止血を行い、次に熱い胡椒湯で3回念入りに消毒を行う。この後、被手術者に「本当に切っていいんだな」と執行の確認をする。切ってしまってから後悔しても、もうどうにもならんからね。さあ、これで準備完了だ。

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 執刀者は鎌状に少し湾曲した小さい刃物でチンチン、キンタマもろともに切り落とし、その後に、白蝋の針、または栓を尿道に挿入し、傷は冷水に浸した紙で覆い、注意深く包む。尿道に栓をしておかないと、傷が盛り上がって来て尿道を塞いでしまうので、死んじゃうからね。それが終わると二人の助手に抱えられて2~3時間部屋を歩き回った後に横臥させられる。手術後、水を呑まないまま3日間寝たままで過ごし、3日後にその栓を抜いた時に噴水のようにおしっこが出れば成功、出ないと失敗で死んじゃう。でも、失敗することはほとんど無かったそうだ。だけど、麻酔してないし痛かっただろうね。

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 で、結果こうなるわけだ。大事なところを切ってしまうと、色々変化が起きる。例えば、尿の射出方向を調整出来なくなり、女性の排尿と一緒で座って排尿しなければならない。男なのに立って出来ないのが屈辱となった。成人になってから去勢した場合、尿管の長さがチンチンが無くなった分半分以下の長さになるため、尿意のコントロールが効かずしばしば尿を漏らしてしまう。それから、去勢されても性欲は残るが、残念ながら出来ない。そこで、宦官の性行為では多量の汗をかき、相手や物に噛み付くなどして性欲を発散させたらしい。

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 去勢の影響で男性ホルモンが分泌されなくなるので、女性的な体型になり、髭が生えないし、眉毛も抜けてしまい、ゆで卵のようなつるんとした顔になる。声も甲高い声になる。若いうちはでっぷりと肥えるが、年をとると肉が落ちてしまい、太った宦官はいなくなる。急激に痩せたぶん無数の皺【しわ】がより、40歳にもなると皺くちゃで60歳以上に見える。歩き方もチョコチョコと小股になり、やや前かがみで遠目から見ても一見して判るようになる。

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 切り取られたあとの男性器は「宝」【パオ】と呼ばれ、これが宦官にとっては一生ついて回るある意味やっかいな代物になる。
宦官は出世をして階級が上がる時、自分の「宝」を上司に見せなければならない。これを「験宝」と言うが、手術が終わった後でうっかり「宝」を刀子匠から受け取るのを忘れたり「験宝」を知らないで宦官になる者も多かったそうだ。昇進の時にあわてて刀子匠を訪れ、自分の「宝」を返してもらったそうだが、その時代金を請求される。これが、なんと多い時には銀50両(25万円)という例もあったそうだ。そのほかにも無くしたり盗まれたりといったこともあったので、他人の物を刀子匠から購入したり借りたりすることもあったそうで、この「験宝」が、刀子匠にとっては大きな収入源ともなった。

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 宦官にとって「宝」が大事な理由はもうひとつ、宦官が死んで埋葬される時に一緒に棺に入れてもらうためだ。あの世ではもとの男性に戻りたいという希望と、もし「宝」がなかったら来世で雌【めす】の騾馬【らば】(雄のロバと雌の馬の交雑種)に生まれ変わってしまうと信じられていたんだってさ。

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 漢代の呂后や、唐の則天武后の例をあげるまでもなく、中国の王朝史には「外戚」の専横や「女禍」による政治の乱れは多く、これと並んで後漢・唐・明では宦官による内廷の政治闘争が頻繁にみられた。宦官は外戚などと違い、皇帝に対抗する子孫を持たず、かつ卑賤身分出身の宦官は常に皇帝の見方として振るまい、皇帝は彼らに助けられて政権欲や物欲の強い官僚を抑えた。結果、宦官は財政や軍事の権限を持つようになったわけだ。後漢の桓帝・霊帝の時には宦官勢力が強大な力を持つようになり、党錮【とうこ】の禁で多くの官僚が宦官によって弾圧され、政治は大混乱した。その一方で、宦官の中には優れた教養と政治能力を発揮した者も多くいた。始皇帝亡き後、秦の政治を牛耳った趙高と司馬遷については前にお話したので、そのほかの有名な宦官を簡単に紹介しておこう。

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 後漢の和帝の時代に製紙法を改良した蔡倫【さいりん】。それ以前も紙はあったが、包装紙として使われており、書写材料には不向きであった。105年、樹皮・麻くず・魚網などを材料に作った紙を和帝に献上、蔡侯紙と呼ばれ広く普及するようになり、751年のタラス河畔の戦いを機に世界中に広まった。蔡倫は安帝の祖母を陥れたとの罪に問われ、服毒自殺したとされる。

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 唐の玄宗の腹心として仕え、権勢を振るった高力士。安史の乱で玄宗らが長安を脱出した際に、禁軍の求めに応じて玄宗を説得し、楊貴妃を縊死【いし】させた奴だ。

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 明の永楽帝に仕えた武将の鄭和【ていわ】。本名は馬三保といい、雲南出身のイスラーム教徒だったが、永楽帝から鄭の姓を下賜された。1405年から7回にわたり南海大遠征をやってのけた。

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 中国最悪の宦官と言われた魏忠賢【ぎちゅうけん】。もともとチンピラだったが、賭博に負けたのが原因で、自分のチンチンを切って宦官となった男だ。宦官として出世街道をひた走り、明の天啓帝の乳母であった客氏と手を組み(実は二人は夫婦になっている)、皇帝を傀儡にして実権を握った。非東林党の首領として東林党の官僚を徹底的に弾圧、全国にスパイを放ち、自分を批判する人間を見つけたら、拷問して殺してしまう。少しでも悪口を言った者がいたら、生皮を剥ぐ、そんな恐怖政治をおこなった。
 権勢を完全に掌握しただけでは飽き足らず、さらに民衆に対して「九千歳」と唱和させた。「万歳」が使えるのは皇帝だけ。なんぼ魏忠賢でも「万歳」は使えず、1万から千引いて9千だ。朝鮮の国王ですら「千歳」で唱和したというのに、こいつは「九千歳」だ。これが、さらにエスカレートして「九千九百歳」までランクアップしたというから、もう笑い話だね。

 天啓帝が死去し弟の崇禎帝【すうていてい】が即位すると、魏忠賢はいっきに失脚。罪を糾弾され、逮捕されると知り首を吊って自殺。遺体は磔【はりつ】にされ、首は晒し者にされた。さらに、彼の一族と客氏も処刑され莫大な全財産は没収、部下たちは殺害、追放された。崇禎帝は李自成の反乱の際に首を吊って自殺し、明は滅びてしまう。崇禎帝に落ち度は無かったので、結局は魏忠賢が明を滅ぼしたわけだ。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2018/11/05 09:15 】

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