なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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玄宗は宮廷の女禍を一掃し、意気と情熱に燃えて政治の革新に乗り出して、「開元の治」と称揚される実績をあげた。しかし、開元の年号が29年で終わりを告げる頃には、玄宗もいつしか遊惰安逸に流れ、奢侈を好む凡庸な君主になりさがっていた。
玄宗は寵愛した武恵妃が没すると、武恵妃の産んだ息子・寿王【じゅおう】の妃であった楊玉環【ようぎょっかん】に目をつけ、740年に息子と離縁させる。玄宗55歳、楊氏21歳の秋であった。いったん女冠(道教の尼)として改めて後宮に召して太真の名を与え、745年には貴妃(後宮で皇后に次ぐNO2)の称号を与えて溺愛したのは745年のことであった。息子の嫁さんを取り上げて自分のものにするなんて不道徳なことは漢民族はしない。玄宗も北方民族の出身だから、そんなの関係ね~。
楊貴妃は美貌に加えて歌舞音曲の才能が溢れていたから、色好みの玄宗は楊貴妃との逸楽に溺れた。白居易の『長恨歌』にいう、「(楊貴妃は)天生の麗質、自ら棄て難く、一朝、選ばれて君王の側に在り、 眸【ひとみ】を迴らせひとたび笑えば百媚【ひゃくび】生じ、 六宮【りくきゅう】の粉黛【ふんたい】も顔色なし。春寒くして浴を賜う華清の池 、温泉の水、滑にして凝脂に洗ぐ。侍児、扶け起こすも嬌々として力無く、始めて是、新たなる恩沢を承【う】けん時ぞ……」と。
楊国忠
玄宗が楊貴妃を溺愛したため、楊貴妃の一族はみな高位にのぼった。なかでも、又従兄弟の楊国忠は 学問を好まずに酒とばくちを好み、一族の嫌われ者であったが、楊貴妃のお陰で出世を重ね、752年に李林甫を蹴落として宰相の地位に上り詰めた。
安禄山
安禄山【あんろくざん】は本姓を康という。康国はサマルカンドのことなので、父親はイラン系のソグド人と考えられる。母親はトルコ系の突厥【とっけつ】人だが、子供がないことを悲しみ突厥の戦神・軋犖山【アツルクザン】に祈って生まれたので、幼名を軋犖山と名づけた。父に早く死別し、母が突厥人の安氏と再婚したので、連れ子だった彼も安姓を名乗ることになった。
安禄山が14歳も年下の楊貴妃の養子になりたいと願い出ると、玄宗は喜んでこれを許した。昔の中国には、洗児【せんじ】という行事があった。これは、生まれて3日目の赤ちゃんを湯に入れて、お客様を招き誕生を祝う宴のことだ。751年1月3日に宮中でこの洗児が行われた。金銀刺繍で飾られた豪奢なオムツをはかされ、官女たちがかつぐ輿に乗せられて登場したのが、なんと安禄山だ。彼の誕生日は1月1日。母となった楊貴妃が息子のために洗児をやったということだ。いい年をした200キロもある巨体のおっさんがオムツ姿で官女に担がれた輿に乗っかっている。安禄山は芸人じゃないよ、今で言えば国境警備軍の隊長の地位にある軍人だよ。ところが、それを見た玄宗は怒るどころか、ご褒美に金銀財宝や豪邸をプレゼントしたんだって。本当に世も末だね。
それ以後、安禄山が頻繁に楊貴妃の居室に出入りして二人で夜を明かすこともあり、二人の醜聞が世間に流れていても、玄宗は全然疑おうとはしなかった。それも安禄山を信じていたというより、愚直な蕃人だからと安心してたんだろうね。
安禄山【あんろくざん】は本姓を康という。康国はサマルカンドのことなので、父親はイラン系のソグド人と考えられる。母親はトルコ系の突厥【とっけつ】人だが、子供がないことを悲しみ突厥の戦神・軋犖山【アツルクザン】に祈って生まれたので、幼名を軋犖山と名づけた。父に早く死別し、母が突厥人の安氏と再婚したので、連れ子だった彼も安姓を名乗ることになった。
6カ国語に通じる商人であったが、節度使(辺境の募兵集団の指揮官)の幕僚となって武人として台頭、中央の官僚に賄賂を贈って昇進を重ねた。政敵を追いやることしか考えていない時の宰相・李林甫は、中国人高官が節度使として辺境で勢力をもつことを恐れた。そこで、節度使にはことさらに異民族や身分の低い者を登用したので、742年安禄山は平盧【へいろ】節度使となった。
安禄山は超メタボで、腹の肉は膝まで垂れ下がり、330斤(195キロ)あったというから、逸ノ城なみだ(ちなみに逸ノ城は227キロある)。彼が帯を締める時は、3,4人の附人が手助けをし、附人の2人はその巨大な腹を持ち上げ、宦官の豬児【ちょじ】が頭でそれを支えている間に締めたという。その巨体でよたよた歩く姿が、なんとなくおかしいということで、楊貴妃はじめ女官たちには大ウケ。
ところが、こんなデブのくせに、玄宗の前でテンポの速い胡旋舞【こせんぶ】を舞う時は、まるで疾風のようだったという。逸ノ城も見習わねばね。
また、こいつは口が上手い。そのでかい腹を見て、ある時玄宗が訊ねた。「お前の腹の中には何が入ってるんだ?」
禄山は、「ただ赤心(忠誠)のみが入っています。」と答え、玄宗はたいそう喜んだそうだ。
ところが、こんなデブのくせに、玄宗の前でテンポの速い胡旋舞【こせんぶ】を舞う時は、まるで疾風のようだったという。逸ノ城も見習わねばね。
また、こいつは口が上手い。そのでかい腹を見て、ある時玄宗が訊ねた。「お前の腹の中には何が入ってるんだ?」
禄山は、「ただ赤心(忠誠)のみが入っています。」と答え、玄宗はたいそう喜んだそうだ。
安禄山が14歳も年下の楊貴妃の養子になりたいと願い出ると、玄宗は喜んでこれを許した。昔の中国には、洗児【せんじ】という行事があった。これは、生まれて3日目の赤ちゃんを湯に入れて、お客様を招き誕生を祝う宴のことだ。751年1月3日に宮中でこの洗児が行われた。金銀刺繍で飾られた豪奢なオムツをはかされ、官女たちがかつぐ輿に乗せられて登場したのが、なんと安禄山だ。彼の誕生日は1月1日。母となった楊貴妃が息子のために洗児をやったということだ。いい年をした200キロもある巨体のおっさんがオムツ姿で官女に担がれた輿に乗っかっている。安禄山は芸人じゃないよ、今で言えば国境警備軍の隊長の地位にある軍人だよ。ところが、それを見た玄宗は怒るどころか、ご褒美に金銀財宝や豪邸をプレゼントしたんだって。本当に世も末だね。
それ以後、安禄山が頻繁に楊貴妃の居室に出入りして二人で夜を明かすこともあり、二人の醜聞が世間に流れていても、玄宗は全然疑おうとはしなかった。それも安禄山を信じていたというより、愚直な蕃人だからと安心してたんだろうね。
754年、玄宗が安禄山を宰相に任用しようとしたが、楊国忠の反対にあって実現しなかった。これを恨んだ安禄山は、755年11月、玄宗より逆賊・楊国忠を討てとの密使を受けたと称し、史思明【ししめい】らとともに、20万の兵を率いて立ち上がった。安史の乱(755~763年)の始まりである。
范陽で兵を挙げた反乱軍は僅か1月で唐の副都である洛陽を陥落させ、756年1月、安禄山は大燕聖武皇帝を名乗り燕国の建国を宣言した。唐軍は洛陽から潼関まで退いたが、司令官封常清は敗戦の罪で、高仙芝は退却と着服(これは冤罪であった)の罪で処刑された。高仙芝といえばタラス河畔の戦いでアッバース朝と戦った高句麗出身の武将として有名だよね。
写真は楷書の四大家の一人である顔真卿【がんしんけい】の「千福寺多宝塔碑」。当時、楊国忠と対立して平原郡太守に左遷されていた顔真卿は、義勇軍を率いて反乱軍と戦い、唐朝のために気を吐いた。剛直な性格のために、時の権勢家と合わず、安史の乱後の785年には、藩鎮・李希烈の反乱に際し使者となった。李希烈は自分の部下になるよう再三にわたって説得したが、断固これを拒否したため殺され、中国史でも屈指の忠君とされる。
ちょっと話が逸れちゃったので、本題に戻そう。やがて潼関が陥落し、反乱軍が長安に迫ると、玄宗は慌てふためいて西方に逃れ、蜀をめざして都落ちした。756年6月13日の黎明、玄宗は楊貴妃、楊国忠、宦官の高力士らを従えて近衛兵に守られて宮門を出た。翌日、長安から西へ75キロの馬嵬【ばかい】に至ったが、乱の原因となった楊国忠を強く憎んでいた兵士達は、楊国忠を惨殺、さらに「賊の本」として楊貴妃を殺害することを要求した。玄宗は「楊貴妃は深宮にいて、楊国忠の謀反とは関係がない」と言ってかばったが、高力士の進言によりやむなく、楊貴妃に自殺を命ずることを決意し、最後の別れをした。楊貴妃は 高力士に伴われて仏堂に入り、仏前で高力士によって絞殺された。ときに楊貴妃37歳。
決起以来、目が悪くなっていた安禄山は、この頃に失明してしまう。超メタボだったから、糖尿病からくる網膜症だろうね。その上、悪性のできものまで出来て、そのストレスから周りの人間に当たり散らすようになり、部下に見放されてしまう。757年1月5日、安禄山は二男の安慶緒【あんけいちょ】によって大きな腹をブスリと刺されて、あっけない最期を迎えた。皇帝を名乗ってから一年、55歳であった。
これに反発した安禄山の盟友・史思明は唐に寝返って節度使に任じられた。しかし、758年に再び背き、安慶緒を殺して大燕皇帝を称した。ところが、761年、末子の史朝清を後継ぎにしようとしたために長男の史朝義によって殺されてしまう。
762年10月、ウイグルの援軍を得た唐は、洛陽の奪回に成功。史朝義は敗走し、范陽に逃れようとしたが、763年1月に追撃され、自殺。こうして8年に及ぶ安史の乱はようやく終結した。
唐はその後も1世紀に渡って存続するが、安史の乱以後は各地の節度使(藩鎮)が自立し、朝廷の力は弱体化した。
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これに反発した安禄山の盟友・史思明は唐に寝返って節度使に任じられた。しかし、758年に再び背き、安慶緒を殺して大燕皇帝を称した。ところが、761年、末子の史朝清を後継ぎにしようとしたために長男の史朝義によって殺されてしまう。
762年10月、ウイグルの援軍を得た唐は、洛陽の奪回に成功。史朝義は敗走し、范陽に逃れようとしたが、763年1月に追撃され、自殺。こうして8年に及ぶ安史の乱はようやく終結した。
唐はその後も1世紀に渡って存続するが、安史の乱以後は各地の節度使(藩鎮)が自立し、朝廷の力は弱体化した。
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