なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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ソンツェン=ガンポはラサ南東のチンワで部族長ナムリ=ソンツェンの子として生まれた。本名はティ=ソンツェン。ソンツェン=ガンポは後世の人間による尊称。後のダライ=ラマと同じく観音菩薩の化身とされた。政敵に毒殺された父に代わって王位に就き、ガル=トンツェンという知謀の宰相を得て勢力を拡大、チベット高原全体をほぼ征服し吐蕃【とばん】王朝を確立した。
634年にソンツェン=ガンポは初めて唐に入貢して公主の降嫁を願い出、当初は唐の太宗も王女の入嫁に同意していた。しかし、吐谷渾【とよくこん】(黄河上流青海地方にあった国で、鮮卑族出身者がチベット人を支配していた)に親唐の政策を採る政権が樹立されると唐はチベットへの入嫁を拒否し、吐谷渾に王女を送った。これに怒ったソンツェン=ガンポは吐谷渾を攻撃し、638年には唐にも侵入した。結局、唐と吐谷渾は賠償金を支払って謝るはめになった。
文成公主
638年、ソンツェン=ガンポの息子グンソン=グンツェンが即位し、640年に唐の太宗は文成公主をその妃として降嫁させた。皇帝の娘を公主と言うんだけど、太宗の実の娘ではない。降嫁した文成公主は王子マンソン=マンツェンを産むが、結婚して3年後に旦那が落馬が原因で23歳で急死。お父さんのソンツェン=ガンポが復位して、3年後に公主と再婚した。息子の嫁さんと再婚するなんて儒教道徳ではあり得ないことだが、チベット人には関係ねぇ~。
文成公主が旦那の死後に建てた寺がラモチェ寺(中国名は小昭寺)で、唐から連れてきた工匠たちによって建設されたという。
ラモチェ寺の本尊が文成公主が中国から持参したという黄金の釈迦牟尼仏像で、12歳のお釈迦さんの姿をかたどったものとされる。でも、お顔があまりにもチベット的で、中国から持って来たという話はかなり怪しい、と僕は思う。実は、文成公主が中国から密かに持って来たものがある。それは繭だ。これによってチベットで養蚕が始まったんだってさ。他にも、文成公主とともに製粉、紙作り、酒造りなどの技術を持つ中国人職人がチベットに移り住んだので、多くの中国の文物がチベットにもたらされた。だから、文成公主は仏さまみたいにお祀りされており、チベット人の厚い信仰の対象となっている。
黄金の釈迦牟尼仏像はラモチェ寺からトゥルナン寺に移されて、トゥルナン寺の本尊として祀られている。トゥルナン寺は一般的に本堂に相当する部分の名称であるジョカンと呼ばれることが多く、中国名では大昭寺。ラサの中心にあり、いつも五体投地する信者さんで溢れている。
この写真もソンツェン=ガンポなんだけど、両側に王妃がおいでになる。向かって右手が文成公主で、左手はネパールから嫁に来たティツィン王女(赤尊公主)だ。トゥルナン寺を建てたのがティツィン王女で、文成公主がこれを助けたと伝えられている。こうしてチベットには中国仏教とインドの仏教が持ち込まれ、両者が混合した独自のチベット仏教が成立することになる。
これチベット文字でオムマニベメフムと書いてある。オムマニベメフムは、「蓮華にある宝珠に幸いあれ」という意味の呪文で、チベットの人はしょっちゅうこれを呟いている。かのオウム真理教の「オウム」と「オム」は同じ意味だ。
ソンツェン・ガンポが、自国の文字を造るために人材をインドに派遣した伝承が残っている。その旅路は苦難に満ちたものであり、チベット人にとってインドの文字は難解だったが、知識を会得して帰国した大臣トンミ=サンボータがインドのブラーフミー文字をもとにチベット文字を発明したと伝えられてる。
唐蕃会盟碑
8世紀に起きた安史の乱を自力で鎮圧できなかった唐は、ウイグルの力を借りてやっとのことで反乱鎮圧に成功する。ところが、これが周辺民族に唐の弱体化を露呈することになり、吐蕃は唐に侵入し、一時長安を占領した。そうした緊張状態が半世紀余り続いたのだが、821年に両国は和解した。これを記念して建てられたのが「唐蕃会盟碑」で、トゥルナン寺の前にある。平成15年にトゥルナン寺を参詣した際に見ようと思いながら、チベットの子供達と遊んでいて見るのを忘れたという苦い思い出がある。この碑文は対等な両国関係をうたっているが、実質的は唐が下手に出て結んでもらった平和条約だ。こうして富強を誇った吐蕃であったが、9世紀後半には王家が東西に分裂して衰退し、877年に滅亡した。
中華人民共和国は「チベットはもともと中国の領土だった」としてチベットを力ずくで支配しているが、チベットは紛れもない独立国である。
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