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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー世紀の受験地獄・科挙

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隋文帝

 中国では官吏を選任することを、「推挙された者を選挙する」意味で選挙といわれた。漢の武帝の時代の郷挙里選、三国時代の魏の九品中正は他薦制のため、有効な人材登用には至らなかった。そこで隋の文帝は、門閥貴族による高級官僚独占の弊害を改めるため九品中正を廃止して、学科試験による官吏登用制度を始めた。その制度が唐の時代に「科目による選挙」という意味で「科挙」と言われるようになった。

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宋太祖(趙匡胤【ちょうきょういん】)

 科挙が、誰でも受験でき(と言っても、もちろん男性だけだが)、公平で客観的な官吏登用制度としての形態を整えたのは宋の時代であった。宋の科挙制の特徴として、それまでの明経科などの諸科が廃止され、進士科に統一された(王安石の改革)こと、試験内容が経義(経書の解釈)・詩賦(作詩)・論策(論文)の三分野となったこと、厳格な試験体制の整備(不正防止の徹底)がなされたことなどがあげられるが、最も重要な意味を持ったのは最終試験としての殿試が設置され、三段階選抜方式が完成したことである。

 殿試が始まったきっかけは973年の科挙だった。この年の合格者を講武殿で太祖が謁見した際、中にはなはだ不作法・無教養な者が2名おり、そのうちの1名は試験の総責任者・李昉【りぼう】と同郷であり、しかも不合格者から李昉は不正をしているとの提訴があったことから、全面的な再試験となり、太祖自らがこれに臨んで先の省試の不正が明らかになったことに始まる。宮廷の殿中で行われることから殿試と呼ばれ、清代の1905年に科挙が廃止されるまで続いた。

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殿試の風景

 皇帝が合否の最終決定権をもったことは、及第者がその恩義に感じ、天子の門下生として終生忠誠をつくすことにつながり、官僚制下の集権体制の確立と皇帝独裁の強化に大きく貢献した。

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 科挙に合格し順調にいけば政府高官として国政に参加できる。そうなると、実入りも多い。だから、みんな試験に狂奔したため、たいへん狭き門であった。それだけに受験勉強も半端ではない。男の子は3歳には、もう母親から漢字を教えられ、6歳からは塾で『四書五経』を丸暗記させられた。これらの文字の数は43万字にものぼり、これを全部暗誦【あんしょう】してしまうと、この数倍の注釈や、目を通すべき歴史・文学などの書物を勉強し、その上、作詩・作文を練習し、問題の解答練習もやった。

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 これは清代の乾隆37(1772)年の殿試において「第一甲第一名進士」に合格した金榜【きんぼう】という人物の答案。どう、素晴らしい達筆ですよね。実はこれも合格の条件。字の汚い奴は絶対合格しない。だから、習字の勉強もしなければならない。

 ちなみに、他の行より2文字飛び出ている行が4行あるけど、これを擡頭【たいとう】と言う。「皇帝」とか敬意を表さなければならない言葉が文中に出て来たら、改行した上で通常の行よりも2字分上から書き出すのが決まり。下の方にあると恐れ多いということだ。
 
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貢院の号舎

 さあ、しっかり勉強して自信がついたら、いよいよ受験だ。時代によって試験の回数が違うので、最も過酷だった清の時代で説明しよう。基本的に試験は3年に1回しか実施されないから、不合格だったら3年浪人だから辛いよ。

 まず、国立学校を受験する。試験は3段階の学校試と、県試・府試・院試がある。院試に合格すると「生員」となり、これで科挙の受験資格が与えられる。

 さあ、いよいよ科挙に挑戦だ。まず地方試験である郷試。郷試は各地の貢院で行われた。貢院は各省の省府にある常設の建物で、内部には「号舎」と呼ばれる長屋みたいな建物があり、これが連続している。

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 号舎は写真のように人がやっと一人入れるくらいの独房みたいな部屋の連続で、部屋の一方の壁はない。試験は3日がかりで行われ、科目ごとの制限時間は特になく、3日以内に全科目の答案を作成すればよいい。

 貢院に到着した受験生たちは、まず見張りの兵士によって所持品検査を受ける。もちろん、四書五経の持ち込みは禁止。所持品検査は厳重を極め、筆の軸を割って中を調べたり、食料として持参した饅頭を割って中を調べたり、お尻の穴まで調べられた。所持品検査を終えて入門を許された受験生は一人ずつ号舎に入れられ、試験が終了するまで3日間、号舎から出ることを禁止された。貢院の門はいったん閉められると、試験が終了するまでいかなる理由があっても開かれず、急病で死者が出た場合には塀を越えて搬出しなくてはならなかった。

 2泊3日の試験を3回やって、これに合格すると、その翌年に挙人覆試・会試・会試覆試・殿試を受験して、殿試に合格すると「進士」の学位がもらえ、官僚の卵となる。「生員」から「進士」になる倍率はなんと3000倍だった。

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 これは1256年の科挙合格者名簿。この年にトップ合格したのは、南宋末の宰相として有名な文天祥だったんだけど、成績第一位の者を「状元」【じょうげん】と言う。ただ、これは慣習として呼ばれていた名称で、正式には写真にある通り「一甲第一名」と言う。第2位が榜眼【ぼうがん】、第3位が探花【たんか】。郷試、会試、殿試の全ての試験においてトップ合格だった者を三元と呼ぶんだけど、麻雀の役である大三元は、ここに由来しているんだよ。

 それと、名簿には生年月日や出身地だけじゃなく、系図まで記入してあるよね。実力主義だといいつつも、出自が問われているということで、名も無き庶民はいつの時代も不利なんだよな。

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 これ金榜【きんぼう】と言って、殿試の合格者名を記した黄金の札。金の字が写ってないけどね。金榜と言えば、さっきの答案用紙を書いた人物だったよね。乾隆37年のトップ合格者、つまり状元だ。合格者名簿と同じ名前。金榜(掲示板)に金榜(人名)という名を連ねることになった。しかも、トップで。きっと親は科挙合格を祈ってこんな名前にしたんだろうけど、それを実現しちゃうなんて、凄いよね。

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 合格者発表の様子を書いた絵だ。合格発表の時には有力者がテントを張り、優秀な人をみつけて婿に迎え入れようとした。そこで、こんな会話がかわされたようだ。「なに、結婚している。では、手切れ金を出すから、是非うちの娘を。その後の援助は惜しみませんよ」。結婚しているからと憮然として断ったという話が伝わるところをみると、ただちに乗り換えた者が多かったみたいだ。

 合格は未来への保障でもある。だから、みんなが殺到する。宋の信宗が自ら言っている。いい女性と結婚したければ勉強しろ。金を儲けたければ勉強しろ、と。だが、金榜に名を連ねるのは至難の業だ。時代によって違うが、その平均年齢はおおむね36歳前後。中には曹松【そうしょう】のように70歳を過ぎてようやく合格できた例もあった。曹松は合格してまもなく死んでいる。何のために勉強してきたんだろうと、虚しくなってしまう。

 無論、受験者の大多数は一生をかけても合格できず、経済的事情などの理由によって受験を断念したり、過酷な勉強と試験の重圧に耐えられず精神障害や過労死に追い込まれたり、失意のあまり自殺したという鍾馗【しょうき】の逸話など悲話も多い。鍾馗さんは学業成就の神さまとなって端午の節句に飾られるけど、なんで不合格者が学業成就の神さまになっちゃったんだろうね。
 
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 合格したい、でも難しい。そこで、こんなカンニング用品を作った奴がいる。手のひらに収まるほどの小さなカンニング用の豆本や、数十万字に及ぶ細かい文字をびっしりと書き込んだカンニング用の下着が現代まで残っている。厳しい所持品検査が行われるのに、こんな物を試験会場に持ち込めたということは、当然賄賂を使ったということだ。

 科挙は皇帝が直々に行う重要な国事だったため、その公正をゆるがすカンニングに対する罰則は極めて重く、犯情次第では死刑に処される場合もあった。賄賂で試験官を買収した大がかりな不正により、多数の関係者が集団死刑にされた事件などの記録も残っている。しかし、科挙に合格できれば官僚としての地位と名声と富が約束されるとあって、科挙が廃止されるまでの約1300年間、厳重な監視にも関わらず様々な工夫をこらして不正合格を試みる者は後を絶たなかった。

 幼い頃から勉強するにも金がいる。賄賂を贈るにも金がいる。だから、受験し得る者はいきおい経済力のある者となり、新興地主・富商階層の子弟がその試験を受け、官吏となった。官吏を出した家は官戸といわれ、三代にわたって多くの特権が与えられた。結局、貧乏人は貧乏人のままだ。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2018/12/26 12:32 】

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