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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー冠を衝く一怒は紅顔の為なり・呉三桂

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ホンタイジ

 ヌルハチの死後、ハンの位についたのは、ヌルハチの第8子、ホンタイジであった(ハンとしてはスレ=ハンという)。本名はヘカンというらしい。お母さんはヌルハチの3番目の正妃・エホナラ(葉赫那拉)氏。ずっと後に「葉赫那拉の呪い」が出てくるんで、ちょっと覚えておいてね。

 ところで、ホンタイジという名前は漢語の「皇太子(ホサンタイズ)」からきたと言われているが、これは彼の母が高貴な家柄の出身だったためで、彼が皇太子としてヌルハチから指名されていたということではない。そもそも漢族と異なり、北方民族にはハンが生前に皇太子を指名するという風習はなく、ハンが死んだあとの後継者は、有力な氏族長たちにより、もっとも有能な者が推戴されることになっているのである。

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歴代王朝の玉璽

 当時の後金は連年の戦争で生産が減少し、李朝(朝鮮)との交易が絶え、明とも交戦中という危機的状況であった。ホンタイジはモンゴル高原を迂回して明を攻める戦略をたて、内モンゴルを攻略してチャハル部を平定し、同部に代々伝えられてきた元朝の玉璽【ぎょくじ】を手に入れた。1636年、これを機に女真族の王朝である金の後継者という意味を込めた「後金」という国号を廃止し、新たに「大清」という国号を採用し、「皇帝」の地位に即いた。満州人、モンゴル人、漢人を包含する帝国の支配者たることを対外的にも宣言したのである。

 さらに李朝を服属させ、モンゴル諸部を平定。中国風の官制を導入し、漢人も登用して、清朝300年の基礎を築いた。こうして次第に女真社会の部族制の伝統から脱して、中国全土を支配する体制を整え、国力の充実を背景に明への圧力を強めた。1638年には征服地を管理する中央官庁として理藩院も設けられた。

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  その後、ホンタイジは一時的に侵攻して北京を脅かしたが、明側も山海関の防衛を固めたため、その支配は山海関の内側におよばなかった。山海関を境界とする明と清のにらみ合いは膠着状態となる中、ホンタイジは1643年8月9日に清寧宮で倒れ、急死した。51歳であった。恐らく脳出血だったろうと言われている。

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ドルゴン

 ホンタイジの後を継ぐ者として最も実力を有していたのはホンタイジの弟ドルゴンであり、これに対抗したのがホンタイジの長男ホーゲであった。ドルゴンはホーゲを蹴落とし、自らが実権を握るために、ホンタイジの第9子で僅か6歳のフリン(不倫を連想しちゃ駄目よ)を皇帝に推し、自らはその摂政となった。

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順治帝(フリン)

 こうして清の第3代皇帝に即位したのが順治帝【じゅんちてい】であった。治世の初めは叔父ドルゴンが専権を振るったが、1651年ドルゴンの死によって親政を開始し、漢人官僚を重用、儒教を国政の中心に据えるなど、中国的君主の色彩を濃くした。しかし、愛妃ドンゴ氏を亡くしてからは気落ちし、1661年に天然痘で急死する。24歳での若すぎる死であった。

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山海関

 話をもとに戻すね。摂政となったドルゴンは山海関【さんかいかん】に全軍を投入して明への侵入をはかった。山海関は「天下第一関」と称される、万里の長城の東端(本当は虎山長城なんだけどね)。この東の地域を「関東」と言って、日本の関東軍の名前はこれに由来するんだ。日本の関東地方とは関係ないからね。

 軍事要衝として山海関の防備はきわめて厳重で、1622年には駐屯する守備隊は兵79,869人、馬匹12,760頭の記録が残っている。不落の要塞で、東北方面から侵入する満州民族を防ぐ最後の砦だった。

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呉三桂

 当時この地の防衛を任されていたのが呉三桂だった(いくら探しても大きな画像は見つからなかった)。ところが、1664年李自成が反乱を起こし、40万の軍勢が北京に迫っていた。明の朝廷は呉三桂を平西伯に封じ、北京の防衛に当たらせることとした。そこで、呉三桂は山海関から北京に向かったが、途中で北京陥落の報を受け、山海関に引き返した。山海関において、西から李自成がしきりに呉三桂に投降を呼びかけ、東からドルゴン率いる清軍が迫っており、呉三桂は窮地に立っていた。まさに前門の狼、後門の虎である。さあ、呉三桂の決断や如何に。

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 この時、父の呉襄をはじめ呉三桂の一族は北京におり、父からの勧告を受けた呉三桂は一時は順への投降を決めていたが、急に翻意してドルゴンに書簡を送り助けを求めたのだ。「いま流賊李自成は天に逆らい皇城を犯しております。どうぞ亡国の孤臣呉三桂の忠義の言葉をお考え下され、速やかに精兵を選んでともに北京を攻め、大義を中国にお示し下さい。わが国もまた国土を割いて、清国に酬いましょう」、と。

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李自成

 ドルゴンは呉三桂の要請を受け入れ、自ら軍を率いて征服の途についた。「仁義の軍を率いて流賊を滅ぼす」という大義名分を得て、山海関内に導き入れられた清軍は、迎え撃った李自成軍に大勝し、北京に向けて進撃した。李自成は、形だけの皇帝即位式をあげたのも束の間、慌ただしく西に向けて北京を脱出せざるを得なかった。北京入城から40日という短い天下であった。李自成は翌年に農民の自警団によって殺害される。

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 呉三桂が崇禎帝の仇を討ち北京を回復するという噂を聞いて、これを歓迎せんものと待ち受けていた北京の人々の眼前に、5月2日現れたのは、見慣れぬ清の大軍と、それに従う辮髪【べんぱつ】にした呉三桂の軍隊であった。

 9月にはフリンちゃんが北京に入城し、皇帝として改めて即位式を行い、年号を順治と定め、北京への遷都を宣言、辮髪令が出された。辮髪はキン肉マンに出てくるラーメンマンのヘアスタイルなんで皆もよく知っていると思うけど、西洋人はこれをピッグテイル pig tail (豚の尻尾とは失礼な)と呼んだ。女真族固有のヘアスタイルだが、敵味方を区別するために、これを漢族にも強制した。漢族は抵抗したが、「頭を残す者は、髪を残さず。髪を残す者は、頭を残さず」と言われたように、従わない者は処刑された。

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珍円円

 では、呉三桂はなぜ異民族に中国を売り渡すようなことをしたのだろうか?いろいろ説はあるんだけど、実はたった一人の女のためだったんだ。その名を珍円円【ちんえんえん】という。蘇州の歌姫で絶世の美女と称せられた陳円円は、もともと崇禎帝のために皇后の父が買い求めたんだけど、皇帝の寵愛を受けないうちに呉三桂が見初めちゃった。陳円円は呉三桂の父親の屋敷に住んでいたが、北京が李自成軍に占領された際に、李自成の武将である劉宗敏に奪われてしまった。これを知った呉三桂は激怒して、態度を一変させ、清に投降して援軍を乞い、李自成軍に矛先を向けたという。同時代の詩人である呉偉業は「冠を衝く一怒は紅顔の為なり」(呉三桂の怒りは陳円円のためだ)と謡っている。

 清軍の北京入城の際に、呉三桂の父や家族らが李自成に殺されているが、その見返りとして呉三桂は平西王に封ぜられ、珍円円を伴って雲南に赴任した。まあ、漢族を裏切って女真族の支配に荷担したということだ。

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 30年ほど後に呉三桂は平南王の尚可喜【しょうかき】、靖南王の耿精忠【こうせいちゅう】らと三藩の乱を起こす。呉三桂は今度は辮髪を切って清を裏切ることになったのだが、かつて清を助けた呉三桂が今さら「反清復明」と叫んでも、「女のために清に荷担した奴が何言ってやがるんだ」と鼻でせせら笑われてしまう始末だ。反乱は9年に及んだが、自滅の形で失敗に終わった。

 陳円円は雲南の宮殿で自殺したとか、殺されたとか、あるいは裏切りを重ねる呉三桂に絶望して出家したなど、さまざまな風説が取りざたされている。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/01/24 16:25 】

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