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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー大乗仏教の成立・クシャーナ朝

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  クシャーナ朝は中央アジアの大月氏国の支配を脱した同じイラン系民族のクシャーナ族が、西北インドに侵入してつくった国家であり、中国の史書(漢書)にも貴霜として現れる。
 
 月氏はもともと中国の西、陝西・甘粛地方に住んでいたが、前2世紀後半に匈奴に敗れて西方のバクトリア(現在のアフガニスタン)に大移動し、大月氏国を建てた。漢の武帝が同盟しようとして張騫を派遣したあの大月氏国である。

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クジューラ=カドフィセス

 大月氏国は国土を有力な5諸侯に分けて統治させていたが、この5諸侯については、大月氏の一族と見る説と、土着のイラン系有力者と見る説とがある。そのうちの一つであるクシャーン人の首長クジーュラ=カドフィセーとが1世紀の中ごろ、他の4諸侯を制圧して王を名乗り、西方のパルティアと戦った。

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 続いて北インドのインダス川流域にも進出し、ガンダーラ地方を制圧した。大月氏はイラン系の遊牧民であったが、ガンジス川流域に支配を及ぼすことによって、次第にインド化し、仏教も取り入れるようになった。

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カニシカ王

 2世紀半ばに即位し、クシャーナ朝全盛期を築いたのがカニシカ王である。彼は首都をガンダーラ地方のプルシャプラ(現ペシャワール)に置き、中央アジアからガンジス川中流域にいたる広大な領土を統治した。また一族郎党を引き連れて、夏はアフガニスタンの高原へ、冬はインド平原へと移動したという。ガンジス川上流域の都市マトゥラーは副都となった。

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 写真はマトゥラー近郊の遺跡から出土したカニシカの銘をもった石彫立像である。頭部を欠いてはいるが、中央アジア風の外套を身につけてベルトをしめ、フェルトの長靴を履いており、「遊牧民らしい出で立ち」となっていてクシャーナ朝が本来遊牧国家であったことをよく示している。

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 ところで、クシャーナ朝では2代目のウィマ=カドフィセース以後、それまで高額貨幣として使われてきた銀貨に代わり金貨が大量に発行されるようになった。当時、ローマは「パクス=ロマーナ」の時期でインドとの貿易が最盛期であった。ところが、南インドからは大量のローマ金貨が出土するが、北インドからはほとんど発見されない。ということは、クシャーナ朝の金貨はローマ金貨を鋳なおして発行したと推測される。

 上に並べたのは金貨の裏面に登場する神々である。左からブッダ、シヴァ神、イラン系のマオ(月神)。カニシカ王はミトラ神などのイラン系を中心に、ギリシア・ローマ系、インド系の神々を採用していて多彩であり、宗教的には寛容策が取られていたようである。

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 カニシカ王は初め仏教を軽視していたが、後に心を改め、首都の近郊に大塔を建立し、またカシュミールで開かれた第4回仏典結集を援助したと伝えられている。さらに、ガンジス川中流域に兵を進めた際、莫大な貢納金を免除するかわりに学僧として名高いアシュヴァゴーシャ(馬鳴【めみょう】)を譲り受けて、都に伴い厚く敬ったという。

 カニシカ王の大塔については、法顕や玄奘も旅行記の中で記している。法顕によれば、塔の高さは40余丈、宝石で飾りたてられ、インドで最も壮麗な仏塔であったという。1909年、直径86メートルもあるこの大塔の遺跡から写真の仏舎利容器が発見された。

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 クシャーナ朝により、仏教にとっては新天地であったインダス川流域にも仏教が広まっていった。こうした時代背景の中で、それまでの出家者中心の仏教に対抗するかたちで、在家信者の立場を重視する大乗仏教の運動が興った。大乗仏教の成立については、従来は平川彰の仏塔(ストゥーパ)信仰の集団から誕生したという説が有力であったが、最近はこれに対する異論も多く、さらなる研究の成果が待たれる。

大乗

 新しい仏教を推し進める人々は、自分たちの仏教を、万人の救済をめざす大乗(マハーヤーナ)、「救済のための大きな乗り物」と称した。「マハー」はジャイナ教の開祖マハーヴィーラのところで出て来たが、「大きい」と言う意味だ。「摩訶不思議」という言葉の「摩訶」はマハーの音訳だ。彼らは、自己の解脱【げだつ】をめざす伝統的な仏教を、独善的な小乗(ヒーナヤーナ、小さな乗り物)と呼んで軽蔑した。初期の大乗仏教徒はえらい好戦的だったんだね。

 小乗仏教という言い方が有名だけど、これは大乗仏教からの蔑称だから、現在は使わない。伝統的仏教は20の派に分かれていたんで部派仏教と呼ぶことにしており、スリランカに伝わったのはそのうちの上座部だ。部派仏教には説一切有部なんてのもあって、部派仏教=上座部じゃないよ。

 大乗運動を担ったのは、菩薩と自称する者たちであった。菩薩とは「ボーディ(悟り)を求めて努力するサットヴァ(存在)」という意味を持つサンスクリット語の音を漢字に写したものだ。部派仏教にも菩薩はいるが、それは悟りを開く前のブッダのことで、当然一人しかいない。でも、大乗仏教では悟りを求めて努力する人はみんな菩薩だ。そして、その努力とは自分を犠牲にして他人の利益に務めること(利他行【りたぎょう】)であると主張した。

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 菩薩というと、一番有名なのが観音菩薩だよね。写真は法隆寺夢殿の救世観音だけどね。その他に「三人寄れば文殊の智慧」の文殊菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩などたくさんの菩薩がいる。こうした菩薩が生み出されたのは、自己を犠牲とする菩薩行の実践は、普通の人間にはきわめて困難だからだ。そこで、菩薩行をすでに十分に積んだ偉大な菩薩を生み出した。その慈悲におすがりして、現世・来世の利益を得ようとしたわけだ。

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 写真はササン朝のナルセ1世のレリーフで、真ん中に国王を挟んで、右が太陽神のミスラ、左が慈悲の女神で水の神であるアナーヒターだ。ともにゾロアスター教の神としてササン朝で厚く信仰された。弥勒はマイトレーヤの音写でミスラ(ミトラ)と語源が同じなので、弥勒菩薩の救世主的性格はミスラから受け継いだ可能性がある。また、観音菩薩はしばしば水瓶【すいびょう】を持つ女性的な姿で表現されることから、水の神アナーヒターに関係すると見られる。

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阿弥陀仏

 それから、僕たちの住む娑婆世界ではブッダはすでに世を去り、次のブッダである弥勒の出現には56億7000万年という気の遠くなるような年月を待たねばならない。そこで、阿弥陀仏をはじめとしてたくさんのブッダも考え出された。

 この阿弥陀も「アミターバ(無量光)」ないし「アミターユス(無量寿)」と呼ばれ、光明を信仰するゾロアスター教の影響で誕生した可能性がある。「空【くう】」の思想で大乗仏教を理論化したナーガルジュナ(竜樹)が南インドの出身なので、南インドで大乗運動が展開されたとみるむきもあるが、西方宗教の影響を強く受けたと考えれば、西北インドが大乗仏教発祥の地であると僕は考えている。

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 この大乗仏教は中央アジアを経て中国・朝鮮・日本にもたらされたので、北伝仏教と呼ばれる。一方の上座部仏教は、スリランカからミャンマー・タイ・カンボジアに伝わったので南伝仏教と呼ばれるが、それは11世紀以降のこと。義浄の『南海寄帰内法伝』によれば、シュリーヴィジャヤでは大乗仏教が信仰されていたし、ジャワのボロブドゥールは大乗仏教の遺跡なので、東南アジアに先に伝わったのは大乗仏教だったんだよ。ああ、それとスリランカにも大乗仏教が伝わってるので、注意しとこうね。長くなったんで、ガンダーラ美術については次に書くね。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/03/03 08:17 】

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