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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーガンダーラ美術の誕生

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 クシャーナ朝の時代にギリシア文化(ヘレニズム文化)の影響をうけて、ブッダの彫像が出現したことはよく知られている。いわゆるガンダーラ美術の誕生だ。ブッダが亡くなって500年後のことである。それまで仏像は存在しなかった。仏教はユダヤ教やイスラーム教のように偶像崇拝を禁止しているわけではないが、恐らく、ブッダがあまりにも尊くて、像には表現できないと考えたんだろう。じゃあ、仏教徒は何を崇拝の対象にしていたのだろうか?

 写真はブッダが悟りを開いたブッダガヤにある仏足石。ブッダの足跡を石に刻んだものだ。お花が供えられているように、今でも信仰の対象になっている。

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 もう少し分かりやすいように、拓本の写真を挙げてみた。扁平足だけど、これはブッダの身体的特徴の一つなんだ。いろんな模様が描かれている。真ん中にあるのが、前にもお話したブッダの説法を表す法輪だ。初期の仏教徒はこれをブッダだと思って拝んでいたんだ。 

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 この写真は有名なサーンチーのストゥーパ。世界史の教科書にも写真が掲載されているよね。前3世紀にアショーカ王が建立したものだけど、四方に塔門が配置されている。なんだか、日本の鳥居に似ているけど、その起源ではないかとも言われているんだ。この塔門にブッダの伝記や本生図(ブッダの前世でのエピソード)が彫られている。

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 写真は降魔成道【ごうまじょうどう】といって、ブッダが悟りを開くのをマーラ(悪魔)が邪魔しようとしているところだ。さて、ブッダはどこにいるでしょうか?はい、一番左のほうに丸いものがあるよね。これ実は菩提樹なんだ。ブッダは菩提樹の下で悟りを開いたんだったよね。菩提樹でブッダをシンボライズしたわけだ。

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 有名なアジャンター石窟の第9窟と第26窟。右の第26窟はストゥーパの前に仏像が安置されているけど、左の第9窟は仏像がないよね。ということは、仏像が誕生する前に第9窟が造られたということで、この時代はストゥーパをブッダそのものとして礼拝していたわけだ。こうして初期の仏教徒は仏像ではなく、仏足、法輪、菩提樹、ストゥーパをブッダとして拝んでいた。

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 それが1世紀になっていよいよ仏像が登場してくるわけだけど、それにはギリシア人が大きく関わっていたようだ。アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王は各地にアレクサンドリアを建設し、ギリシア人を集団移住させた。大王の死後、多くのギリシア人は帰国したが、前250年頃ディオドトスがセレウコス朝から独立し、バクトリア王国を建設する。

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メナンドロス

 前200年頃に即したデメトリウス1世はマウリヤ朝の滅亡で混乱するインドに侵入し、ガンダーラ地方を制圧した。これ以降、インドにおけるギリシア人勢力をインド=グリーク朝と呼ぶが、メナンドロスのもと最盛期を迎えた。メナンドロスはローマ世界でも知られ、プルタルコスもストラボンも偉大な王として記述している。また、インドではミリンダ王といわれ、仏僧ナーガセーナに宗教論争を挑んで破れ、仏教に帰依したと伝えられる。

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 写真は2006年にガンダーラを訪ねた時に、地元の農民から買ったコインで、デメトリウス2世のものと思われる。

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 このコインを買った場所がタキシラのシルカップ遺跡だ。ギリシア人が建設した都市遺跡で、アクロポリスにみたてたハティヤール山の麓に碁盤の目状に都市がレイアウトされており、仏教寺院のほかに、ジャイナ教・ゾロアスター教の寺院もある。

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 タキシラのジョーリアン遺跡のメインストゥーパやその周りにある奉献ストゥーパの基壇には漆喰【しっくい】で造られたストゥコ像が溢れている。上の段はブッダ像であるが、下の段にいるのは天を背負う役目を負わされたギリシアの神アトラスで、インドとギリシアの融合がみられる。

 バラモン教にはカースト規制があるから異邦人である彼らは信仰出来ない。そこで、ガンダーラに入ったギリシア人たちは次第に仏教を信仰するようになった。ブッダの像が欠けた仏伝図は不自然である。そこで、ブッダの像はストゥーパや僧院の装飾として彫られた仏伝図の中に、弟子や信者らに混じってごく自然に姿をみせるようになった。

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 その後、ブッダの姿が他の人物より大きく彫られるようになり、さらに単独のブッダ像の出現となった。緑灰色の硬い石に彫られたブッダや菩薩の像には、彫りの深い顔、流れるような頭髪、衣のひだの線など、ギリシア的な技法の影響が強く認められる。

 これをアレクサンドロス大王の東方遠征の影響とするのはフランスの美術史家フーシェの説だが、今日ではすでに時代遅れである。ガンダーラ美術が誕生するのは東方遠征から400年も後のことである。現在の研究では、ガンダーラの仏教美術にはギリシア、イラン、ローマという三つの文化が影響を与えていると見るのが有力である。

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 また、ガンダーラ仏の誕生とほぼ同じ時代に、ガンジス川上流域のマトゥラーにおいても、赤砂岩という特産の石を材料とした純インド風の仏像彫刻が出現した。このマトゥラーにおける仏像の出現をガンダーラに先行するとみる学者もいるが、ガンダーラで1世紀末にまず仏像が造られ、そのニュースを聞いたマトゥラーの住民が、2世紀初頭に、インドの伝統技術を用いて仏像製作に踏み切ったとするのが自然だろうね。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/03/06 10:02 】

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