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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドースーパー爺さん・法顕

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 法顕【ほっけん】は南朝の東晋で337年に生まれた。3歳で出家し、20歳で具足戒を受け、正式に僧侶となった。仏教の学究を進めるにしたがい、経典の漢語訳出にくらべて戒律が中国仏教界において完備しておらず、経律ともに錯誤や欠落があるのを嘆き、399年、慧景、慧応、慧嵬、道整等の僧と共に長安からインドへ求法の旅にたった。この時すでに64歳。年齢を考えれば無謀な計画であった。三蔵法師で知られる玄奘がインドに向けて旅立つ230年前のことである。

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 長安を出た法顕は、砂漠の東端に位置する敦煌【とんこう】から流沙地帯を西に進み、途中タクラマカン砂漠を横断するという無茶苦茶なルートを通っている。

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 タクラマカンはウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」の合成語と言われ、「死の世界」「永遠に生命が存在し得ない場所」とされる。法顕は『仏国記』の中で、「沙河には悪霊、熱風多く、皆死に絶え一人も生命を全うするものはない。上には飛ぶ鳥なく、下には走獣なし。見渡す限り渡ろうとせん所を探すも何もなし。死者の枯骨を道標にするだけ」と書いており、行程中の苦しさは何事にも比べられないほどだったようだ。その苦しみに耐え抜き、ようやく西域南道のオアシス都市ホータン(于闐【うてん】)に辿り着いた。 その後、「世界の屋根」と言われるパミール高原を越え、ガンダーラを経て中インドに到達したが、6年もかかる苦難の道のりであった。

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アショーカ王宮殿跡の法顕

 法顕が訪れたのはグプタ朝のチャンドラグプタ2世の時代であった。法顕は王舎城などの仏跡をめぐり、『摩訶僧祇律【まかそうぎりつ】』などを収集し、さらにスリランカに渡り、「五分律」や「長阿含経【じょうあごんきょう】などを得た。法顕は都パータリプトラで3年間、スリランカに2年滞在し、ようやく旅の目的を達した法顕は、海路をとってマラッカ海峡を通り、413年青州に帰国した。帰国できたのは法顕のみであり、法顕はすでに78歳であった。法顕は著書『仏国記』(『法顕伝』)の中で、チャンドラグプタ2世を超日王【ちょうにちおう】と記している。

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 インドで仏教研究の中心と言えばナーランダー僧院だが、この僧院は427年にクマーラグプタ1世により創建された。残念ながら法顕帰国後のことであり、法顕はここで学ぶことは出来なかったが、玄奘や義浄はここで学んでいる。仏教学だけではなく、バラモン正統派の教理や哲学、文法学、医学、天文学、数学を学ぶ総合大学で、最多で1万人の生徒と、1,500人の教員がいたというが、1193年にイスラーム勢力によって破壊された。

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 この時期の仏教美術は、優雅なグプタ式仏像彫刻のような純インド的な仏教美術が完成をみた。教科書的にはマトゥラーで造られたブッダ立像が有名だが、写真はブッダ初転法輪の地サールナートで造られた説法するブッダ像で、仏教美術の最高峰に位置する傑作である。

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 グプタ様式というと、忘れてはならないのがアジャンター石窟だ。前1世紀のサータヴァーハナ朝に始まるが、本格的に開削が行われたのはグプタ朝と縁戚関係にあったヴァーカータカ朝のもとでのことであった。開削は7世紀頃まで続き、ワゴーラー川沿いの断崖に幅約550mにわたって30の石窟が彫られている。

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 アジャンター石窟は仏教の衰退とともに忘れ去られていたが、1819年4月、イギリス人士官ジョン・スミスによって偶然発見された。スミスはハイダラーバード藩王国の藩王に招かれて虎狩りをしていたのだが、蔦に覆われた崖に逃げ込んだ虎を目で追っていると、生い茂る蔦の隙間から馬蹄形の窓のようなもの見つけた。ただちに多くの人が動員され、蔦を取り除くと、そこから崖の中腹をくり抜いた多くの石窟が現れた。今でこそ世界遺産となり、たくさんの観光客が押し寄せているが、発見当時はコウモリの住み処となっていたそうだ。見にくいけど、写真よく見てもらうと、ジョン=スミスとサインしてあるのがわかると思う。彼が記念に第10窟の壁面にしたサインなんだけど、当時は貴重な文化遺産に落書きするのは屁でもなかったんだね。

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 アジャンター石窟で一番有名なのが第1窟の蓮華手菩薩だ。右手に黄色い蓮の華を持ってるので、そう呼ばれている。チャイティヤと呼ばれる塔院の本尊であるストゥーパの左側に侍り、S字型体にひねった姿勢をとって描かれている。顔よりも大きな宝冠やネックレスが印象的な装身具、隈取りや巧みな肉感表現で、この画法はアジア各地に伝播し、その後の仏教絵画に多大な影響を与えた。

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法隆寺金堂6号壁阿弥陀浄土図

 法隆寺の金堂壁画はアジャンター石窟と作風が類似していることでも知られるが、直接影響を受けたものではなく、敦煌莫高窟の影響によるものと思われる。しかし、残念なことに1949年1月26日、不審火によって金堂が炎上。壁画は焼け焦げてその芸術的価値は永遠に失われてしまった。この事件をきっかけに文化財保護法が制定され、壁画が焼損した1月26日は文化財防火デーとなっている。

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 アジャンター石窟の70km南にあるのがエローラ石窟。アジャンター石窟は仏教のみの遺跡であるが、エローラ石窟は8世紀を中心とした仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の遺跡である。写真はヒンドゥー教寺院のカイラーサナータ寺院。エローラ石窟の第16窟だが、石を積み上げて造ったのではなく、一つの岩山を100年かけて掘り抜いて造ったというから、びっくりだよね。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/03/13 15:45 】

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コメント

--- なぜ、仏教はヒンズーに取って代わられたのか ---

なぜ、仏教は、阿育王のあと、バラモンを取り入れたHinduに取って代わられたのか?
最初は内因、途中からバクトリア等のペルシャからの攻撃―外因でしょう。

部派の大衆派は、どんな改革をしたのか、クリャトリア層からの反撃は予想されるから、対策をどうとったのか。
結果的に、釈迦仏教によって、社会改革はどう、どの程度、進んだのか?


文献が無いのでは、と畏れます。
現代のインド人はどう考えているのか?
北野正一  *  URL[編集] 【 2019/03/15 11:36 】
--- Re: なぜ、仏教はヒンズーに取って代わられたのか ---

私には荷が重いので、専門書を探して勉強してください。
ホンジュン  *  URL[編集] 【 2019/03/15 15:56 】

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