なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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1044年、ビルマ人による、ミャンマー初の統一王国が誕生した。それが、パガン朝だ。首都はイラワディ川上流のパガン。パガンの名称は「ピュー・ガーマ(「ピュー人の村落」の意味)」が転訛【てんか】したものと言われる。
ビルマ人は南詔【なんしょう】国(雲南を支配した国。902年滅亡し、938年これに代わり大理国が成立した)の支配下にあり、ミャンマーは前3000年頃に定住したモン人やピュー人が治めていた。しかし、832年頃に南詔国がピュー人の王朝を滅ぼしたことで有利となったビルマ人が、しだいに南下してピュー人やモン人を駆逐あるいは吸収していった。
ビルマ人は南詔【なんしょう】国(雲南を支配した国。902年滅亡し、938年これに代わり大理国が成立した)の支配下にあり、ミャンマーは前3000年頃に定住したモン人やピュー人が治めていた。しかし、832年頃に南詔国がピュー人の王朝を滅ぼしたことで有利となったビルマ人が、しだいに南下してピュー人やモン人を駆逐あるいは吸収していった。
アノーヤター王
パガン朝の建国者がアノーヤター王(在位1044〜1077年)である。アノーヤター王の最大の功績は、モン人高僧シン=アラハンの勧めによりパガンに上座部仏教を導入したことであった。それまで上ビルマでは、大乗仏教のアリー派が信仰され、権勢を得ていた。このアリー派は密教的ないかがわしい呪術儀礼などを執り行っていたという。王はタトゥンからシン=アラハンを招き、説法を聞いて上座部仏教に帰依し、アリー派を一掃した。
シン=アラハンは高僧としてビルマ仏教の礎を築き、仏舎利と三蔵を入手するために下ビルマ征服を進言した。王は1057年に下ビルマのモン人の拠点タトゥンを攻略し、そのマヌハ王と約3万人のモン人をパガンに連行した。彼らによりパーリ語一切経の招来、仏教倫理の伝授、文字表記の習得、建築工芸の基礎知識などモン文化がもたらされ、パガンの王宮内ではモン文化が風靡していた。
シュエジーゴン・パゴダ
アノーヤター王はスリランカに使節を派遣し、有名な仏歯を招来してシュエジーゴン・パゴダに祀ったと言われている。パゴダはミャンマー式の仏塔(ストゥーパ)を意味する言葉だが、これ実は英語なんだぜ。ミャンマー語では「尊敬されるべきもの」を意味する「ゼーディー」又は「プドゥー」と呼ばれている。ミャンマーの人々にとって、パゴダはブッダがいなくなって以来、ブッダに代わるものであり、「ブッダの住む家」であるとされる。従ってパゴダを建てることは、ミャンマーでは「人生最大の功徳」とされ、そうすることにより幸福な輪廻転生が得られるとされている。
アーナンダー寺院
シュエジーゴン・パゴダを完成させたのが、第3代目のチャンシッター(在位1084~1112年頃)で、彼はパガン朝の最盛期を現出させた。王はモン人とビルマ人の融和統合に努め、仏教を篤く信仰し、ビルマ寺院建築の最高傑作アーナンダー寺院を建立した。
1190年にモン人僧侶チャパタがスリランカから4人の僧侶を伴って帰国し、上座部仏教のマハー・ヴィーラ派(大寺派)を伝えた。それまではタトゥン派の上座部仏教が勢力を有していたが、王家が大寺派に帰依することにより、同派を受戒する僧侶が多数にのぼるようになった。その結果、大寺派がそれ以外の派を駆逐してビルマに定着し、ビルマを拠点としてこの大寺派の上座部仏教がシャム(タイ)・カンボジア・ラオスへ陸路や河川路などを通じて積極的に伝播し、どこでも一般大衆の篤い信仰を獲得していくことになるのであった。13世紀は。これまでの東南アジア大陸部の各民族の精神価値体系を上座部仏教に塗り替えてしまうほどの大変革の時代であった。
1190年にモン人僧侶チャパタがスリランカから4人の僧侶を伴って帰国し、上座部仏教のマハー・ヴィーラ派(大寺派)を伝えた。それまではタトゥン派の上座部仏教が勢力を有していたが、王家が大寺派に帰依することにより、同派を受戒する僧侶が多数にのぼるようになった。その結果、大寺派がそれ以外の派を駆逐してビルマに定着し、ビルマを拠点としてこの大寺派の上座部仏教がシャム(タイ)・カンボジア・ラオスへ陸路や河川路などを通じて積極的に伝播し、どこでも一般大衆の篤い信仰を獲得していくことになるのであった。13世紀は。これまでの東南アジア大陸部の各民族の精神価値体系を上座部仏教に塗り替えてしまうほどの大変革の時代であった。
パガン朝の多くの王は仏教に篤く帰依し、僧院生活を送ったり、寺院建立に打ち込んだ。その結果、首都はパゴダで埋め尽くされていった。その数は3000を超えるとも言われる。しかし、こうした出費は国力をおおいに消耗させた。
フビライ
最後の王ナラティハパテ(在位1254~87年)は、6年かかって1284年にミンガラーゼー・パゴダを建立したが、「仏寺成って国亡ぶ」と民衆から言われた王であった。当時中国の元のフビライは雲南地方の大理国を併合し、4回にわたりパガン朝にも入貢と臣服を求めてきた。王はこれを拒絶した。そのため元軍が1287年パガンを攻略し、約250年続いたパガンは崩落した。その後のパガンの王は元朝に従属するかたちで統治を許されたが、シャン丘陵から進出してきた新興勢力のシャン人が上ビルマの政治の実権を握り、パガン朝は1314年に滅亡した。
下ビルマはそれに先立ちモン人が勢力を盛り返し、ペグーを拠点とするペグー朝(1287~1539年)の支配が行われた。 ペグー朝は明やヨーロッパとの通商で繁栄した。象牙、宝石などを輸出し、ヨーロッパからはビロードが、中国からは磁器や香料が、インドからは織布が輸入された。1452~59年には、ビルマ史上唯一の女王シンソーブも誕生し、栄華を極めたが、上座部仏教の平和的な教えもあり次第に軟弱化して行った。
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