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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー3本足のカラス・高句麗

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朱蒙

 高句麗(コグリョ)は中国東北部から朝鮮半島北部にかけて活動していたツングース系の半農半狩猟の貊【はく】人により鴨緑江流域に建国された。朝鮮最古の歴史書『三国史記』によると、朱蒙【チュモン】(東明聖王)が前37年に建国したとされる。朱蒙の父は天帝の子・解慕漱【カイボソ】、母は河神の娘・柳花【ユファ】。柳花が日光に感じて朱蒙を生み、夫餘【ふよ】王に養われた。朱蒙は「弓の達人」という意味。弓馬の術に優れていたので、夫餘の王子たちに嫌われて南方に逃れ、高句麗を建国したという。

 もちろんこれは神話であるが、史実としての高句麗の政治的な結集はこれよりも早い。前1世紀の中ごろ、漢の置いた4郡の一つ玄菟【げんと】郡が衰えたことによって、高句麗が自立したと考えられている。

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 部族連合国家であった高句麗は、後漢末に遼東の太守公孫氏に追われて、209年、鴨緑江流域に移り、その北岸に丸都【がんと】城を築いた。これが実質的な建国である。中国が三国時代の分裂期にはいると勢力を強め、4世紀初頭、楽浪郡・帯方郡を占領した。しかしその跡、鮮卑族の前燕の侵略を受けて丸都城が陥落、さらに成長著しい百済との戦いで国王が戦死するなど、苦難の時代を迎えた。

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広開土王

 391年に第19代国王として18歳で即位したのが広開土王である。39歳という若さで亡くなるが、次の長寿王の治世と併せて100年間が高句麗の全盛期となった。広開土王の諱【いみな】は談徳【タムドク】。正式な称号は国岡上広開土境平安好太王で、略して広開土王と呼んでいる。領土を拡大した王という意味であるが、昔日本では好太王という言い方をした。しかし、これでは美称だけの略称になってしまうので、使わない方が良い。

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 広開土王と言えば、有名な広開土王碑だ。この碑は広開土王の死の2年後の414年に長寿王によって建立され、中国吉林【きつりん】省集安市に現存している。碑石は四角柱の角礫凝灰石【かくれきぎょうかいせき】で、高さ6.3メートル、幅1.3~1.9メートル。碑文の字数は総計1775字で、文字の大きさは平均12センチメートル平方。1880年に発見され、84年に日本陸軍の砲兵大尉・酒匂景信【さかわかげあき】がその拓本を入手し、参謀本部で解読したが、この碑文の倭関係記事の改竄【かいざん】、異なった解読、釈文、欠字推定などの問題が提起されている。

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 さて、この碑文で最も重要なのが戦争の記録である。即位4年後の395年、契丹族の稗麗【ひれい】に親征。396年は王が百済に親征して、治世最大の戦果をあげた。398年、軍隊を遣わして粛慎【しゅくしん】族を討った。399年、新羅の要請で倭人の撃退策をねった。翌400年、新羅救援軍を遣わし、倭人と安羅【あら】人を撃った。404年、王は親征して倭と海上で戦った。407年、兵を遣わして、たぶん百済と戦った。最後は410年、東夫餘に親征した。

 さて、ここで問題となるのが、「辛卯【しんぼう】年条」のうち、欠損により判読できない記述のある、「倭以辛卯年来渡〔海〕破百残■■新羅以為臣民」の19字である。■は欠損部分、〔海〕も風化が進んでいて、「海」と読む人と、読めないという人がいて決着がつかない。

 韓国・北朝鮮の学会の異説はあるが、「倭が辛卯年に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった」という日本学会の通説が 正しいと僕は思う。素直に読めば、それ以外の読み方は出来ない。また、帝国陸軍による改竄説については、酒匂本以前に作成された墨本が中国で発見されており、偽造・改竄は完全に否定されている。

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 ところで、韓国のテレビドラマ『朱蒙』をご覧になった方はご存じだと思うけど、写真は高句麗のシンボルマークの三足烏【さんぞくう、サムジョゴ】。中国神話に登場する烏で、太陽に住むとされ、太陽を象徴している。高句麗では天孫の象徴であるとされ、古墳壁画などにも描かれている。

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 この絵は「日神・乗鳳凰図」。中央の円の中にカラスがいるよね。足の数を数えてみて。はい、ちゃんと3本あるよね。サムジョゴだ。

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 実はこの3本足のカラスは日本にもいる。写真は熊野本宮大社の提灯に描かれた三足烏。これを八咫烏【やたがらす】と言って、熊野大神に仕える神として信仰され、熊野のシンボルになっている。咫は長さの単位で18㎝のこと。8咫は144㎝になるけど、ここでは単に「大きい」という意味で使っている。

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 日本神話では、神武天皇御東征の際に、高御産巣日神【たかみむすびのかみ】によって八咫烏が神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和の橿原【かしはら】まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。知ってるとは思うけど、神武天皇は日本の初代天皇。橿原宮で辛酉年1月1日に即位した。この日を現在の暦になおすと、前660年2月11日。これが「建国記念の日」になったわけだが、「建国記念日」じゃないから、要注意。前660年はまだ縄文時代で、天皇がいるはずがない。あくまでも神話なので、この日に日本が建国されたわけじゃない。だから、「建国を記念する日」にしてるんだ。

 ちなみに、池井戸潤の小説『下町ロケット』にも「ヤタガラス」が登場するよね。帝国重工宇宙航空部が進める「スターダスト計画」の宇宙開発ロケットの名前だ。
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 もっと他にも八咫烏がいるんだけど、みんな気がついてるかな?そう、日本サッカー協会(JFA)のエンブレムにも八咫烏がデザインされている。JFAのホームページには、「三本足の烏は、日の神=太陽を表しています。光が輝いて四方八方を照らし、球を押さえているのは私たち日本のサッカー界を統制・指導することを意味しています。」と書かれている。

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 ところで、2018年12月20日、日本の排他的経済水域 (EEZ) 内の能登半島沖で、海上自衛隊のP-1哨戒機が韓国の駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けて問題になっていることは知ってるよね。この駆逐艦の名前がクァンゲト・デワンだ。これ広開土大王という意味なんだよ、知ってた?照射したことは明らかなのに、韓国政府は「やってない」としらばっくれている。ええ加減にせーや。

※朱蒙と広開土王の肖像は、韓国テレビドラマから拝借しました。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/03/31 08:26 】

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