FC2ブログ

なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

カテゴリ

最新記事

fc2カウンター

Facebook

月別アーカイブ

最新トラックバック

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

世界史のミラクルワールドー観音菩薩の化身ダライ=ラマ・チベット仏教

85-2a.gif 

 チベット仏教は大乗仏教がチベット固有の土着宗教であるボン教という呪術的な宗教と融合して独自に発達したものである。以前はラマ教と呼ぶ場合が多かったが、「仏教の堕落した形態」とか、「民間信仰の混淆したもの」というニュアンスがあり、偏見に満ちた蔑称なので使うべきではない。

 7世紀にチベットを統一した吐蕃【とばん】で国教とされていたが、13世紀にモンゴルのフビライによって征服されてからは元の宮廷によって保護された。フビライの国師となったのが、サキャ派の指導者パスパで、彼がチベット文字をもとに作成したのが写真のパスパ文字である。

l_13_02.jpg 
ツォンカパ

 15世紀初めにツォンカパがチベット仏教の改革を行った。それまでのチベット仏教はボン教の要素が強く、呪術的な現世利益を求めるものであったのに対し、戒律を厳しくし仏教本来の倫理性を強めた。

DvNd6K0WwAEWuyZ_convert_20190122092547.jpg 

 この教派は戒律を守っていることを示すために、写真のように黄色い帽子を被っていることから、黄帽派(ゲルグ派)と言われた。これ帽子と言ってるけど、坊さんが帽子を被るということはないと思うので、僕ら日本の坊さんが被っている燕尾【えんび】と同じ性格の物だと思う。この黄帽派に対して従来のチベット仏教を紅帽派、ボン教の呪術を続けているのを黒帽派と呼んでいる。

E38380E383A9E382A4E383BBE383A9E3839E14E4B896_convert_20190122114947.jpg 

 16世紀にモンゴル高原で再び勢力を持つようになったモンゴル人の中のタタール部を率いたアルタン=ハンは、黄帽派の僧ソナム=ギャムツォに深く帰依し、彼にダライ=ラマの称号を与えた。

 ダライはモンゴル語で「広大な海」、ラマはチベット語で「師」を意味する。ゲルグ派の宗祖ツォンカパの弟子を1世としたので、ソナム=ギャムツォは最初のダライ=ラマなんだけど、ダライ=ラマ3世とされている。ゲルグ派では妻帯が禁止されているので、ダライ=ラマは転生と言って先代が死んだ時に生まれた者の中から選ばれて継承され、現在は写真のダライ=ラマ14世である。

Pre_1959_002-chrono1_convert_20190122120514.jpg 

 どうやって次のダライ=ラマを決めるのかというと、ダライ=ラマが没すると、その遺言や遺体の状況などを元に僧たちによって次のダライ=ラマが生まれる地方やいくつかの特徴が予言される。その場所に行って子どもを探し、誕生時の特徴や幼少時の癖などを元にして、その予言に合致する子どもを候補者に選ぶ。その上でその候補者が本当の化身かどうかを前世の記憶を試して調査する。例えば、先代ゆかりの品物とそうでない品物を同時に見せて、ダライ=ラマの持ち物に愛着を示した時、あるいはその持ち物で先代が行っていたことと同様の癖を行ったりした場合に、その子どもがダライ=ラマの生まれ変わりと認定される。

 ダライ=ラマ14世も4歳の時にダライ=ラマとして認定され、1940年に即位した。写真はその時のもので、 まだあどけない少年だ。

img_b35459a816d7097bccb1e4bec1a88832281586_convert_20190122092616.jpg 

 17世紀中頃のダライ=ラマ5世の時には高僧でありながら同時に政治的統治者でもある地位を占めるようになり、ラサにポタラ宮殿を建造してそこに住むようになった。何でポタラ宮殿というのか知ってる?実はダライ=ラマは観音菩薩の化身とされてるんだけど、観音菩薩の住む聖地をサンスクリット語でポータラカと言って、これのチベット訛りがポタラだ。ポタラ宮殿は観音菩薩の住む聖地ということだね。

TP-0000000886-02_convert_20190122092649.jpg 

 ところで、写真は「日光見るまで結構言うな」で知られる日光東照宮だよね。実はこの日光も観音菩薩の住む聖地なんだ。ポータラカを漢字で補陀落【ふだらく】と表記したんだけど、これが訛って二荒【ふたら】、これを音読して「にこう」、ついで別の字が当てられて「日光」となった。

nikko049_convert_20190122092718.jpg 

 その証拠に日光東照宮のお隣に「二荒山神社」がある。昔は二社共通の拝観券があったんだけど、喧嘩でもしたのか、現在は共通券はない。

3-05-0-22-01_convert_20190122092514.jpg 

 チベット仏教のNO1がダライ=ラマなら、NO2がパンチェン=ラマ。チベット第2の都市シガツィエのタルシンポ寺(写真)の高僧で、こちらは阿弥陀如来の化身とされており、もっぱら信仰上の指導者として崇拝されてきた。NO1が菩薩の化身で、NO2が如来の化身だというのは、なんか逆転してるみたいだけどね。パンチェン=ラマも、ダライ=ラマと同じように不死不滅の活仏として転生を繰り返しており、現在は11世なのだが、実はここに大きな問題がある。 

000cf1bdd0220ae9058414[1]

 写真は先代のパンチェン=ラマ10世だが、ダライ=ラマ14世が1959年に国外亡命を余儀なくされた後も、チベット本土に踏みとどまった。文化大革命の時期には投獄され、その後も中国の占領支配下という枠組みの中で活動の自由を大幅に制約されながらも、チベットの文化を守り抜くために必死の努力を重ねてきた。妻帯を許されていないゲルグ派の僧侶でありながら、漢民族の奥さんを持ったことでチベットの人々から非難もされたが、そこには色んな事情があったに違いない。

E38391E383B3E38381E382A7E383B3E383BBE383A9E3839E[1]

 そのパンチェン=ラマ10世が1989年に53歳という若さで急死したのである。暗殺されたという話もあるが、ご覧の通りかなりのメタボであり、心筋梗塞か脳梗塞による急死と考えられる。死因はまあともかく、6年後の1995年5月、ニマという当時6歳の少年が、ダライ=ラマ14世により、その生まれ変わりと認定された。ところが、その3日後にニマ少年は何者かによって誘拐され、今もって行方不明なのである。

000cf1bdd0220d37a0b453[1]

 同じ年の11月に中国政府がノルブ少年をパンチェン=ラマ11世と認定したことで、誘拐犯は明白である。現在北京で教育を受けているノルブ少年(もう29歳だから少年じゃないか)は、この後、中国政府の意向に添いながらチベットに君臨するのだろうが、卑劣な中国共産党には心底腹が立つ。

 そんなこともあり、2014年9月、ダライ=ラマ14世は「私はもう生まれ変わらない」と宣言した。だから、14世が亡くなったら、チベット人の心の拠り所であるダライ=ラマはいなくなってしまう。

※チベットは現在、中国共産党による不当な支配を受けている。本来なら中国史に入れるべきではないが、諸般の事情により近世中国史として扱った。


↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!
スポンサーサイト



テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/02/07 16:40 】

中国近世史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
<< 世界史のミラクルワールドーインダス文明の謎 | ホーム | 世界史のミラクルワードルー十全老人・乾隆帝 >>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | ホーム |