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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー謎のシュメール人・ギルガメシュ物語

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 メソポタミア文明最初の形成者であるシュメール人は、前4000年紀前半にメソポタミア南部に移動してきたと考えられており、 写真のように目が異様に大きい人々である。自らを「黒頭の民」と呼んだが、セム語とは違う言語(日本語に近い膠着語に属する)を用いており、民族系統は現在のところ不明である。宇宙から来たなどという荒唐無稽の話もあるが、創世記では洪水後シナル(シュメール地方)に住み着いたのは「東からやってきた人々」とされており、言語的また容貌的観点からモンゴロイドである可能性もある。

 われわれは「シュメール」と呼んでるけど、原音に近い表記では「シュメル」だそうだ。第2次世界大戦中に「高天原はバビロニアにあった」とか、天皇のことを「すめらみこと」というが、それは「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行したので、シュメル学の先達の中原与茂九郎先生が混同されないように音引きを入れて表記したんだってさ。今でもネットで検索すると、日本人シュメール起源説がいっぱい出てくるけど、誇大妄想だね。

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 彼らは前3500年頃にメソポタミア南部に、ウル・ウルク・ラガシュなどの都市国家を形成した。メソポタミアはギリシア語で「川の間の土地」という意味で、ティグリス・ユーフラテス両河の流域地方をさしている。地図を見てお分かりの通り、現在は合流してシャトルアラブ川になってるよ。

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 彼らの残したウルなどの都市遺跡にはジッグラトと呼ばれる聖塔が建設された。ジッグラトは「高い所」を意味し、神が降臨する人工の山である。写真はウルのジッグラトだが、前2100年頃、ウル第3王朝期の建設で、もちろん復元されたものだ。メソポタミアは沖積平野であるため石材はなく、泥を固めた日干し煉瓦を積み上げ、アスファルトを接着剤としていた。焼成煉瓦ではないから、長い年月風雨に曝されると、元の泥に戻ってしまう。

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 その規模は第一層が底面62.5m×43m、高さ11m、第二層が底面38.2m×26.4m、高さ5.7mで、最上部に月神ナンナを祀る神殿を載せていた。正面の階段はまっすぐに最上部まで達していた。

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 ウルで発見されたもので有名なのが、大英博物館が所蔵している写真の「ウルのスタンダード」と呼ばれる、王家の墓から見つかった高さ22㎝、長さ50㎝の木製の箱だ。「スタンダード(軍旗)」と通称で呼ばれているが、楽器の共鳴箱であった可能性が高い。ラピスラズリなど贅沢な素材が使用され、ウルが経済的に豊かで盛んな交易を行っていたことがわかる。

 左手も王墓から見つかった「茂みの山羊」と呼ばれる遺物で、牡の山羊が樹木に脚をかけている。この樹木は「生命の樹」であり、復活・再生を表しているという説がある。

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 「ウルのスタンダード」の片面は「平和」あるいは「饗宴」の図、もう片面には「戦争」の図がモザイクで描かれているが、「戦争」の図を拡大してみた。戦車が描かれているが、それを牽いている4頭の動物が議論のまととなっている。馬じゃないのと思うかも知れないけど、この頃は馬はまだメソポタミアにいなかったんだ。じゃあ、何かということだが、捕獲され、訓練されたアジアノロバの一種という説があるが、これに反対する説もあり、まだよく分かっていない。

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 シュメール人の文化というと、六十進法や1週7日制など現代まで残ったものがあるが、何と言っても楔形文字の発明である。前3100年頃、ウルクで粘土板による記録システムが発明され、。楔形文字はその後もオリエント世界の諸民族の言語を書き表す文字として共通の文字とされ、アケメネス朝ペルシアまで続いた。

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 その解読に着手したのはドイツ人のグローテフェントであった。彼はイランのペルセポリスの遺跡から出土した碑文を研究し、ペルシア語の解読に成功した。さらに、アッカド語を解読したのがである。イランのザクロス山脈中のベヒストゥーンの絶壁に、巨大なレリーフ像と多くの楔形文字が彫られていることは早くから知られていた。ローリンソンは険しい絶壁に何度もよじ登り、そこに彫られた文字を書き写し、1847年ついに解読に成功した。その結果、この巨大なレリーフと碑文は、ペルシア帝国のダレイオス1世の戦勝を記念するものであることが判明した。

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 写真は現存する最古の文学作品と言われている「ギルガメシュ叙事詩」を刻んだ粘土板である。この叙事詩はウルク第1王朝時代の実在の王ギルガメシュを主人公に、シュメール語で物語られていた伝承が、その後のメソポタミアのバビロニア、アッシリア、ヒッタイトなどの諸民族の言葉に翻訳され、楔形文字で粘土板に書き残された。

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 写真はアッシリア宮殿のレリーフで、ライオンを捕獲し、征服王らしく彫られたギルガメシュである。叙事詩は彼を通して神と人間の交流や英雄の姿を物語る。

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フンババ

 ギルガメシュは友人となったエンキドゥと冒険の旅に出て、レバノン杉の森の番人フンババを神に逆らって殺した(森を開いて文明化することを暗示)。さらに美の女神イシュタルの求婚を拒否し、女神が送り込んだ牡牛を殺したため神の怒りに触れ、エンキドゥは神に殺された。失意のギルガメシュはさらに冒険の旅を続け、箱舟をつくって大洪水を逃れ、永遠の命を得たウトナビシュテムと出会い不死の薬草を手に入れたが不運にもこれをヘビに食べられてしまう、というお話だ。

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 1872年、ジョージ=スミスというアッシリア学者が発表した論文は世界を驚かせた。スミスは、アッシリア帝国の都ニネヴェの図書館跡から見つかった2万数千点の粘土板の中に、洪水の話が出て来るのを興味を持って解読を進めたところ、聖書の「ノアの方舟」の話とおなじような物語が含まれていることに気づいた。さらに解読したところ、この物語はギルガメシュという英雄を主人公にした叙事詩の一部であることが判った。それまでヨーロッパの人びとは『聖書』が世界最古の本であると信じていたので、それに先行する物語の原型があったことに驚いたのである。

 メソポタミアでは洪水によってできたと考えられる沖積世地層が発見されており、ある時期にかなり大きな洪水があったことは確かだ。その記憶が長く伝承に残され、さらに『旧約聖書』に影響を与えたということだね。

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 ところで、大洪水が終わった後、「ノアの箱舟」がどこに流れ着いたか知ってる?写真はトルコ共和国の東端にある標高5,137mのアララト山。その山頂から見つかった古い時代の木の化石や、航空写真から見出だした方形の船の跡らしいものをノアの箱舟の痕跡だとし、ノアの箱舟伝説が実証されたと主張する人もいるんだけど、信じるか信じないかは君しだいだ。
 
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/04/17 12:02 】

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