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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー迷宮の謎・クレタ文明

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 クレタ島の王ミノスの息子アンドロゲオスがアテナイ(アテネ)で横死を遂げるという事件があった。その復讐のためミノス王は大海軍をアテナイに派兵し、これを服属させると、9年に一度、7人ずつの少年少女をクレタ島に送るよう命じた。この少年少女を待ち受けていたのがミノタウロスである。

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 ミノタウロスは人間の体に牛の頭が乗った怪物である。実は、ミノタウロスはミノス王の妃パーシパエーの子なのだが、どうしてこんな怪物が生まれたのか、だ。

 ミノスはゼウスとエウロペの子で、クレタ王アステリオスの養子とされ、のちにその王位を継いだ。王位継承の資格を裏づけるため、ポセイドンに犠牲の牛を海から出現させてくれるよう彼が祈ると、白い雄牛が贈られてきた。しかし、雄牛の美しさに夢中になった王は、ポセイドンとの約束を違え、別の雄牛を生け贄として捧げ、白い雄牛は自分の物にしてしまう。これに激怒したポセイドンはパーシパエーに呪いをかけ、パーシパエーが白い雄牛に性的な欲望を抱くように仕向けた。

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 悩んだパーシパエーは名工のダイダロス(太陽に接近し過ぎたために蝋が溶けて翼がなくなり、墜落して死んじゃったイカロスのお父さん)に命じ、密かに雌牛の模型を作らせる。そして彼女は自ら模型の中へと入って雄牛に接近し、思いを遂げた。

 結果、パーシパエーはミノタウロスという怪物を産んでしまった。ミノスはこれを恥じたが、自分が ポセイドンを裏切ったことが原因でもあり殺すことが出来ず、ダイダロスにつくらせた迷宮ラビリントスに閉じ込めてしまう。毎年、アテナイから送られてきた少年少女はこのミノタウロスの餌食とされていた。

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 アテナイの英雄テーセウスは3度目の生け贄として自ら志願し、クレタ島に渡った。ミノス王の前に引き出されたテーセウスを見て一目惚れしてしまったのが、ミノスの娘アリアドネである。どうしてもテーセウスを助けたいアリアドネはダイダロスに相談し、ラビリントスに入るテーセウスに短剣と糸玉を渡した。

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 糸玉を繰りつつラビリントス奥深くに入ったテーセウスは渡された短剣でミノタウロスを倒し、再び糸玉を繰って無事ラビリントスを脱出、待ち受けていたアリアドネとともにクレタ島から逃亡した。

 有名なギリシア神話の一つであるが、すべてフィクションであると考えられてきた。

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 しかし、すべてが作り話ではなく、一部に史実が繁栄されていることをを証明したのがイギリスの考古学者アーサー=エヴァンズである。彼は私財25万ポンド(当時2億2千万円)を投じて発掘を行った。次回お話するシュリーマンの助手を務めたこともあったエヴァンズは、1900年からクレタ島のクノッソスを発掘し、エーゲ文明の最古の段階であるクレタ文明の存在を明らかにした。エヴァンズはミノス王の文明という意味で、この文明をミノア文明と名づけている。

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 遺跡の中心であるクノッソス宮殿は中庭の周辺に多数の建物が配されており、城壁はめぐらされていない。また神々の偶像や人物像は見つかっていない。

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 斜面を利用して造られた宮殿の一辺は160m以上あり、部屋は1200個以上、部分的には4階建ての建造物すらもあったとされる。1階だけでも小部屋が100以上もある複雑な構造をしており、今日の観光客もどの順で見たらよいか思案するようなこのややこしい大宮殿が、古代のギリシア人に迷宮ラビリントスとして受け継がれたのは不思議ではない。

 クノッソス遺跡では両刃斧(labrys)のモチーフが見られるが、このラビリスを飾った部屋があり、これをラビリントスと呼んでいた。やがてギリシア人は建物全体をラビリントスと呼ぶようになり、そこからミノタウロス伝説を生み出した、と考えられる。ちなみに、英語で「迷宮」のことはLabyrinth(ラビリンス)と言う。
1986年に制作されたアメリカ映画に『ラビリンス/魔王の迷宮』というのがあったよね。
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 写真はクノッソスで見つかった蛸をモチーフにした壺だが、なんとも現代的なデザインだし、この文明を築いた人々が悪意のない人々だということが伝わってくる。城壁がないことからの非常に平和的な人々だったと考えられるが、やがてギリシア人にあっけなく征服されてしまう。

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 これもクレタ文明では有名なイルカが描かれた壁画だ。もちろん復元されたものなんだけど、ひとつ問題がある。壁画にはエヴァンズの想像で書き込まれた部分が多く、「エヴァンズの作品」だという批判がある。また、エヴァンズは当時の最新技術だったコンクリートなどを使って修復・復元しており、だからクノッソス宮殿は世界遺産になれないのだとも言われている。

 それ以上にエヴァンズが批判されるのは、彼の収集した遺品には線文字Aと線文字Bなどが書かれた大量の資料があったが、それを公開せず、自分の所有物にしてしまったことだ。そのため、解読は50年遅れたと言われている。線文字Bの解読については次回お話するね。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/05/08 05:18 】

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