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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドートロイアの木馬と黄金の仮面・シュリーマン②

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シュリーマン

 ハインリヒ=シュリーマンは1822年、北ドイツの貧しい牧師の子として生まれた。彼の著書『古代への情熱』によれば、子供の頃に誕生日のプレゼントとして『子供のための世界史』を父親から贈られた。その中にあったトロイア落城の挿画を見て、その場所を父親に聞いたが、それは架空の話だからと教えられた。それでも遺跡の実在を信じたシュリーマンは、遺跡の発掘を生涯の念願としたという。

 楽しかった少年の頃、そこにはミンナ=マインケがいた。この子だけは彼に共鳴して、「一緒にトロイアを掘る」と約束してくれた。やがて、一家の没落。最も苦しかった雑貨屋の小僧の時代。南米航路の船の給仕になってたちまち難船し、命からがらオランダのアムステルダムに辿り着き、ある商会に勤めた。このあたりから彼の異常な個性が現れてくる。仕事の余暇に、独創的なやり方でヨーロッパの7カ国語を自分のものにしてしまったのだ。僕なんか英語の一つもマスター出来なかったのに。

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クリミア戦争

 1846年、すでに地位も安定した彼は、長年音信不通のミンナに結婚を申し込んだ。彼女が数日前に他の男と結婚したと知った時のショックは大きかった。ミンナと一緒に掘る楽しみは永久に失われたが、商売のほうはトントン拍子にいった。クリミア戦争、アメリカの南北戦争は、インド藍や木綿を取引していた彼の財産を急速に大きくしていった。

 彼は最後にギリシア語の勉強にかかった。ギリシア語を最後にしたのは、その魅力があまりに大きく商売が留守になるのを恐れたからだった。この仕事熱心と、時には奇跡ともいえる幸運によって巨富を築いたシュリーマンは、1864年、41歳で事業から身を引いて2年におよぶ世界漫遊の旅に出、維新前夜の日本も訪れている。その後はパリに落ち着き、初めて考古学の勉強に身を入れた。しかし、長続きせず、1868年、オデュッセウスの故郷イタキ島の発掘にチャレンジしたが、ものの見事に失敗に終わった。

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トロイア遺跡

 これでめげるようなシュリーマンではない。1870年、いよいよトロイアの発掘に乗り出した。当時、トロイアの遺跡の候補地として古代のスカマンデル川に沿う2つの丘が有力だったが、学者達はそのうちの海からだいぶ離れた方をトロイアの跡と見ていた。シュリーマンはホメロスの詩には「海の見えるトロイア」と詠われていることから、トロイアはもっとずっと海に近いはずだと直感し、1873年に大城壁を持つ都市とおびただしい財宝を掘り出すことに成功した。

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 シュリーマンはこれら出土品に「プリアモスの財宝」と名づけ、伝説のトロイアを発見したと喧伝した。シュリーマンは「プリアモスの財宝」をオスマン帝国政府に無断で持ち出し、1881年、「ベルリン名誉市民」の栄誉と引き替えに祖国ドイツに寄贈した。ベルリンにあったこの「財宝」は1945年いらい行方不明になっていた。それがモスクワのプーシキン美術館で発見され、1996年から同館で公開されている。ベルリン陥落の際のどさくさに紛れてソ連が盗んでいったんだ。

 現在、トルコ、ドイツ、ロシアがそれぞれ自国の所有権を主張し、決着がついていない。

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トロイア遺跡に立つ木馬

 トロイア遺跡は9層から成っているが、シュリーマンはその第2層をホメロスの時代の遺跡と考えたが、現在は第7層がそれにあたることがわかってきた。ところが、肝腎の第7層はシュリーマンの発掘の時、ほとんど削り取られて消えてしまっているという。この商人あがりの考古学者は世界の学会を驚倒させたのではあるが、素人であり、発掘技術も進んでいなかった時代とは言え、残念なことである。

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 1876年、シュリーマンはミケーネの発掘に取りかかった。遺跡そのものの存在は古くから知られていたが、問題は王墓の所在である。古代の記録はいろいろな墓の存在を誌しているが、その正確な場所については一言も触れていない。

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ミケーネの獅子門

 学者達はそれらの墓を獅子門より外の下町にあると推測していたが、ここでもシュリーマンはほとんど直覚によって獅子門の内側に狙いをつけた。

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 彼の狙いに狂いはなかった。石板に囲まれた円形墓域の5つの竪穴から出たおびただしい副葬品。特に王冠その他の純金の装身具の豪華さはトロイアの出土品を遙かに凌ぎ、発掘者を驚喜させた。総量10キロを越す黄金製品は「黄金に富むミケーネ」というホメロスの詩句が詩人の空想ではないことを見事に実証した。

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アガメムノンの仮面

 中でもいちばん珍しいのは6個の黄金の仮面である。一つは判別出来ぬほど破損し、一つは頭蓋骨の上に置かれていたが獅子の面であった。他の4つは明らかに男子を表し、その立派な鼻筋からシュリーマンはギリシア人の肖像だと確信した。そのうちの一つはピンと跳ね上がった口髭と豊かな顎髭を示している。シュリーマンはこれがアガメムノンのものであると無邪気に信じて、「アガメムノンの仮面」と名づけた。彼はこの見事な髭によってミケーネの人々がオリーブ油を使っていたと推測した。それは全く正しかった。しかし、仮面の髭は、発掘者の気づかなかったもっと大きな役割を後に果たすのである。

 実はシュリーマンはクレタ島の発掘も企てている。発掘地点は当時オリーブ畑になっていたが、1889年、その土地を4万フランで2500本のオリーブの木ごと買い取ることになった。地主は発掘にオリーブの木は不要だろうと、代価を取りながら、木の大半を別の畑に移植してしまった。シュリーマンはがんらい商人であったからこの地主の処置をひどく怒り、遂に交渉は決裂してしまった。翌年、シュリーマンは死んだので、クノッソス宮殿発掘の栄誉をエヴァンズに譲ることになった。

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 そのエヴァンズが1936年にロンドンで公開講演会を行った。演題は「誰にも読めない文字の話」。クノッソスの発掘では文字の刻まれた大量の粘土板も出土し、注目を集めた。しかも、その文字は従来知られているどの文字とも異なっていた。エヴァンズはクレタの文字を3種類に分類し、それぞれ絵文字、線文字A、線文字Bと名づけた、これらの文字を解読しようと研究者達の試みが始まったが、それは困難を極めた。エヴァンズはこれらの文字の話をしたのである。

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ヴェントリス

 この会場に、誰も読めそうもない文字の話に一生懸命に聞き入る一人のイギリス人少年がいた。すでに7歳の時にエジプト象形文字についてのドイツ語の本を勉強したというこの少年は、この講演を聴いて必ずこれらの文字を解読してみせるとの決意を固めた。少年の名前はマイケル=ヴェントリス、当時14歳であった。しかし、彼は考古学者としての道を歩むことはなく、建築家となった。

 第二次世界大戦後、仕事の傍ら線文字の解読に取り組むようになった。当時はエーゲ考古学の大家であったエヴァンズが、クレタやミケーネの文明は非ギリシア人の文明であり、彼らの文字もギリシア語とは関係がないと主張し、それが通説となっていた。

 しかし、ヴェントリスは研究をするめるうちに線文字Bで書かれているのは古いギリシア語ではないかと気がついた。若い言語学者チャドウィックの協力を得て研究を進めたところ、ギリシア語として解読できることをついに証明し、1953年に学会で発表し、大きな反響を呼んだ。解読を志してから17年後のことであった。ミケーネの人々がギリシア人だと考えたシュリーマンの直感は見事に当たっていたのである。

 線文字Aの解読にも期待がかかったが、ヴェントリスはその研究を完成することなく、1956年わずか34歳で交通事故で亡くなっている。

 ともあれ、エーゲ文明は偉い学者先生ではなく、シュリーマンとヴェントリスという素人によって解明されたわけだ。この二人は子供の頃に夢を持つ大切さを教えてくれる。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/05/15 05:21 】

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