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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー男色で殺された父・アレクサンドロス大王①

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 前5、4世紀のギリシア人にはマケドニアの生活習慣は粗野で遅れていると見えたようで、彼らをバルバロイ(異民族に対する蔑称)と呼んでいたが、このマケドニア人がドーリア系ギリシア人であったことは、ほぼ間違いない。前2000年前後から原ギリシア人の移動の過程で北部山岳地帯に定住した一派だったのだろう。以来、北方のイリリュア人、トラキア人との接触が多かったマケドニア人は、バルカン半島を南下していち早く先進文明に出会ったドーリア人とは異質の社会を形成していった。

 ちなみに、現在のマケドニアに住んでいるマケドニア人は、南スラヴ系のスラブ人種が多数を占めており、古代マケドニア王国と民族的には直接的な関係はない。だから、ギリシア人は「あんたら古代マケドニア人の子孫じゃなないだろう」ってんで、マケドニアを名乗ることに猛反発して来たが、2018年6月にマケドニアは国名を北マケドニア共和国とすることでギリシアとの政府間合意がようやく成立した。

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フィリッポス2世 

 フィリッポス2世は前382年、マケドニア国王アミュンタス3世の第3王子として首都ペラ(現在はギリシア領)で生まれた。15歳から人質として3年間テーベに滞在したが、当時のテーベは前371年のレウクトラの戦いでスパルタに勝利し、ギリシアの覇権を握っていた時期だ。才能を見込まれたフィリッポスは斜線陣の考案者である将軍エパメイノンダスの家で教育を受け、この間にファランクス(密集部隊戦法)や斜戦陣戦法を学んだとされる。帰国後、兄の子の摂政を経て、前359年に23歳の若さで王位についた。

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 フィリッポスは自由農民による長槍歩兵のファランクスを完成し、常備軍を創設した。ギリシアのファランクスは8列×8列の64人の密集方陣であったが、マケドニアはこれを改変して16列×16列の256人とした。これがサリッサと呼ばれる長槍を持って戦う。ギリシアの長槍はせいぜい2.7mだが、マケドニアのものは6mもある。マケドニアのファランクスはまるで巨大なハリネズミのようなものであった。

 フィリッポスはこの密集部隊を使って領土の拡大を図り、金鉱山を確保して財力を高め、巧みな外交政策によってマケドニアを強国とした。攻略した都市をフィリッポイと命名したが、都市に個人名をつけた最初の例である。

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カイロネイアの戦い

 フィリッポス2世はギリシア諸ポリスの神聖戦争に介入、ついで前338年カイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を破り、スパルタを除く全ギリシアを糾合したヘラス連盟(コリントス同盟)の盟主となった。カイロネイアの戦いはアレクサンドロス大王の初陣としても有名である。

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フィリッポス2世の墓?

 ギリシア北部ビエリア山脈の山麓ヴェルギナは、ペラの前に首都が置かれていたアイガイがあったところと推定されているが、そのヴェルギナで1976年に発見された墳墓から見事な黄金の副葬品が多数出土して、世界をわかせた。副葬品の中の陶器から墳墓の年代は前4世紀半ばとみられる。被葬者はフィリッポス2世であろうと推定されていて、この推定を疑問視する見解もあるが、それを否定する材料は今のところ現れていない。

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アレクサンドロス

 フィリッポス2世は全部で7人の妻をめとったが(マケドニアは一夫多妻制)、4番目の妻オリュンピアスとの間に生まれたのが、後に大王と呼ばれるアレクサンドロである。伝承によると、フィリッポス2世の祖先はヘラクレス、オリュンピアスの祖先はアキレウスで、血統的にはアレクサンドロスはギリシア世界のサラブレッドだ。また、オリュンピアスはフィリッポス2世との結婚の前夜、子宮を雷で撃たれた夢を見た。そのことから、彼女は息子アレクサンドロスのことを「ゼウス神の子」と呼び、とても可愛いがった。

 それに対し、フィリッポス2世は大人しいアレクサンドロスに、それほど将来性を感じていなかったようだ。ところが、アレクサンドロスが11歳のころ、フィリッポス2世がアレクサンドロスの評価を改める出来事が起きる。

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 商人がとても良い馬を売りにやって来たが、非常に気性が荒く、誰一人乗りこなすことが出来なかった。フィリッポス2世はこの馬を買うのをやめようと思ったが、アレクサンドロスがこう言った。

 「私が上手く乗りこなせたら、あの馬を私に買っていただけますか?」

 フィリッポス2世は「面白い」と思い、アレクサンドロスにやってみさせた。すると、大人ですら乗りこなせなかったに、アレクサンドロスはこれを見事に乗りこなしたのである。

 これにフィリッポス2世は興奮して立ち上がり、こう叫んだ。

 「息子よ、マケドニアはお前には狭すぎる。お前に見合う王国を探すが良い!」

 この馬はブケファラスと名づけられ、アレクサンドロスの愛馬としてアジアへの遠征にも同行することになる。

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 フィリッポス2世は息子の教育にも熱心で、よい家庭教師を求めたが、その中の一人がアリストテレスだった。「万学の祖」とも言われるあの大哲学者である。この時、アレクサンドロスは12歳、アリストテレスは41歳であった。フィリッポス2世はミエザに学園をつくり、ヘファイスティオンやプトレマイオスなど貴族の子弟と共にアレクサンドロスにギリシア的教養を身につけさせた。アリストテレスに3年間学んだアレクサンドロスの学問とギリシア文化への愛好は、終生変わることはなく、共に学んだ「学友」たちは、後にアレサンドロスを支える将軍となった。

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 さて、前336年春、フィリッポス2世は次なる大目標であるペルシア遠征に着手、重臣のパルメニオンらの率いる先遣部隊を小アジアに上陸させ、次々とギリシア諸都市を解放していった。いよいよ本隊を率いて出発する前に、フィリッポスは娘クレオパトラ(母はオリュンピアス。アレクサンドロスの妹)と隣国モロッソイの王子アレクサンドロス(同じ名前ばかりで頭が混乱)との結婚式を挙行した。初夏の古都アイガイでの祝典はペルシア遠征の壮行会を兼ね、盛大に行われた。ところがその翌日、劇場で行われた結婚披露の音楽競技会の開会式典で、フィリッポスは護衛の貴族パウサニアスの凶刃に倒れてしまう。

 実行犯パウサニアスは劇場を飛びだし、逃走用に用意してあった馬に向かって走り出したが、護衛兵たちが追いかけ、彼を取り押さえて槍で殺した。劇場の観衆の目前で白昼堂々と行われた暗殺劇。栄光の絶頂から一瞬にして奈落の底へ。フィリッポス2世は47歳。まさに人生の盛りにおける不意打ちの如き最後だった

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オリュンピアス

 真犯人は誰だ?オリュンピアスとその子アレクサンドロスの陰謀だったという説がある。その理由はフィリッポス2世が前337年にマケドニアの大貴族の娘クレオパトラ(さっきのクレオパトラじゃないよ)に恋して、彼女を7番目の妻とすると、フィリッポスとアレクサンドロス母子との間の軋轢が生じ、母と子はオリュンピアスの故国エペイロスに帰ってしまった。この里帰り事件を根拠に二人が真犯人だといういう説が真実味を帯びて唱えられた。もし二人の間に男の子が生まれれば、アレクサンドロスの王位継承権が奪われるかもしれないという恐れがあったからだが、現在までの研究ではほぼ否定されている。

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 実は暗殺者パウサニアスには王を殺す個人的な理由があった。同性愛関係のもつれが原因でフィリッポス2世に恨みを抱いていたのである。たったそれだけで、と言われそうだが、ギリシアと同じく男性間の同性愛が普通だったマケドニアでは、けっして珍しい事ではない。事実、前5世紀末のアルケラオス王も、同性愛が原因で若い愛人(もちろん男性)に殺害されている。王族同士の血なまぐさい争いや粛清が日常茶飯だった世界では、王の暗殺すら突出した出来事ではなかったのである。

 まあ何れにしても、フィリッポス2世の東方遠征という事業は、息子のアレクサンドロスが継承することとなったのである。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/05/29 05:09 】

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