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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー禿の女たらし・カエサル①

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カエサル

 カエサルは前100年7月13日に、ローマの貧民街スブラのなかにある邸宅で、名門ではあるが貧乏な貴族(パトリキ)の子として生まれた。カエサルは子宮切開によって生まれたので、「帝王切開」の帝王とはカエサルのことであるとする説がある。しかし、古代ローマの帝王切開は、妊娠末期に妊婦が死亡した場合、胎児を助ける目的で行われたものだが、カエサルの母はカエサルが40歳を過ぎるまで生きていたので、この説はただの俗説だ。

 カエサルの正式名はガイウス・ユリウス・カエサル。ローマ市民の正式名は個人名・氏族名・家族名の3つを順に用いるので、カエサルは日本風に言えば、ユリウス氏族のカエサル家のガイウス君、ということになる。カエサルはエジプトの太陽暦をもとにユリウス暦を定めたが、腹心のアントニウスに提案させて、自分の生まれた月に自分の氏族名Juliusの名をあてはめさせた。だから、英語で7月は July となった。

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カエサル

 スエトニウスの伝記によれば、カエサルは長身で均斉のとれた身体であった。しかし、禿げ上がった大きな頭と張り出たえら、口をへの字に曲げ下唇が突き出ていて、決して美男ではなかった。月桂冠を被ると禿げ頭が隠れたので、被ると喜んでいたそうだ。でも、女性にはもてたらしく、やや誇張と思われるが、一説によれば元老院議員の3分の1が妻をカエサルに寝取られたと伝えられている。そんなわけで、政敵どころか部下にさえ「禿げが来たら妻を隠せ!」なんて言われていたそうで、部下はカエサルのことを「禿の女たらし(モエクス・カルウス)」と呼んだ。そう呼ばれても、カエサルは笑っているだけで、怒らなかったというから、男らしい。

 でも、カエサルは女たらしでありながら、バイセクシャルのいかがわしい噂は絶えなかった。ある演説の中で、「あらゆる女の男であり、あらゆる男の女よ」と揶揄されている。それに借金するのもうまかったらしい。限りなく俗っぽいのだが、物事を成し遂げる決断力と行動力は限りなく卓越していた。

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スラ

 カエサルは最初の妻コルネリアを31歳の時に病で亡くし、33歳でスラの孫娘ポンペイアと結婚している。スラは閥族派の首領で平民派のマリウスと激しい争いを展開した。マリウスはカエサルの義理の叔父であったので、カエサルはその命をスラに狙われ、ローマを逃げ出したこともあった。

 その孫娘と結婚したのは、どうも財産目当てだったようで、その財産を買収や陰謀に使った。ところが、ポンペイアは浮気性で、クロディウスという青年と密通、それが発覚したのでカエサルは38歳の時、ポンペイアを離婚した。なんと、カエサルはこのクロディウスを腹心の部下としてしまった。いかにカエサルが人心をつかむ能力に優れていたかがわかる。

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 カエサルは当初、ごくありふれた公職経歴を踏襲していたが、30歳頃から平民派支持の姿勢を鮮明に出すようになる。カエサルは弁舌にも優れており、彼の堂々とした話しぶりは多くの人々を引きつけ、大神祇官、法務官を歴任し、そののち属州ヒスパニアで戦果をあげて、前60年ローマに帰還した。閥族派の嫌がらせにあって、利害を一にするポンペイウス、クラッススと協調の密約を結ぶことになる。第1回三頭政治の始まりである。両人の後押しで、カエサルは前59年のコンスルに就任した。

 ローマの年号は慣例でコンスル両名の名前で表す。しかし、この年は「ユリウスとカエサルがコンスルの年」と言って、ローマ人はふざけたらしい。同僚コンスルのビブルスはあまりにも格が違いすぎ、不吉なお告げなどを持ち出してへまばっかりしていた。挙げ句の果てに自宅に閉じこもってしまった。だから、すべてをカエサルが取り仕切ったというから、この年をカエサルの氏族名と家族名で記して面白がっていたのである。

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カティリーナを非難するキケロ

 カエサルの娘ユリアがポンペイウスに嫁ぎ、両者の絆は深まる。コンスルの任期終了にともない、5年間にわたるコンスル代行の指揮権を獲得した。カエサルの腹心の部下クロディウスは護民官に就任し、ローマ市民を訴訟手続きなしで死刑にした者は追放されるべしという法案を通過させる。それまで野心家クロディウスはキケロに裁判で苦杯をなめさせられていた。そこで好機到来とばかり、カティリーナ一味の裁判でのキケロの主張を逆手にとったのである。キケロは1年間の亡命生活を余儀なくされる。

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ポンペイウス

 前58年、獲得した指揮権にもとづき、カエサルは一路ガリアに向かう。彼にとって何よりも欲しいものはポンペイウスを凌ぐほどの武勲であった。ポンペイウスはと言えば、地中海の海賊を一掃、スパルタクスの反乱を鎮圧し、ミトリダテス戦争にも勝利している。それを凌ぐ武勲が欲しい。

 その後の征服戦争の模様は自著『ガリア戦記』をひもとけばいい。彼のラテン語は簡潔にして要を得ているばかりか、虚飾や情念のまじらない名文の模範と言われる。キケロすら何ら手を加える余地はないと絶賛するほどだった。

 当時ガリアの地に住むのはケルト人であり、まだローマの勢力は及んでいなかった。最初の3年間は、不穏な動きをみせるヘルウェティイ族やライン川を越えて侵攻するゲルマン人を撃退する戦いだった。それらの中でも勇猛なベルガエ族を打ち破ったことで、カエサルの名声は高まる。さらに、戦利品の収益がカエサルの財源をうるおし、それをローマ政界にばらまきながら勢力地盤を掌握していった。

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キケロ

 同時に勢いづくカエサルへの対抗の動きも目立ってくる。その基板となる三頭政治の同盟関係をぶち壊そうと懸命になっていたのが、復権したキケロであった。カエサルはそうした危険な匂いをすぐに嗅ぎつけ、数日のうちにポンペイウスとクラッススに会見している。前55年、ポンペイウスとクラッススは再び一緒にコンスル職に就き、その後5年間の指揮権をも獲得する。カエサルもまた5年の指揮権を延長され、ここに三頭政治は更新されることになった。

 しかし、その関係が決裂する日は着実に近づいていた。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/06/30 05:23 】

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