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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーイギリス班蛭ガ小島・アルフレッド大王

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 北ヨーロッパに住んでいたゲルマン人の一派はノルマン人と呼ばれ、375年に始まるゲルマン人大移動の時にはまったく移動しなかった。しかし、彼らの一部は8世紀後半から、商業や海賊・略奪行為を目的として、ヨーロッパ各地に本格的に海上遠征を行うようになった。彼らはヴァイキングと呼ばれ恐れられたが、ヴァイキングは入り江(ヴィーク)に住む人々」という意味である。

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 ヴァイキングの使用した船、ヴァイキング・シップには、「ロング・シップ」(長い船)と呼ばれる、喫水線が浅く、船腹の狭い、速度が速いので主として戦闘用に使われた軽舟と、「クナル」と呼ばれる、容積も大きく交易用に使われた大型船の二種類がある。いずれも樫その他の木材で造られ、甲板はなく舷側は二枚張りで、人力による櫂と風力を利用する帆を併用した。ヴァイキング・シップは喫水線が浅いので、河川をさかのぼって内陸深く侵入することが可能だっだ。
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 これらの船を利用して、彼らは入り江を拠点に盛んに外洋を航行する船舶を襲うようになり、さらに人口増加の圧力から各地への植民に乗り出した。10世紀初めロロが率いる一派は、北フランスに上陸してノルマンディー公国を建てた。ここからさらに分かれた一派は、12世紀前半、南イタリアとシチリア島に侵入し、両シチリア王国を建国した。また、ノルウェーのヴァイキングはアイスランド、グリーンランドからさらにアメリカ大陸にまで到達した。

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 大ブリテン島では5世紀に移住して来たアングロ=サクソン人によって七王国(ヘプターキー)が成立していたが、8世紀の末頃からデンマークを本拠とするデーン人の侵攻に脅かされるようになった。

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エグバート(「ヴァイキング ~海の覇者たち~」」より)

 ウェセックスの王家出身のエグバートは王位争いに敗れ、大陸に亡命してフランク王国のカール大帝に保護された。諸制度について学び帰国して勢力を回復し、829年、アングロ=サクソン系の七王国をすべて支配下において、イングランドを統一した。イングランド王国の誕生である。

 しかし、その死後20年のうちに、ウェセックスを除く中・北部の領土はすべてデーン人の占領下に奪われ、ロンドンもその支配下に入った。これに敢然と立ち向かったのがエグバートの孫アルフレッドである。

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アルフレッド大王

 871年、アルフレッドが即位した時、デーン人の勢力はウェセックスの東部にまで広がっていた。アルフレッドは何度か彼らに敗れて、ついに南西部に追い払われ、エセルニーという小さな島に立てこもらなければならなくなった。平治の乱に敗れて伊豆の蛭ガ小島に流された源頼朝の話は、300年後のことであるが、配所にあって隠忍自重し、機会をつかんで反撃に立ち上がり、やがて天下を統一するところはアルフレッドの場合とよく似ている。

 伝説によると、この島で王の一行はとある農家に宿を借りた。その家のお婆ちゃんは、まだショックから立ち直れないアルフレッドを見て、呆れたように言った。

 「いい若いもんが、ぼさっとして。宿を借りるなら手伝いでもしてくれよ。今からパンを焼くから、焦げないように見張るんだ」

 「あっ、はい」

 アルフレッドはお婆ばちゃんに言われるがまま、パンを入れた炉の前に座った。しかし、ヴァイキング対策で頭がいっぱいで、パンのことはすっかり忘れてしまった。
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 帰宅したお婆ちゃんが焦げ臭さに顔をしかめ、あわてて炉に駆け寄った。

 「ちょっとあんた、パンを見てろって言ったのを聞いていなかったのかい!」

 「あっ、すんません」

 「すんませんじゃあないよ! この焦げたパンはあんたが責任持って食べなよ。アツアツでさぞ  うまいだろうさ」

 そう言うとお婆ちゃんは、箒でバシッと王を叩いた。

 「無礼者! 王に何をする」

 家臣があわてて咎めると、お婆ちゃんはびっくり仰天。即座に謝まった。

 しかしアルフレッドは、「いや、約束を破ったのは自分だから。パンを焦がしてしまってすまなかった」

 そう告げると、唖然とするお婆さんを後にして農家を立ち去ったという。

 その後、878年、アルフレッドはエディントンの戦いにデーン人を破り、イングランド王国の再建を成し遂げ、886年にはロンドンを奪回することに成功した。アルフレッドはデーン人との間でイングランド北東部の統治権(デーンロー)を認める条約を結び、戦闘を終結させて、自らはイングランド南西部の支配権を保持した。

 アルフレッドはまた学芸の保護にも力を注ぎ、ラテン語古典の翻訳や法典、歴史の編纂が行われた。カール大帝の起こしたルネサンスがここでも実を結んだのである、

 そのため、アルフレッドは「イギリスのカール大帝」と言われ、イギリス史上唯一の「大王(グレート)」と称されるのである。 

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/07/24 05:02 】

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