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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーそは神のみ旨なり!・十字軍①

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 十字軍は遠い昔、遙かなる国で起こった騎士道華やかな戦争絵巻物としてのみ回想されるべきではない。それはヨーロッパが一つのまとまった世界として、受け身の立場を捨て、積極的に海外へ進出し始めたことを示す最も明らかな証言でもある。それは、ヨーロッパの「成人」を物語る事件であった。

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ウルバヌス2世

 当時の『年代記』は次のように書いている。「主の紀元1095年、ドイツの自称皇帝ハインリヒ4世の治世、フランスのフィリップ1世の御代、ローマ市には聖なる教会をさらに権威あらしめるため、日夜賢明かつ熱心に努力を続ける、称賛すべき教皇ウルバヌス2世が君臨していた。この方はそのころ東ローマがトルコ人に侵され、当地のキリスト教徒が激しい攻撃に曝されていることを知り、アルプスを越えてフランスに赴き、オーヴェルニュなるクレルモンに宗教会議を招集した。300余名の高位聖職者が参列したその席上、ウルバヌスは雄弁と熱誠をもって、聖なる教会の救援に立ち上がるべきことを説いた……」と。

 フランス生まれで、クリュニー育ちのウルバヌスは背の高いスマートな体格をもち、立派な髭をたくわえ優雅な態度の持ち主で、その弁舌はことのほか爽やかであったという。人々は魅せられたように、その演説に聴き入った。

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 私の最愛の兄弟たちよ、私はあなた方に聖なる勧告をするためここに来た。すなわち主があなた方に托された羊飼いの任務を果たすように勧めるためである。それには盲人が盲人の手をひくことがないように、あなた方自身が方正でなければならない。その上で教権を俗権から解放するため、私的聖職任命をやめさせよ。公安を保つため「神の休戦」を勧め、私的な闘争を中止させよ。

 諄々と教会改革を説いた後、ウルバヌスはいよいよ十字軍の勧説にとりかかる。

 今ここにもう一つ重大な提案がある。東方のトルコ人がローマ領に侵入し、キリスト教徒の土地を奪い、人々を殺し、教会を焼き、神の王国を滅ぼそうとしている。私はあなた方がすべての人々に十字架をとって立ち上がるよう勧めることを切に望むものである。

 ヨーロッパ内部の改革と団結とを条件とし、東方の同胞の援助を大義名分として、全キリスト教徒の決起を促した時、会衆の中から期せずして、「そは神のみ旨なり!」という叫びが上がり、堂内にどよめき渡るうち、ル=ピュイ司教アデマールが遠征軍総司令官に任命され、一同声高らかに告白の祈りを唱えつつ散会となった。一瞬にしてこの遠征が承認され、場外にいた群衆を興奮の渦に巻き込み、電撃のように西欧各地に伝わったこの衝動は世に「クレルモンの神秘」と言われている。2世紀間にわたる大遠征の幕はいよいよ上がろうとしている。

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 「クレルモンの神秘」に魂を奪われて、その場から取るものも取り敢えず先発隊となって飛び出して行ったのは、アミアンの隠者ピエールという狂信的な修道士の率いる庶民の一隊であった。計画も準備も、規律も装備もないこの烏合の衆は、
東進の途上でユダヤ人を各地で虐殺し、ハンガリー王国や東ローマ帝国内で衝突を繰り返しながら小アジアに上陸した。
 
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「ニカイア近郊における民衆十字軍の壊滅」


 しかし、ルーム=セルジューク朝のクルチ=アルスラーン1世によって蹴散らされ、ほとんど全滅の憂き目を見ながらも、情熱一筋にイェルサレムを遠望するところまで行きついた。そこで後続の正規遠征軍の到着を待って、第1回の攻城戦に参加したのであるが、その凄惨な戦闘に恐れをなして、戦場から逃亡する兵士が続出した中に、この憐れな隠者の姿があったということである。

 この十字軍は民衆十字軍と呼ばれ、十字軍の回数には数えない。正規の遠征軍ではないということもあるが、あまりにもみっともないからであろう。

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ハインリヒ4世

 しかし、教皇ウルバヌスの胸中に熟していた大計画はそんな即興的なものではなかった。皇帝ハインリヒ4世の全盛時代に即位した彼は、宗敵クレメンス3世がいるローマに入れず、フランス各地をうろついて歩く影の薄い存在であったが、10年後には戦争一つやらずにローマの主となり、檜舞台から全ヨーロッパに号令をかける大立者になっていた。そこに彼のなみなみならぬ頭脳と手腕とがあったわけである。クリュニーの理想は抱いていても、グレゴリウス7世の単純な強引さをとらなかった。

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東ローマ皇帝アレクシオス1世

 
 まず、トルコ人による被害を誇張することによってヨーロッパの耳目を東方へ引きつける。実は東ローマ皇帝アレクシオス1世からの援助要請は少数の傭兵の派遣ということであった。そこへ大遠征軍を送ることは「牛刀をもって鶏を裂く」ようなものである。これには東方教会を教皇権に下に併合しようという下心がある。

 次にフランス人をおだてて遠征の主役を務めさせることである。「フランス人による神のみわざ」という言葉が当時の十字軍の呼び名になっている。これはフランス人によってドイツ帝権を牽制しようという腹である。

 同時にそれは好戦的で、領地の不足のため私闘に明け暮れる封建騎士の精力を異教徒との戦いに転ぜしめる方便ともなる。そして、総司令官を教皇の代理と定め、遠征参加者はすべて聖職者の許可を受けさせ、教会の指導性を確立しようとする。その代わり十字軍には罪の許し、留守中の家族の生活・財産の保証を与え、戦死者には永遠の生命を約束する。諸侯たちには領地征服をすら認めてやる。

 ウルバヌスの魂胆はかくも複雑なものだったのである。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/08/07 05:19 】

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