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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーお人好しのジャン2世・百年戦争①

前期  

 百年戦争は1337年から1453年までフランスを戦場に、イングランドとフランスの間で断続的に行われた。戦争が長期にわたった原因は,イングランド王がフランス国内に領土を有し、フランスの王位継承権を争ったことにある。イングランドのウィリアム1世によるノルマン=コンクェスト以来,イングランド王が同時にフランス王の封臣として大陸に封土を有したことにより、以前から両国はこの問題で確執を繰返していた。さらに中世最大の毛織物生産地であるフランドルをめぐる両国の対立、またワインの特産地で当時イングランド領であったギエンヌ地方の領有問題がからんでいた。

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 カペー家のフランス王シャルル4世が嗣子を残さず没すると、イングランド王エドワード3世はその母がフランスのカペー家の出身であることを理由に王位を要求、フランスの貴族はエドワードの王位請求を退け、シャルルの従兄バロア伯をフィリップ6世として王位につけ、これにより両者の間に対立が生じた。戦争は両国の国内問題ともからみ合って、戦争と和平とをたびたび繰返しつつ継続した。

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エドワード3世

 フランス王位はサリカ法(ゲルマン民族の伝統法)によって女系への王位継承を認められなかったが、イギリス王エドワード3世はそれを無視し、母からフランス王位継承権を引き継いでいると主張して、1337年1月にフランスに宣戦布告した。この開戦に関連して、エドワード3世は、それまでのイングランド王の紋章「ライオン三頭」に、フランス王の紋章「百合の花」を加えた。

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 面白いのは、イングランド王の紋章や国王旗であるにもかかわらず、その優位の位置(左上)にまずフランス王の紋章を置き、劣位の位置にイングランドの紋章を置くという組合せになっていることである。その意味は「われはまずフランス王であり、次いでイングランド王である」ということだ。紋章や旗だけでなく、国王の正式称号もまずフランス王であり、次いでイングランド王の順になっていた。さすがにヘンリ4世の1395年からは、まずイングランド王の称号をとなえるようになった。歴代国王はフランス王の紋章を、ジョージ3世の1801年まで、実に461年間手放さなかった。

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スロイスの海戦 

 1338年、エドワード3世が軍を率いて大陸に上陸、1339年に百年戦争の火蓋が切って落とされた。イングランド軍はなかなか戦果をあげられなかったが、1840年6月イングランド海軍がゼーラント(現オランダ)のスロイス(フランス語ではエクリューズ)港を奇襲し、フランス海軍は全滅。ドーバー海峡の制海権を制したインランド軍は雪崩のようにフランスに攻め込んでいった。

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クレシーの戦い

1346年7月、イングランド王軍はノルマンディーに上陸し、騎行を行った。このためフィリップ6世はクレシー近郊に軍を進め、8月26日、クレシーの戦いが勃発した。フランス王軍は数の上では優勢であったが、指揮系統は統一できておらず、戦術は規律のない騎馬突撃のみで、長弓を主力とし作戦行動を採るイングランド王軍の前に大敗北を喫した。

 右手のイングランド軍が持っているのが長弓(ロングボウ)、左手のフランス軍が手にしているのがクロスボウで、中国では弩【ど】よ呼ばれていたものである。機械仕掛けの弓で、射程、威力、命中精度に勝っていたが、1分間に1、2発程度しか発射できない。これに対し、ロングボウは1分間に6 ~ 10発の発射が可能であり、速射性能で大きく勝り、両者の差は明白で、クロスボウ部隊は散々に打ち負かされた。

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ロダン「カレーの市民」

  東京上野の西洋美術館の庭には、フランス政府の好意によって日本に返還されたロダンの名彫刻「カレーの市民」が飾られている。それは身にぼろを纏い、無帽に裸足という哀れな姿で、首には太い縄をかけられ、手に鍵束をたずさえた6人の男の群像である。この人たちはこれからエドワード3世の陣営に、カレー市降伏の人質として送られるところである。

 イングランド軍によるカレーの包囲は1346年9月に始まり、11カ月にわたって続いた。市民の老若男女は死力を尽くしたが、フランス王の援軍は姿を見せず、敵中突破の脱出にも失敗した。飢餓と絶望にさいなまれた末、カレーがついに開城を申し出た。長期の頑強な抵抗に激怒していたエドワード3世は市民の皆殺しを要求した。

 しかし、交渉に当たったウィリアム=マーニーなどの忠告により、市民を助ける代わりに主要な6人の市民が代表として、無帽、裸足で首に処刑のためのロープをまいて出頭するよう命じた。これを受けて、ユスターシュ=サンピエールを始めとした6人の市民が勇敢に名乗りを上げ、指示された通りの装いで城門の鍵を持って王の元に現れた。王は彼らの処刑を命じたが、王妃フィリッパの涙ながらの取り成しにより、彼らの命を助けた。フィリッパは彼らを丁重にもてなしカレーに帰らせたという。

 以降、カレーは百年戦争を通じて重要なイングランドの拠点であり続け、百年戦争後も1558年までイングランド領だった。

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ジャン2世

 1350年にフィリップ6世が死去、息子のジャン2世がフランス王に即位した。1354年、アヴィニョンで和平会議が開かれ、エドワード3世はジャン2世に対し、フランス王位を断念する代わりにアキテーヌ領の保持、ポワティエ、トゥーレーヌ、アンジュー、メーヌの割譲を求めた。しかし、ジャン2世はこれを一蹴、このためイングランド王軍は1355年9月に騎行を再開した。
 

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エドワード黒太子

 1356年、エドワード黒太子率いるイングランド王軍はアキテーヌ領ボルドーを出立し、ブルターニュから出陣する友軍と合流して南部から騎行を行う予定であったが、フランス王軍の展開に脅かされ、急遽トゥールからボルドーへの撤退を試みた。しかし、ポワティエ近郊でフランス王軍の追撃に捉えられたため、黒太子はこれに応戦する決意を固めた。

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クレシーの戦いでの黒太子

 エドワード黒太子はエドワード3世の長男。黒い鎧を着用して戦ったので、黒太子(the Black Prince)と言われた。彼はスペイン遠征中に病に罹り、父より先の1376年に死去したため、王位に就くことはなかった。

 クレシーの戦いでは16歳ながら一部隊を率いて白兵戦を経験し、以後もカレー包囲戦やウィンチェルシーの海戦などに参加し、いずれも勝利を収めている。

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ポワティエの戦い

  ポワティエの戦いは、イングランド王軍が明らかに劣勢だったが、フランス王軍はクレシーの戦いと同じ轍を踏み、またも大敗北を喫した。この敗戦でジャン2世はイングランド王軍の捕虜となり、ロンドンに連行された。ジャン2世の身代金は200万エキュと定められたが、当人は自らの価値はもっと高いと不服を述べて、倍の400万エキュとなった。 
 
 1348~49年の黒死病の流行は農民の動向を不穏にした。フランスでは敗戦とからまったジャックリーの乱が1358年に起こったこともあり、1360年にブレティニーの和約が結ばれ、百年戦争の第一段階が終わった。 

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ジャン2世

 ブレティニーの和約の結果、幾人かの王族が代わりに人質になることで、ジャン2世は解放されてフランスに戻ったが、資金集めは難航した。このため人質の拘留は延長されたが、人質達は自由な行動が許されていたため、1363年に人質の1人でジャン2世の次男アンジュー公ルイ1世がフランスに逃げ戻った。

 ジャン2世は騎士道精神にあふれ、善良、お人良しと評された人物で、これを聞いて驚きと怒りを示し、自らの誓いと名誉を守るために、1364年にイングランドに戻った。ジャン2世はイングランドで騎士道精神に富んだ名誉を守る人物として称賛、歓迎され、その年に捕囚のまま亡くなった。
 

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/09/08 05:35 】

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