なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月21日(月)
罽賓【けいひん】国(現在のカシミール)で3年間小乗仏教を学んだ羅什は、亀茲への帰途立ち寄った疏勒【そろく】国で須利耶蘇摩【すりやそま】と出会い、大乗仏教を学んだ。羅什は、「私が昔、小乗を学んだのは、黄金を知らない人が鍮石【ちゅうせき】(真鍮のこと)をもって最高と思い込んでいたようなものだ」と嘆じ、大乗仏教に目覚めた。
須利耶蘇摩は左手に法華経を持ち、右手で少年羅什の頭を3回撫でながら、こう言ったという。
『仏日西に入って遺耀【いよう】まさに東に及ばんとす。この経典東北に縁あり。汝慎んで伝弘せよ』
日本が中国の東北にあたることから、日蓮聖人は「この経典東北に縁あり」との記文に感涙されたのであるが、僅か13歳の少年が中国への法華経伝道を委嘱されたのである。その疏勒国こそ、このカシュガルなのだ。しかし、現在は法華経どころか仏教遺跡も殆どなく、イスラーム教一色の世界である。
礼拝堂では、熱心なイスラーム教徒がお祈りを捧げている。うちの寺のお檀家さんにも見習って欲しいもんだ。あっ、別に寺に金持って来いという意味じゃなくて、いつも生活の中に祈りの時間を持って欲しいという意味ですよ。
この美しい女性は受付にいたお姉さん。ウイグル族の伝統である矢絣模様の服がよくお似合いですが、よ~く顔をご覧下さい。気がつきました。そう、眉毛がつながってます。自然に毛がはえてつながっているんじゃなくて、書いているんだそうです。初め見たときはギョッとしますけど、これがウイグル族にとっては美しく見えるんでしょうね。
美しいと言えば、このアパク・ホージャ墓に葬られている香妃【こうき】も絶世の美女だったらしい。本名はバエルカンで、宮中での呼び名は容妃。体から麝香【じゃこう】の香りがすることから香妃と呼ばれていたそうな。政略結婚で清朝の乾隆【けんりゅう】帝に嫁がされ、29歳の若さで北京で没したと伝えられる香妃は、最後までウイグル族としての誇りを持ち続け、乾隆帝を拒んだために死を賜わったともいわれている悲劇の女性である。亡くなった後、特製の輿にのせられ、124人の人々に担ぎつがれ3年半かかってカシュガルに戻って来たと言い伝えられている。
でも、これはあくまでも伝説。歴史上の容妃は、乾隆15年(1750年)宮中に入り、乾隆53年(1788年)に55歳で亡くなっており、 遺体は清の東陵の裕陵妃園に葬られている。
罽賓【けいひん】国(現在のカシミール)で3年間小乗仏教を学んだ羅什は、亀茲への帰途立ち寄った疏勒【そろく】国で須利耶蘇摩【すりやそま】と出会い、大乗仏教を学んだ。羅什は、「私が昔、小乗を学んだのは、黄金を知らない人が鍮石【ちゅうせき】(真鍮のこと)をもって最高と思い込んでいたようなものだ」と嘆じ、大乗仏教に目覚めた。
須利耶蘇摩は左手に法華経を持ち、右手で少年羅什の頭を3回撫でながら、こう言ったという。
『仏日西に入って遺耀【いよう】まさに東に及ばんとす。この経典東北に縁あり。汝慎んで伝弘せよ』
日本が中国の東北にあたることから、日蓮聖人は「この経典東北に縁あり」との記文に感涙されたのであるが、僅か13歳の少年が中国への法華経伝道を委嘱されたのである。その疏勒国こそ、このカシュガルなのだ。しかし、現在は法華経どころか仏教遺跡も殆どなく、イスラーム教一色の世界である。
午後3時、市内観光に出発。案内役はウイグル族のアブ◯◯◯◯◯さん。自己紹介されたんだけど、聞き逃してしまった。まあ、アブさんでいいか。
アブさんが最初に連れて行ってくれたのが、アパク・ホージャ墓(別名は香妃墓)。17世紀からカシュガルを支配していたホージャ一族の墓で、5代72人が葬られているそうだ。緑色のタイルが美しい。
礼拝堂では、熱心なイスラーム教徒がお祈りを捧げている。うちの寺のお檀家さんにも見習って欲しいもんだ。あっ、別に寺に金持って来いという意味じゃなくて、いつも生活の中に祈りの時間を持って欲しいという意味ですよ。
左の写真はミナレット。1日5回の礼拝を呼びかけるためのものだが、アブさんの説明によると、ミナレット頂上の丸は下から順にユダヤ教・キリスト教で一番上の三日月がイスラーム教を意味するそうだ。イスラーム教はユダヤ教・キリスト教をムハンマドがアラビア半島版にアレンジしたもので、モーセやイエスを預言者であると認めた上で、自分が最大で最後の預言者であると、おっしゃったから、この順番となった。ちなみに三日月はオスマン帝国のシンボルで、イスラーム教のシンボルでもある。右の写真はモスクに不可欠なメッカの方角を指すミフラーブと呼ばれるくぼみと、ミンバルという説教壇。
これ何だか、分かります?ベッドにしたら、持ち手が付いてるし、屋根があるのは変ですよね。そう、正解。遺体を運ぶための道具、日本で言えば霊柩車。なんで、こんなものがここにあるかというと、昔の日本のようにお葬式はモスクでやるんでしょうね。そのあと、お墓に遺体を運ぶ時に使うんかな。まあ、僕の想像ですけど。
アパク・ホージャ墓のお隣には市民用の墓地があって、長方形は一人用で15,000円、丸いのは家族用で20,000円だって。でも、イスラーム教では火葬は禁止。キリスト教と同じで「最後の審判」があり、亡くなった人もすべて復活して裁かれるため、遺体が絶対に必要。遺体がないと、魂がよみがえろうにも「私の遺体はいったいどこ?」ということになる。そうすると2人埋葬するには2倍の敷地が必要、3人埋葬するには3倍の敷地が必要で、家族用20,000円って変だと思うけど、アブさんの説明はそうでした。
この美しい女性は受付にいたお姉さん。ウイグル族の伝統である矢絣模様の服がよくお似合いですが、よ~く顔をご覧下さい。気がつきました。そう、眉毛がつながってます。自然に毛がはえてつながっているんじゃなくて、書いているんだそうです。初め見たときはギョッとしますけど、これがウイグル族にとっては美しく見えるんでしょうね。
美しいと言えば、このアパク・ホージャ墓に葬られている香妃【こうき】も絶世の美女だったらしい。本名はバエルカンで、宮中での呼び名は容妃。体から麝香【じゃこう】の香りがすることから香妃と呼ばれていたそうな。政略結婚で清朝の乾隆【けんりゅう】帝に嫁がされ、29歳の若さで北京で没したと伝えられる香妃は、最後までウイグル族としての誇りを持ち続け、乾隆帝を拒んだために死を賜わったともいわれている悲劇の女性である。亡くなった後、特製の輿にのせられ、124人の人々に担ぎつがれ3年半かかってカシュガルに戻って来たと言い伝えられている。
でも、これはあくまでも伝説。歴史上の容妃は、乾隆15年(1750年)宮中に入り、乾隆53年(1788年)に55歳で亡くなっており、 遺体は清の東陵の裕陵妃園に葬られている。
虻に噛まれて病院に行っていたT君が、ウイグル美人2人に囲まれている。有料で一緒にカメラにおさまってくれるそうだ。そう言えば、首里城にもそんな沖縄娘がいたなあ。僕はお金を払わずに、ちゃっかり便乗させてもらった。謝謝。(つづく)
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