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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー最後にして最大の預言者・ムハンマド①

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 アラビア半島は大部分が沙漠におおわれ、アラブ人は各地に点在するオアシスを中心に古くから遊牧や農業生活を営み、隊商による商業活動を行っていた。6世紀後半になると、ササン朝とビザンツ帝国とが戦いを繰り返したために、東西を結ぶ「オアシスの道」(シルクロード)は両国の国境でとだえ、ビザンツ帝国の国力低下とともに、その支配していた紅海貿易も衰えた。そのため「オアシスの道」や「海の道」によって運ばれた各種の商品は、いずれもアラビア半島西部のヒジャーズ地方を経由するようになり、メッカ(正しくはマッカ)の大商人クライシュ族はこの国際的な中継貿易を独占して大きな利益をあげていた。しかし、その一方でメッカの町では貧富の差が拡大し、拝金主義が横行するようになっていた。

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 ムハンマドは、570年頃メッカで、クライシュ族の中でもあまり豊かではないハーシム家に生まれた。フルネームはムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ・イブン=アブドゥルムッタリブ。実はアラブ人には姓はなく、「名+父の名+祖父の名」のように父祖代々の名を繋げて名前とする。「イブン」がアラビア語で息子を意味し、ムハンマドは「アブドゥルムッタリブの息子アブドゥッラーフの息子ムハンマド」と呼ばれた。ちなみにマホメットはフランス語なので、最近は使用しまい。

 父アブド=アッラーフ(アブドゥッラーフ)は彼の誕生する数か月前に死に、母アーミナもムハンマドが幼い頃に没したため、ムハンマドは祖父アブドゥルムッタリブと叔父アブー=ターリブの庇護によって成長した。

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 修道院前の少年ムハンマド(『集史』の挿絵)

 580年を少し過ぎた頃、アブー=ターリブに率いられた一組の隊商がメッカを出発してシリアの南の町ブスラーに到着した。一行が休憩のために、とあるキリスト教修道院の前庭に荷物をおろすと、修道士バヒーラーが一行を食事に招いた。アブー=ターリブは一行中の、両親を失って孤児となった甥で12歳の少年ムハンマドだけは外に残そうとしたが、修道士はその少年も招いていろいろ質問し、その身体を調べたところ、背中にキリスト教の古書に記された預言者の徴【しるし】が見られたので、アブー=ターリブに「あなたの甥は偉大な将来を持つ人物である」と告げた。これを聞いたターリブはシリアでの商売を終えるとすぐにメッカに戻ったという。

 ハデイージャ
ムハンマドとハディージャ

 やがて富裕な女商人で寡婦であったハディージャに雇われたムハンマドは、彼女のために懸命に働き、莫大な利益を彼女にもたらした。ムハンマドが25歳の時、雇い人であるハディージャからプロポーズされる。ムハンマドは訝った。なにせこの時、ハディージャは40歳、ムハンマドより15歳も年上である。しかし、彼女の思いが本物であると知り、彼女の申し出を受け入れ、結婚した。ハディージャはムハンマドの最愛の妻として知られる。ムハンマドはハディージャとの間に2男4女をもうけるが、男子は2人とも成人せずに夭折した。

 画像の二人の顔はのっぺらぼうに描かれているが、これたイスラーム教で偶像崇拝が禁止されているからだ。

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ヒラー山の洞窟

 ハデージャと結婚したことで経済的には安定したが、人生に悩むようになったムハンマドはメッカの郊外にあるヒラー山の洞窟に籠もって瞑想にふけるようになった。

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 610年8月10日、ヒラー山の洞窟で瞑想にふけっていたムハンマドは、そこで大天使ジブリール(ガブリエル)に出会い、唯一神アッラーの啓示を受けた。ムハンマド、40歳頃のことである。

 いつものようにムハンマドが瞑想をしていると、いきなり異変が起こった。金縛りにあったように身体が締め付けられて、ぶるぶる震えてきた。そして、正体不明の訪問者はムハンマドに向かって「誦【よ】め!」と迫った。読み書きの出来なかった彼は、「誦めません」と答えた。しかしその命令は更に2回繰り返され、ムハンマドはその都度同じ返答をした。最終的に、彼は訪問者のとてつもない力によって締め上げられ、苦しさのあまりに、口を開いて声を出したら、誦めた。

 「誦め、創造主なる主のみ名において、いとも小さき凝血から人間をば創りなし給う。誦め、「汝の主は、こよなく有り難いお方。筆もつすべを教え給う。人間に未知なることを教え給う。」

 すると、自分を締め付けていたわけのわからない力がスッと抜け、ムハンマドはもとの状態に戻った。そして洞窟の外に出てみると、「ムハンマドよ、汝はアッラーの使徒なり。我は天使ジブリールなり」という声が落ちてきた。

 ムハンマドは困惑し、何かに取り憑かれたのではないかという恐怖に駆られたが、ハディージャによって長衣に包まれて恐怖が鎮まると、洞窟でのできごとをハディージャに話した。ハディージャはムハンマドを励まし、彼女の従兄弟でネストリウス派のキリスト教修道僧だったナウファルに相談したところ、ナウファルは、ムハンマドのように神の声を聞いた者は、昔から何人かおり、イブラーヒム(アブラハム)、ヌーフ(ノア)、ムーサー(モーセ)、イーサー(イエス)など「預言者」と呼ばれる人びとは、同様の経験をしたことを教える。盲目であったナウファルはまた、ムハンマドのような体験をした者で周囲に敵対されなかった者はいないと告げた。その後、ナウファルは亡くなり、しばらく啓示も途切れたが、再び神の啓示は次々とムハンマドに下された。

 ちなみに、コーラン(正しくはクルアーン)には25名の預言者が記されているが、アブラハム・ノア・モーセ・イエス・ムハンマドを5大預言者として位置づけ、コーランを伝えたムハンマドを「最後にして最大の預言者」としている。


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アリー

 こうして預言者としての自覚に目覚めたムハンマドは、ハディージャや従兄弟のアリー(養父アブー=ターリブの子でのちの第4代正統カリフ)など近親の者たち、友人のアブー=バクル(のちの初代正統カリフ)などに、彼に下った啓示の教えを説いた。イスラーム教のはじまりである。

 ムハンマドがヒラーの洞窟で初めて啓示を受けた夜のことを、イスラーム教では「力の夜」(みいつの夜、ライラトゥ・ル・カドル)と呼んでいる。
 

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 614年頃から、ムハンマドは公然とメッカの人々に教えを説き始めるが、アラブ人伝統の多神教の聖地でもあったメッカを支配する有力市民たちは、ムハンマドとその信徒(ムスリム)たちに激しい迫害を加えた。伯父アブー=ターリブは、ハーシム家を代表してムハンマドを保護しつづけたが、619年頃亡くなり、ムハンマドはメッカでの布教に限界を感じるようになり、メッカから脱出をはかることになる。

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岩のドーム

 619年にはイスラーム教にとってもう一つ重要な出来事が起きている。ムハンマドが天使ジブリールに連れられ、翼のある天馬(ブラーク)に乗ってイェルサレムに旅し、そこから光のはしごを登って昇天して神の御座にひれ伏したというのだ。これをミラージュと呼んでいる。三菱自動車の車にミラージュというのがあったが、ミラージュはもともと梯子のことだ。

 このミラージュの地に建てられたのが「岩のドーム」で、メッカのカーバ、メディナの預言者のモスクについで、イスラーム教第3の聖地となっている。


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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/09/18 16:47 】

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