なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月26日(土)

スワットの古名のウディヤーナが「庭園」を意味するように、町は緑に包まれた豊かな田園地帯で、ガンダーラの一番北に位置する。
♪そこに行けば どんな夢も かなうというよ
誰もみな行きたがるが 遥かな世界
その国の名はガンダーラ どこかにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう 教えて欲しい
In Gandhara, Gandhara
They say it was in India
Gandhara, Gandhara
愛の国 ガンダーラ
生きることの 苦しみさえ
消えるというよ 旅だった人はいるが
あまりに遠い 自由なそのガンダーラ
素晴らしいユートピア
心のなかに生きる 幻なのか
In Gandhara,Gandhara,
they say it was in India
Gandhara,Gandhara
愛の国ガンダーラ
(「ガンダーラ GANDHARA」作詩:奈良橋陽子 日本語詩:山上路夫)
覚えておいでだろうか?35年前にゴダイゴというグループが歌った『ガンダーラ』という曲の歌詞である。今は亡き夏目雅子が三蔵法師を演じたテレビドラマ『西遊記』のエンディングテーマだ。この中でガンダーラがインドにあると歌っているが、とんでもない。ガンダーラはパキスタンにある。
法華経の求道者でもあった宮沢賢治が次のような詩を詠んでいる。
手は熱く足はなゆれど
われはこれ塔を建つるもの
滑り来し時間の軸の
をちこちに美【は】ゆくも成りて
燎々【りょうりょう】と暗をてらせる
その塔のすがたかしこし
むさぼりて厭【ゆ】かぬ渠【かれ】ゆゑ
いざここに一基をなさん
正しくて愛【は】しきひとゆゑ
いざさらに一基を加えん
死の直前に、歩いて来た一生の道程を振り返ってみた賢治は、無明の闇を破って燎々と照り輝いている美しい塔の列を見た。貪欲なまでにひとつの願いにとりついて生きて行った人のために建てた塔、正しくて美しい人のために建てた塔、そのひとつひとつを今、瀕死の床から振り返って微笑む賢治。
法華経を受持する者は「塔建つる者」である。「塔建つる者」は願いを立てる者であると言ってもよい。その願いとは賢治が言う、「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」の言葉に集約される。
ブトカラのストゥーパ群はまさしく、「燎々と暗を照らせる塔」である。学問的にはどうであれ、ブトカラ遺跡は法華経を受持する人々によって建てられたものであると確信した。
※注:その後、植木雅俊先生の教えを受け、法華経はストゥーパ信仰を批判していることを学びました。法華経が「塔を建てて供養すべし」と説いているのはストゥーパではなくチャイティヤ(塔廟)のことです。つまり、法華経はブッダの遺骨ではなく、ブッダの説かれた法を重視せよと主張しています。
前秦の国王苻堅【ふけん】 が将軍呂光【りょこう】に亀茲【きじ】国征討を命じた目的は、領土の拡大とともに名僧として名高い羅什を国師として長安に迎えることにあった。呂光によって亀茲国が滅びた時、羅什は34歳。生来、粗暴であった呂光は羅什がまだ若年であるのを知り、羅什をあなどり、彼を跪【ひざまづ】かせるために邪悪な企みをしかけた。彼に仏の戒律を破らせようと、亀茲王女と結婚するように強要したのである。
羅什は激しく拒んだが、呂光は羅什に無理やり酒を飲ませ、王女とともに密室に閉じこめてしまった。羅什がはたして本当に女性と関係を持ったのか。真相は羅什本人にしか分からない。しかし、破戒僧の烙印を押されたことだけは紛れもない事実なのである。
羅什は恥辱にまみれて中国へと連行されることになった。ところが、一行が涼州に至った時、呂光は国王苻堅が殺害され、前秦が滅びたことを知る。帰るに帰れなくなった呂光は、涼州にとどまり自ら後涼を建国する。
涼州で幽閉生活を送ること15年。後涼が後秦の姚興【ようこう】に滅ぼされ、羅什は51歳にしてようやく長安に入った。それから59歳で亡くなるまでの8年の間に、『法華経』『阿弥陀経』をはじめとする35部294巻の翻訳にあたった。『法華経』の訳出は56歳の時。13歳の時に須利耶蘇摩【すりやそま】から法華経の原本を手渡されてから、実に43年の歳月が流れていた。
後秦の姚興は10人もの女性を侍らせ、羅什の優秀な頭脳を受け継ぐ子を残させようとしたとも伝えられている。
羅什は毎朝、弟子たちに講説するたびに、こう述べていたという。
「たとえば臭泥の中に蓮華を生ずるがごとし。ただ蓮華をとりて、臭泥をとることなかれ」
破戒僧に貶【おとし】められながらも、少年の頃の志を貫徹して翻訳に専念した鳩摩羅什。彼もやはり「塔を建つる者」であった。(つづく)
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スワットでの朝を迎えた。朝食を終えて、ホテルの売店を覗いてみる。ガンダーラ仏のレプリカがいっぱい並んでいる。どれもこれも一見して偽物と分かる代物ばかりだ。帰ろうとしたら、髭面の若い店員が僕を手招きし、店の奥のほうへと案内する。いよいよ始まったなと思ったら、案の定、引き出しから古新聞に包んだ仏頭を出して来て、本物だと言う。いくら?45ドル。本物だったら50万円はするだろう。本物のはずはないのだが、なかなか本物らしく作ってある。20分ほどの交渉の結果、20ドルで買った。世界史の授業でガンダーラ美術の勉強をする際に、生徒に見てもらってるんだけど、5,000ドルで買ったということにしてある。うそをついて、ご免なさ~い。

スワットの古名のウディヤーナが「庭園」を意味するように、町は緑に包まれた豊かな田園地帯で、ガンダーラの一番北に位置する。
♪そこに行けば どんな夢も かなうというよ
誰もみな行きたがるが 遥かな世界
その国の名はガンダーラ どこかにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう 教えて欲しい
In Gandhara, Gandhara
They say it was in India
Gandhara, Gandhara
愛の国 ガンダーラ
生きることの 苦しみさえ
消えるというよ 旅だった人はいるが
あまりに遠い 自由なそのガンダーラ
素晴らしいユートピア
心のなかに生きる 幻なのか
In Gandhara,Gandhara,
they say it was in India
Gandhara,Gandhara
愛の国ガンダーラ
(「ガンダーラ GANDHARA」作詩:奈良橋陽子 日本語詩:山上路夫)
覚えておいでだろうか?35年前にゴダイゴというグループが歌った『ガンダーラ』という曲の歌詞である。今は亡き夏目雅子が三蔵法師を演じたテレビドラマ『西遊記』のエンディングテーマだ。この中でガンダーラがインドにあると歌っているが、とんでもない。ガンダーラはパキスタンにある。
その名の通り、紀元前3世紀にアショーカ王が建立した円形の大ストゥーパ(仏塔)を中心にして、その周りに、大小さまざまな奉献ストゥーパが約200基密集している。まさにストゥーパ一色の遺跡だ。
丸い基壇はインド様式、四角い基壇はギリシア様式らしい。紀元前327年にアレクサンダー大王がこの地に侵入し、それ以降ギリシア文化の影響を強く受けるようになった。恐らく狛犬のような形式で置かれていたライオンの像にもギリシア彫刻の影響が見られる。
また、基壇の柱頭には明らかにアカンサスの模様が見られ、いわゆるコリント式の柱だ。
仏像の首がすべて切られてしまっているが、恐らくイスラーム教徒の仕業だろう。いや、ひょっとしたら、ガンダーラ仏の密売人達の仕業ということも考えられる。
今は崩れてしまい基壇だけが残っているが、200基のストゥーパが林立する様は壮観であったに違いない。法顕や玄奘もここを訪ねている。
今は崩れてしまい基壇だけが残っているが、200基のストゥーパが林立する様は壮観であったに違いない。法顕や玄奘もここを訪ねている。
法華経如来神力品に、
若しは園の中においても、若しは林の中においても、‥‥‥、若しは山谷曠野【せんごくこうや】にても、この中に皆塔を起てて供養すべし。ゆえはいかん、まさに知るべし、この処はすなわち是れ道場なり。諸仏ここおいて阿耨多羅三藐三菩提【あのくたらさんみゃくさんぼだい】を得、諸仏ここおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃【はつねはん】したもう。
とあるのはご存じだと思う。法華経のあるところは、どこであっても塔を建てて供養すべしと。そこはすべて道場であり、一切の仏が悟りを開き、法を説き、滅度【めつど】した場所であると。
若しは園の中においても、若しは林の中においても、‥‥‥、若しは山谷曠野【せんごくこうや】にても、この中に皆塔を起てて供養すべし。ゆえはいかん、まさに知るべし、この処はすなわち是れ道場なり。諸仏ここおいて阿耨多羅三藐三菩提【あのくたらさんみゃくさんぼだい】を得、諸仏ここおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃【はつねはん】したもう。
とあるのはご存じだと思う。法華経のあるところは、どこであっても塔を建てて供養すべしと。そこはすべて道場であり、一切の仏が悟りを開き、法を説き、滅度【めつど】した場所であると。
法華経の求道者でもあった宮沢賢治が次のような詩を詠んでいる。
手は熱く足はなゆれど
われはこれ塔を建つるもの
滑り来し時間の軸の
をちこちに美【は】ゆくも成りて
燎々【りょうりょう】と暗をてらせる
その塔のすがたかしこし
むさぼりて厭【ゆ】かぬ渠【かれ】ゆゑ
いざここに一基をなさん
正しくて愛【は】しきひとゆゑ
いざさらに一基を加えん
死の直前に、歩いて来た一生の道程を振り返ってみた賢治は、無明の闇を破って燎々と照り輝いている美しい塔の列を見た。貪欲なまでにひとつの願いにとりついて生きて行った人のために建てた塔、正しくて美しい人のために建てた塔、そのひとつひとつを今、瀕死の床から振り返って微笑む賢治。
法華経を受持する者は「塔建つる者」である。「塔建つる者」は願いを立てる者であると言ってもよい。その願いとは賢治が言う、「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」の言葉に集約される。
ブトカラのストゥーパ群はまさしく、「燎々と暗を照らせる塔」である。学問的にはどうであれ、ブトカラ遺跡は法華経を受持する人々によって建てられたものであると確信した。
※注:その後、植木雅俊先生の教えを受け、法華経はストゥーパ信仰を批判していることを学びました。法華経が「塔を建てて供養すべし」と説いているのはストゥーパではなくチャイティヤ(塔廟)のことです。つまり、法華経はブッダの遺骨ではなく、ブッダの説かれた法を重視せよと主張しています。
クチャの羅什像
前秦の国王苻堅【ふけん】 が将軍呂光【りょこう】に亀茲【きじ】国征討を命じた目的は、領土の拡大とともに名僧として名高い羅什を国師として長安に迎えることにあった。呂光によって亀茲国が滅びた時、羅什は34歳。生来、粗暴であった呂光は羅什がまだ若年であるのを知り、羅什をあなどり、彼を跪【ひざまづ】かせるために邪悪な企みをしかけた。彼に仏の戒律を破らせようと、亀茲王女と結婚するように強要したのである。
羅什は激しく拒んだが、呂光は羅什に無理やり酒を飲ませ、王女とともに密室に閉じこめてしまった。羅什がはたして本当に女性と関係を持ったのか。真相は羅什本人にしか分からない。しかし、破戒僧の烙印を押されたことだけは紛れもない事実なのである。
羅什は恥辱にまみれて中国へと連行されることになった。ところが、一行が涼州に至った時、呂光は国王苻堅が殺害され、前秦が滅びたことを知る。帰るに帰れなくなった呂光は、涼州にとどまり自ら後涼を建国する。
涼州で幽閉生活を送ること15年。後涼が後秦の姚興【ようこう】に滅ぼされ、羅什は51歳にしてようやく長安に入った。それから59歳で亡くなるまでの8年の間に、『法華経』『阿弥陀経』をはじめとする35部294巻の翻訳にあたった。『法華経』の訳出は56歳の時。13歳の時に須利耶蘇摩【すりやそま】から法華経の原本を手渡されてから、実に43年の歳月が流れていた。
後秦の姚興は10人もの女性を侍らせ、羅什の優秀な頭脳を受け継ぐ子を残させようとしたとも伝えられている。
羅什は毎朝、弟子たちに講説するたびに、こう述べていたという。
「たとえば臭泥の中に蓮華を生ずるがごとし。ただ蓮華をとりて、臭泥をとることなかれ」
破戒僧に貶【おとし】められながらも、少年の頃の志を貫徹して翻訳に専念した鳩摩羅什。彼もやはり「塔を建つる者」であった。(つづく)
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