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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーモンゴルの虎バーブル・ムガル帝国①

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バーブル

 バーブルはティムールの5代の孫であり、中央アジアのフェルガナの君主の子として生まれた。母親はモンゴル帝国のチンギス=ハーンの次男チャガタイ=ハーンの子孫であった。つまり、バーブルは「内陸アジアが産んだ2人の世界征服者、ティムールとチンギス=ハーン両者の血を引く、誇り高き王子であった」ことになる。

 民族としてはモンゴルの血筋を引くトルコ系民族であり、トルコ語を話し、ペルシア語・アラビア語にも通じていた。彼が創始した国家も、ティムール帝国の後継国家であると同時に、インドでは「モンゴル人の国」の意味で「ムガル帝国」と言われた。ちなみに、バーブルとは「虎」のことである。

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 バーブルは11歳の時、父が事故死したためフェルガナの君主となり、一族間の争いの中で生き残って、ウズベク人のシャイバニによってティムール帝国が滅亡すると、その再興をめざしてサマルカンドを2度にわたって奪還した。しかし、シャイバニ朝と抗争は激しく、1504年、21歳の時にサマルカンドを追われて南のアフガニスタンのカーブルに移り、そこに小王国を築いた。その後、カーブルを拠点にしばしば肥沃な地をねらって北インドに侵入し、勢力を扶植した。

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パーニーパットの戦い

 1526年、43歳になっていたバーブルは、パーニーパットの戦いでデリー=スルタン朝の最後の王朝ロディー朝の王イブラーヒームの軍を破り、デリーに入城しムガル帝国を建国し、初代統治者となった。パーニーパットの戦いでは騎兵に加えて鉄砲隊を編成して、勝利を得た。さらに1527年、ヒンドゥー教徒のラージプート連合軍をハーワヌの戦いで破り、支配権を広げた。

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カーブルの霊廟

  バーブルは1530年、47歳の時アグラで死去した。その遺体はデリーやアグラではなく、かつての根拠地カーブルに埋葬された。バーブルによって創始された段階のムガル帝国の支配領域は現在のアフガニスタンの東部カーブルと、北インドのデリー、アグラ周辺に限られ、またその統治も5年という短期で終わった。

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アクバルとフマユーン

 1530年、バーブルの跡を継いでフマユーンがデリーで即位した。ムガル帝国の支配力はまだ弱く、特にベンガル・ビハール地方のアフガン勢力が強大な敵対勢力であった。1539年と40年の戦いでフマーユーンは敗れ、デリーを放棄してシンド地方に逃れた。デリーにはアフガン系のスール朝が成立し、シェール=シャーがスルタンを称した。

 フマーユーンはシンドからイランに逃れ、サファヴィー朝のスルタンからシーア派の教義を受け入れることを条件に亡命を許された。1545年にシェール=シャーが暴発事故で急死し、スール朝が混乱した隙に、サファヴィー朝の軍事的支援を受けたフマーユーンはインド奪回に向かい、1555年にデリーを奪還した。こうしてインドでスール朝は滅び、ムガル朝が復活した。

 しかしその翌年、フマーユーンは礼拝の時を知らせるアザーンの声を聞いて、急いでモスクに向かおうとして、階段を踏み外して落ち、あっけなく死去してしまった。息子のアクバルが即位したが、まだ14歳の若さであり、ムガル帝国は滅亡の危機を迎えることとなった。

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サイ狩りの様子(『バーブル=ナーマ』の挿絵)

 バーブルは優れた軍事指導者であったが、母語であるチャガタイ=トルコ語の他に、ペルシア語・アラビア語に深い教養を持っていた。彼がチャガタイ=トルコ語で書いた日記風の回想録『バーブル=ナーマ』は、重要な資料であるとともに、トルコ語文学の傑作ともされている。『バーブル=ナーマ』とは「バーブルの書」の意味。

『バーブル=ナーマ』は日録風の自叙伝であるが、人間バーブルの日常生活や感情、その時々の心情が吐露されており、文学書としても優れている。また戦いでの敵の捕虜に対する残虐な仕打ちなど、時代の制約を受けた権力者の生々しい行為が淡々と記されており、興味深い。

 飲酒について次のような記述がある。

 少年時代には飲みたいとは思わなかった。酒の陶酔境をなお知らず、私の父がときどき私に酒を勧めたときにも、なんやかやといい訳をいって飲酒の禁を犯さなかった。……のちに、青年のいっぱん的にもつ強い欲望と、私の個人的にもつ欲求から酒を飲みたいという気持ちが強くなったときも、私にはだれ一人として酒を勧めてくれる者がいなかった。というより、私の心のなかにある酒に対する欲望を知っている者は一人もいなかった。私の心は酒を求めていたが、このような、従来してこなかったことを自分自身で始めることは難しかった。

 このようなモヤモヤした飲酒の欲望は、やがてサマルカンドに続いてヘラートを占領したときに、バーブルに「飲酒の決意」をさせることになる。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/11/10 05:35 】

イスラーム史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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