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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー偉大なる皇帝アクバル・ムガル帝国②

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アクバル

 ムガル帝国第3代皇帝アクバルは初代皇帝バーブルの孫にあたるが、父フマユーンが一時帝位を追われて亡命中に生まれた。1556年、父フマーユーンの急死を受けて即位した時は、まだ14歳たらずだった。その頃、その支配領域はパンジャーブの一部に限られ、カーブルやデリー、アグラには独立した勢力が存在していた。

殺害されるバイラム=ハーン 
殺害されるバイラム=ハーン

 アクバルを助けたのがバーブル以来の家臣バイラム=ハーンであり、その計略によってデリーとアグラが奪回できた。その結果バイラム=ハーンの専横が目立つようになり、1560年後宮勢力に後押しされたアクバルの宮廷革命が成功し、バイラム=ハーンは追放された。バイラム=ハーンはメッカ巡礼のためアラビア半島をめざすが、彼に個人的な恨みを持つアフガン人によって殺害された。

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処刑されるアドハム=ハーン

 その後も乳母の一族アドハム=ハーンがアクバルの宮廷で宰相を殺害する事件が起きたが、アクバルは激怒してアドハム=ハーンをヴェランダから突き落とす刑に処した。こうして権臣や後宮の勢力を徐々に抑えたアクバルは次第に権力を掌中に収めた。

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ビハーリー=マルと面会するアクバル

 1562年1月、19歳のアクバルはラージャスタンのアジメールにある聖廟に参拝途上で、帝を待ちかまえていたアンベールの王ビハーリー=マルから臣従の誓いを受け、長女ハルカー=バーイーを嫁がせる申し出を受けた。アクバルはこれを受け容れ、参拝の帰途2月始めに結婚式が行われた。アンベールの王はラージャスタンのラージプートでムガル皇帝に臣従した最初の王となった。

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マリヤム・ウッザマーニー

 王女ハルカー=バーイーはイスラーム教のムガル帝国に嫁いだが、ヒンドゥー教から改宗することはなかった。とはいえ、彼女はムスリム風の「マリヤム=ウッザマーニー」(時代のマリヤ)の称号を名乗り、次の皇帝ジャハーンギールの母となった。また、その兄マーン=スィングはアクバルに仕え、他のラージプート諸侯征服戦の先頭に立って活躍し、アクバル帝の宮廷の「九つの宝石」の一つと言われた。

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アグラ城

 1565年、アクバルはアグラに遷都し、アグラ城を築いた。アグラ城は赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」(ラール=キラー)の名でも呼ばれている。イスラーム教とヒンドゥー教との融和を図ったアクバルらしく、アグラ城はイスラーム様式とヒンドゥー様式が融合した建築となっている。

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 1564年アクバルは人頭税(ジズヤ)を廃止するなど、ヒンドゥー教徒との融和を図る一方、1576年までにはベンガル王国を征服して北インドをほぼ平定した。1580年には中央アジア系の貴族の反乱を、ムスリムとラージプート豪族層を結集して平定し、強大な国家を築き上げ、さらに晩年には北部デカンも支配下においた。

 さらに1582年にはイスラーム教にキリスト教・ゾロアスター教などを取り入れた新宗教ディーネ=イラーヒー(神聖宗教)を宣言し、インドの統一的統治権を実現しようとした。文化にも深い理解を持ち、帝国に繁栄をもたらした英明な君主として、マウリヤ朝のアショーカ王と並び称される。まさにアラビア語で「偉大」を意味するアクバルの名にふさわしい、偉大なる帝王であった。


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ジャハンギール

 しかし、3人の男子のうち2人に先立たれ、長男サリームとは敵対するなど、家庭的には恵まれなかった。臨終に際してようやくサリームと和解、1605年10月27日に帝位を譲った。サリームは第5代皇帝ジャハンギールとして即位するが、「ジャハーンギール」は、ペルシャ語で「世界を征服する者」を意味する。

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アクバル廟

 アクバルの遺骸はアグラ近郊のシカンドラーに運ばれて葬られ、その地にアクバル廟が建設された。しかし写真で見ると、フマーユーン廟やタージ=マハルのような壮大なものではない。

 1687年、第6代皇帝アウラングゼーブのヒンドゥー抑圧政策とムガル帝国の地方官の収奪に抗して立ち上がったラージャルームの率いるジャート農民によって略奪され、アクバル帝の遺骨は焼き捨てられたのだという。ヒンドゥー教徒との融和をはかったアクバル帝にとってはひ孫のやったことでとんだとばっちりをうけたことになる。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/11/13 05:38 】

イスラーム史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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