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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー航海しない航海王子・エンリケ

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エンリケ航海王子

 エンリケはポルトガルの国王ジョアン1世の第3子であったが、兄・甥が王位を継いだので生涯王位にはつかなかった。

 1415年にエンリケは兄ドゥアルテ、弟ペドロと共に父ジョアン1世に従い、モロッコのセウタを征服した。この時にエンリケは非道い船酔いに苦しめられた。航海したことを後悔したエンリケは、その後二度と航海には出ることはなかった。

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 セウタはアフリカ北岸、ジブラルタル海峡に面し、サハラ南部からの金などが集積される商業都市の一つ。モロッコはすでにサトウキビの豊かな産地であった。この征服は、レコンキスタの延長であるとともに、封建領主層の領地獲得要求、ポルトガルのリスボンなどの商人の市場拡大要求などが背景にあり、また直接的には金の獲得が期待された。しかし、ポルトガルのモロッコ征服はイスラーム教徒の抵抗を受け、全土に及ばなかった。

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エンリケ航海王子とサグレス「航海学校」

 王子エンリケの知謀は閃いた。航海への突進である。エンリケは地方総監としてポルトガル最南部のサグレスにあったが、そこに1415年、大航海センターを設立する。サグレスはイベリア半島の西南の突出部、つまり大西洋へのとば口にある。航海はまだ「学」というには未整備だったが、練達の船乗りたちはすでに十分の知識と情報を持っている。

 エンリケの目的は、これを集大成し、さらに腕利きの航海者を養成することだ。造船術、海図制作術、それぞれの専門家が招きよせられた。サグレスはヨーロッパ最初の航学校の地となった。ポルトガル人だけではない。スペイン、イタリア、フランス、イングランド、それに北海、バルト海からも、教師と学生がやってくる。

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リスボンの「発見のモニュメント」

 「エンリケ航海王子」の名が、後にたてまつられる。サグレスからは、大西洋から世界の海に雄飛する船乗りたちが、あいついで輩出された。今なお、サグレスには、エンリケとポルトガル人の航海を記念する像がたち、沖を通過するポルトガル海軍の艦船では、水兵たちが舷【ふなべり】に整列し敬礼して、恩人に感謝をささげるのを常とする。

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海軍練習用帆船サグレス号

 巨大な海軍練習用帆船サグレス号は、現代ポルトガルの少年にとって、つきせぬ憧れの的である。

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 エンリケが派遣した探検隊は、まず1419年にマディラ島、1427年にアゾレス諸島に到達した。大きな転換点となったのは、1434年にエンリケが派遣した船隊がボジャドール岬を越えたことであった。さらにエンリケの派遣した船団は1441年にリオ=デ=オロに達し、その地で初めてアフリカの黒人を黒人奴隷として捕らえ、本国に連れ帰った。1445年にアフリカ最西端のヴェルデ岬を廻り、現在のギニア地方に至たり、47年にはサハラ南部の現在のシエラレオネに達した。またエンリケの派遣した船隊はアフリカ西岸に関する様々な情報をもたらし、大陸の南端を回ってインドに行くことができるかも知れないという可能性を明らかにした。


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プレスター=ジョン

 エンリケが船隊をアフリカ西岸に派遣の目的はインドへの新航路開発や香料貿易にあったのではなく、当初はアフリカの黄金の獲得、アフリカ西岸に存在すると信じられていたキリスト教君主のプレスター=ジョンを探すことにあった。

 プレスター=ジョンを捜し出すことは出来なかったが、シエラレオネまで到達し、イスラーム教徒を介さずに黒人社会に接触し、内陸の金・奴隷を獲得する契機となった。特に奴隷の獲得は早くもエンリケの時代からポルトガルのアフリカ進出の主要な目的となり、黒人奴隷貿易が開始された。さらにエンリケの死後、アジアとの香辛料貿易の可能性を探るべく、インド航路の開拓に主眼が移ることとなる。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/11/24 05:38 】

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