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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーわが命つきるとも・トマス=モア

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トマス=モア(ホルバイン作)

 トマス=モアは1478年、ロンドンで弁護士・判事の子に生まれ、オックスフォード大学で神学を学んだが、父の希望で弁護士となった。

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エラスムス(ホルバイン作)

 モアは若い頃、ロンドンにきたエラスムスと知り合い、生涯の友情を結んだ。エラスムスの『愚神礼賛』はロンドンのモアの家で書かれ、モアに献呈されている。エラスムスは旅行中に着想した諷刺文をわずか1週間程度の短期間で一気に書き上げたと言われている。

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ホルバイン

 ちなみに、トマス=モアとエラスムスの肖像は、どちらもドイツ生まれの画家ホルバインの作である。スイスのバーゼルでエラスムスと出会ったホルバインは、1526年にエラスムスの紹介で、トマス=モアを頼ってロンドンへ渡り、1536年には年30ポンドの契約でイングランド王ヘンリ8世の宮廷画家となった。ホルバインはヘンリ8世から大いに気に入られたようで、ヘンリ8世自身の肖像画をはじめ宮廷の関係者たちの肖像画を多数製作している

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『ユートピア』

 その後モアは政界に入って下院議員・ロンドン副長官を務め、ヘンリ8世の信任を得てナイトに叙された。1515年、外交交渉の一員としてオランダに渡り、アントウェルペンに滞在中に『ユートピア』を書き始め、翌年ロンドンで発表した。『ユートピア』は理想社会を託した架空の島名で、「どこにもない」の意味である。

 モアは『ユートピア』でイギリス社会の不合理・不正、特に当時の「エンクロージャー(囲い込み)」を激しく批判し、「優しい羊どもが人間を喰い荒らしている」と表現した。

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ヘンリ8世(ホルバイン作)

 『ユートピア』を発表した翌1517年、ルターが「九十五カ条の論題」で教会・教皇を批判し宗教改革が始まった。宗教改革の嵐がイギリスまで及ぶと、宗教界は大きく揺らぎ始めた。司法関係の要職に就いたモアは、ローマ教皇から「信仰擁護者」とされたヘンリ8世を支持し、宗教上の異端を激しく糾弾、カトリック思想への強烈な忠誠を尽くした。

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カザリン

 ところが、ヘンリ8世は男子世継ぎを得るため王妃カザリンとの離婚騒ぎを起こす。1529年、王の離婚許可を教皇に交渉して失敗したウールジーの後を受けて、モアは俗人としては初めて大法官に就任、ますますヘンリ8世の信任は深まった。

 しかし、モアはローマ教会の認めない離婚は不可であるとし、さらにヘンリ8世がローマ教会からの分離を図った首長法(国王至上法)の制定に対しても、俗人が教会の首長となることは不可能であるとして賛成せず、1532年に大法官を辞任した。

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ロンドン塔

 その後もモアは王の設立した国教会や首長法に反対したため、査問委員会にかけられ、反逆罪とされて1534年4月17日、ロンドン塔に幽閉された。

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モアの逮捕と処刑

 1535年7月6日、15ヶ月近く幽閉されていたため見るかげもなくやつれていたモアはついに処刑のために塔から引っ張り出された。その朝、ヘンリの使いが来て、刑場で群衆に向かって余り物をいわないようにとの命令を伝えた。

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「モア家の人々」(ホルバイン作)右から2人目がマーガレット

 途中で長女のマーガレットはモアの姿を群衆にまじってじっと見ていた。その際やせ衰えたモアに一人の婦人がすすみよって葡萄酒をすすめたが彼はそれを辞退した(マーガレットその人であったかもしれない。)モアはゆっくり断頭台にのぼり、ひざまずいて・・・・「詩編」51編を誦した。いよいよ最後になった時、モアはその場にいた人々に向かって「どうか私のために祈って下さい、そして私が聖なるカトリック教会の信仰を持ち、またその信仰のために、ここに死刑に処せられると言うことの事実の証人となって下さい。」といった。

 また伝説的な物語として、一度首きり台に首を横たえてから、また急に首斬人に向って「一寸まってくれ、髯をのけるから。この髯だけは大逆罪を犯していないからね。」といったという話がある。かくして、「法の名の下に行われたイギリス史上最も暗黒なる犯罪」が行われた。

 モアの頭はロンドン橋の上に曝された。モア家には、こういう話が伝わっている。ある日、彼の娘のひとりが橋の下を通りすがりに、父親の頭を仰ぎ見て、こう言った。「あのおつむりは、なんど私の膝の上で眠ったことでしょう。どうか神様、下を通ります私の膝に、あのおつむりを落として下さいませ。」彼女の願いは叶えられて、頭は彼女の膝の上に落ちた。そして今は、カンタベリー大聖堂の納骨所におさめっれている。

 モアは1935年にカトリック教会の殉教者として列聖され、死後400年を経て聖人となった。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2020/01/05 05:33 】

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