なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月18日(日)
午後4時20分に空港を出て、45分ほどで夕食会場の「ハウス・オブ・メモリーズ」に着いた。
充分に喉を潤したところで、いよいよミャンマー料理だ。隼人瓜の天ぷらに始まって、マンゴーと豚肉のカレー、ビーフカレーなどと続き、〆のデザートはココナッツのかかった白玉団子のようなお餅。どれもこれも不味くはないが、特別美味しいわけでもない。外国人観光客向けにアレンジしてあるようで、食べやすいのは食べやすいのだが、これがミャンマーだという主張がない。
ミャンマー料理は辛いだろうという先入観があったが、ミャンマーでは残念ながら香辛料はとれないそうで、インドやタイのようにパンチが効いていない。
誰かに見られているような視線を感じてふと見上げると、優しいお顔のブッダが。口元は法隆寺の救世観音に似ておられる。このお屋敷の仏間らしいが、撮影は禁止だ。
不謹慎かとは思ったが、僕もアウンサン将軍になったつもりで、座ってみた。タイプライターをうつホンジュン将軍です。(笑)
部屋には歴史を物語る数々の写真も展示されており、中でもアウンサン将軍と子供達を写した写真が目を引いた。アウンサン将軍の子供は2男2女。現在ミャンマー国家顧問のアウンサンスーチーは長女なので、左の女の子が彼女だ。やっぱり髪にはトレードマークの花をさしてる。
アウンサンスーチーはミャンマー民主化運動のリーダーとして、1991年にノーベル平和賞を受賞。「人権の女神」と呼ばれていた彼女だが、最近はロヒンギャ問題に対する対応で国際的に非難を浴び、このところの人気凋落ぶりは凄まじい。
国際的には評価の高かった彼女だが、実際のところミャンマーの国民はどう思っているのだろか。というのは、彼女の夫であった故マイケル=アリス氏はイギリス諜報部の幹部であった。民主化の名の下にミャンマーを資本主義化して、豊富な天然ガスの権益を取ろうとする英・米が送り込んだ謂わばスパイだ。「チベット研究家」とされているが、本当は英国諜報部MIー6のメンバーで、ある確かな意図を持って彼女に近づいたのは明白である。
そんな男と結婚したスーチーを国の指導者として認めているのだろうか。本当はその辺のところの本音をゼイヤ君に聞いてみたかったのだが、神経質な問題でもあるので結局聞けなかった。
ちなみに、アウンサンスーチーがアウンサンの娘だから、アウンサンが名字だと思っている人がいると思うけど、実はミャンマー人には名字がない。だから、アウンサンスーチーも全てがファーストネームなんだ。そのため、「家」の概念も希薄で、「祖先を祀る」や「家が絶える」「嫁に入る」といった東アジアの考え方とは程遠い価値観を持っているんだ。
ん、部屋の片隅に見慣れないものが。「过滤式消防自救呼吸器 TZL30」。火災の時に自分を救うために使うガスマスクだとは分かるが、最初の「过滤」の簡体字2文字が読めない。帰国してから調べた。繁体字で書くと「過濾」になり、要するに濾過【ろか】のことだ。つまりフィルター式ガスマスクだが、ガスマスクを置いてあるホテルは初めてだ。
でも、こんなんで火災の時に本当に助かるんかいな。だいたい中国語で書いてあるから使い方分からんだろうが。
明日は午前7時30分発の国内線でバガンに向かうので、朝が早い。もう寝ましょ。おやすみなさ~い。(つづく)
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午後4時20分に空港を出て、45分ほどで夕食会場の「ハウス・オブ・メモリーズ」に着いた。
150年以上前に建てられたコロニアル様式の屋敷を改装したレストランで、総チーク造りの建物はイギリス植民地時代のクラシカルな雰囲気が色濃く残されている。
何はともあれ、無事到着を祝ってビールで乾杯!ミャンマー・ブルワリー製造のビールで、銘柄は直球ど真ん中に、そのままミャンマー・ビール(Myanmar Beer)。1997年から販売が始まったミャンマーではそれなりの歴史があるビールブランドで、過去にモンド・セレクションも受賞し、国際的な認証も得ているそうだ。
「アジアで最も美味しいビール」と脚光を浴びているそうだが、アルコール度数は5%だけど、薄く感じると言うか、味がさっぱりしていていると言うか、パンチがないと言うか。まあ、飲みやすいので、どんどん喉に入っていく。ちなみに、ミャンマー・ブルワリーは2015年にキリン・ホールディングスに買収されたそうだ。
「アジアで最も美味しいビール」と脚光を浴びているそうだが、アルコール度数は5%だけど、薄く感じると言うか、味がさっぱりしていていると言うか、パンチがないと言うか。まあ、飲みやすいので、どんどん喉に入っていく。ちなみに、ミャンマー・ブルワリーは2015年にキリン・ホールディングスに買収されたそうだ。
充分に喉を潤したところで、いよいよミャンマー料理だ。隼人瓜の天ぷらに始まって、マンゴーと豚肉のカレー、ビーフカレーなどと続き、〆のデザートはココナッツのかかった白玉団子のようなお餅。どれもこれも不味くはないが、特別美味しいわけでもない。外国人観光客向けにアレンジしてあるようで、食べやすいのは食べやすいのだが、これがミャンマーだという主張がない。
ミャンマー料理は辛いだろうという先入観があったが、ミャンマーでは残念ながら香辛料はとれないそうで、インドやタイのようにパンチが効いていない。
誰かに見られているような視線を感じてふと見上げると、優しいお顔のブッダが。口元は法隆寺の救世観音に似ておられる。このお屋敷の仏間らしいが、撮影は禁止だ。
この写真の人物をご存知かな?「ビルマ独立の父」と仰がれているアウンサン将軍だ。アウンサンは1938年から「われらビルマ人協会」のリーダーとして活躍した。この協会はビルマではビルマ人がタキン(主人)であるとして、党員すべてが自分の名前にタキンを冠して呼び合ったので、タキン党と呼ばれるようになった。 タキン党は反英独立闘争を展開し、日本軍の援助で1941年にタイのバンコクでビルマ独立義勇軍を創設した。
太平洋戦争の開戦後、1942年、日本軍がビルマ侵攻を開始すると、日本軍とともにビルマに進軍し、日本軍政下で表面は協力しながら地下活動の共産党などと連絡を取り、密かに抗日運動を準備した。43年、独立義勇軍も参加して反ファシスト人民自由連合を結成、45年3月から反日闘争を開始した。
1945年8月、日本軍敗退後は、再び植民地支配を行おうとしたイギリスと戦い、47年イギリス首相アトリーの間で独立協定に調印した。1948年1月に独立宣言が発表されることになっていたが、その直前の47年7月に政敵ウーソオによって暗殺された。
ウーソオは直後に政府首班となったウーヌーにより逮捕され、裁判で死刑判決を受け1948年に処刑された。死ぬ間際に「嘘!」と言って死んだというのは、嘘。
ウーソオは自分の野心のためにアウンサン将軍を暗殺したとされているが、日本と組んだアウンサン将軍を許せないイギリスが黒幕だったという話もある。
太平洋戦争の開戦後、1942年、日本軍がビルマ侵攻を開始すると、日本軍とともにビルマに進軍し、日本軍政下で表面は協力しながら地下活動の共産党などと連絡を取り、密かに抗日運動を準備した。43年、独立義勇軍も参加して反ファシスト人民自由連合を結成、45年3月から反日闘争を開始した。
1945年8月、日本軍敗退後は、再び植民地支配を行おうとしたイギリスと戦い、47年イギリス首相アトリーの間で独立協定に調印した。1948年1月に独立宣言が発表されることになっていたが、その直前の47年7月に政敵ウーソオによって暗殺された。
ウーソオは直後に政府首班となったウーヌーにより逮捕され、裁判で死刑判決を受け1948年に処刑された。死ぬ間際に「嘘!」と言って死んだというのは、嘘。

実はこのお屋敷はアウンサン将軍が独立運動の指揮を執っていた建物をそのままレストランにしたもので、2階にはアウンサン将軍の執務室がそのまま残されている。デスクには実際に使用されていたタイプライターが置かれるなど、当時の姿を今に伝えている。
不謹慎かとは思ったが、僕もアウンサン将軍になったつもりで、座ってみた。タイプライターをうつホンジュン将軍です。(笑)
部屋には歴史を物語る数々の写真も展示されており、中でもアウンサン将軍と子供達を写した写真が目を引いた。アウンサン将軍の子供は2男2女。現在ミャンマー国家顧問のアウンサンスーチーは長女なので、左の女の子が彼女だ。やっぱり髪にはトレードマークの花をさしてる。
国際的には評価の高かった彼女だが、実際のところミャンマーの国民はどう思っているのだろか。というのは、彼女の夫であった故マイケル=アリス氏はイギリス諜報部の幹部であった。民主化の名の下にミャンマーを資本主義化して、豊富な天然ガスの権益を取ろうとする英・米が送り込んだ謂わばスパイだ。「チベット研究家」とされているが、本当は英国諜報部MIー6のメンバーで、ある確かな意図を持って彼女に近づいたのは明白である。
そんな男と結婚したスーチーを国の指導者として認めているのだろうか。本当はその辺のところの本音をゼイヤ君に聞いてみたかったのだが、神経質な問題でもあるので結局聞けなかった。
ちなみに、アウンサンスーチーがアウンサンの娘だから、アウンサンが名字だと思っている人がいると思うけど、実はミャンマー人には名字がない。だから、アウンサンスーチーも全てがファーストネームなんだ。そのため、「家」の概念も希薄で、「祖先を祀る」や「家が絶える」「嫁に入る」といった東アジアの考え方とは程遠い価値観を持っているんだ。
午後6時40分に食事と見学を終え、ホテルに向かう。途中でバスを停め、ライトアップされたシュエダゴン・パゴダの撮影。暗闇に浮かぶ黄金のパゴダが美しく、神秘的だ。
午後7時30分、ホテルに到着。今晩泊まるホテルはスカイ・スター・ホテル(写真は翌朝撮影したもの)。空港とヤンゴン市内の中間に位置したホテルだ。厳重なボディチェックを受けてフロントへ。
なかなか小綺麗なホテルだが、今回は寝るだけ。
僕の部屋は902号室。部屋のカードキーは使い回しなので、紛失すると10ドルの罰金だ。
ん、部屋の片隅に見慣れないものが。「过滤式消防自救呼吸器 TZL30」。火災の時に自分を救うために使うガスマスクだとは分かるが、最初の「过滤」の簡体字2文字が読めない。帰国してから調べた。繁体字で書くと「過濾」になり、要するに濾過【ろか】のことだ。つまりフィルター式ガスマスクだが、ガスマスクを置いてあるホテルは初めてだ。
でも、こんなんで火災の時に本当に助かるんかいな。だいたい中国語で書いてあるから使い方分からんだろうが。

明日は午前7時30分発の国内線でバガンに向かうので、朝が早い。もう寝ましょ。おやすみなさ~い。(つづく)
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