なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月23日(水)
さあ、今日は今回の旅行のメイン。クンジュラブ峠を越えてパキスタンへと向かう。
玄奘がこの地を訪れたのは643年のことだが、それより240年余り前の401年に法顕がやって来ている。玄奘がインドを目指して長安を出たのが27歳、血気盛んな年齢であった。しかし、法顕が長安を出たのは64歳の時であり、年齢を考えれば無謀な計画であった。おまけに敦煌を出たあと、タクラマカン砂漠を横断して西域南道に出るという無茶苦茶な旅程で、この町にやって来た。
法顕自らが「空に飛ぶ鳥なく、地に走る獣なし。ただ死人の枯骨を標識とするだけである」と書いたように、まさに死と隣り合わせの旅であった。死の恐怖をも超える求法の志に頭のさがる重いである。そして、タシクルガンを出た法顕は、我々とほぼ同じルートでガンダーラを目指したのである。
そして、昨日見ることの出来なかったムスターグ・アタ峰が雲間にその白い雄姿を見せている。360度の大パノラマである。
城から降りて来て、残留組の連中に「いやあ、凄い景色だったよ。みんなも来れば良かったのに」と言っても、「どうせ、たいしたことなかったんだろ」と言って、信じてくれない。本当に素直じゃないんだから。
午後12時15分、やっとやっと検問所を出られた。さあ、いよいよ中巴公路【ちゅうはこうろ】(カラコルム・ハイウェイ)を一路パキスタンへ、と思ったら、5分ほど走ってまた検問。国境警備隊が乗り込んで来て、運転手さんに何か聞いている。もう、いい加減にしてくれよ~。
午後12時25分、やっとやっと検問所を出て、今度こそ本当にパキスタンに向かう。(つづく)
さあ、今日は今回の旅行のメイン。クンジュラブ峠を越えてパキスタンへと向かう。
午前8時に朝食を済ませ、午前9時、昨日行けなかった石頭城を訪ねた。
タシクルガンはタジク語で「石の城」という意味で、この城が町の名前の由来となった。南北朝時代に築かれたと言われ、インドからの帰途玄奘も立ち寄り、20日間滞在している。玄奘がこの地を訪れたのは643年のことだが、それより240年余り前の401年に法顕がやって来ている。玄奘がインドを目指して長安を出たのが27歳、血気盛んな年齢であった。しかし、法顕が長安を出たのは64歳の時であり、年齢を考えれば無謀な計画であった。おまけに敦煌を出たあと、タクラマカン砂漠を横断して西域南道に出るという無茶苦茶な旅程で、この町にやって来た。
法顕自らが「空に飛ぶ鳥なく、地に走る獣なし。ただ死人の枯骨を標識とするだけである」と書いたように、まさに死と隣り合わせの旅であった。死の恐怖をも超える求法の志に頭のさがる重いである。そして、タシクルガンを出た法顕は、我々とほぼ同じルートでガンダーラを目指したのである。
「疲れるから行かない」という怠惰な12名を残し、何でも見ようという好奇心の強い9名が石頭城に登った。石と土の塊がゴロゴロしている歩きにくい道を登ること僅か5分。目の前に広がる景色に息を呑んだ。崑崙【こんろん】山脈から朝日が昇り、煙のたなびく湿原地帯を照らし出す。朝日をうけて輝くカラコルム山脈の峰々。
そして、昨日見ることの出来なかったムスターグ・アタ峰が雲間にその白い雄姿を見せている。360度の大パノラマである。
城から降りて来て、残留組の連中に「いやあ、凄い景色だったよ。みんなも来れば良かったのに」と言っても、「どうせ、たいしたことなかったんだろ」と言って、信じてくれない。本当に素直じゃないんだから。

午前10時に口岸に到着。口岸とは出入国管理事務所のことだが、こんな山奥なのに「岸」という字を使っているのは面白い。国境のクンジュラブ峠は標高4,693メートルもあって出入国審査が出来ないので、130キロも離れたタシクルガンの町に置かれている。ウルムチに到着してから4日間お世話になった趙戈莉さんとはここでお別れ、涙を流しながら、何枚も何枚も写真を撮った。その時、彼女が手を僕の手に絡めて来たんだけど、ひょっとして……かな?
出国審査はお役所の仕事だから本来は午前9時に始まる。でも、ここは辺境の地なので、普通は午前10時始まるそうだ。ところが、10時を過ぎても始まらない。暇なのでクンジュラブ峠への道を撮影していたら、たまたま通りかかった軍隊を写したみたいだ。若い軍人さんがとんできて、データを削除しろって。拘束されてはかなわないので、素直に従った。
出国審査はお役所の仕事だから本来は午前9時に始まる。でも、ここは辺境の地なので、普通は午前10時始まるそうだ。ところが、10時を過ぎても始まらない。暇なのでクンジュラブ峠への道を撮影していたら、たまたま通りかかった軍隊を写したみたいだ。若い軍人さんがとんできて、データを削除しろって。拘束されてはかなわないので、素直に従った。
午前10時30分、漸く出国審査が始まった。日本人のグループは我々だけ。乗り合いバスでパキスタンへと向かうウイグル族・モンゴル族、自転車を抱えた金髪のお兄ちゃん(欧米か!?古いギャグですんません)でごった返す。
荷物の安全検査だけで一苦労。みんな自分の荷物を持ってX線検査を受ける。おまけに非典(平成15年に大流行した重傷急性呼吸器症候群、つまりSARS【サーズ】のこと)の体温検査まである。なんで今頃こんなことやってるの、と言いたくなる。その上、係官が新人さんなのか、愚図なのか、嫌がらせなのか、パスポートチェックに異様に時間がかかる。時計で計ったら、一人に10分かかる場合もある。結局我々のグループ全員の審査が終わったのが、午前11時45分。1時間以上もかかった。もっと速くやれよ。
我々の検査はやっと終わったが、運転手さんが来ない。もっと厳重な検査を受けているようだ。
運転手さんが現れ、さあこれで出発かと思ったら、若い姉ちゃんの係官がバスに乗り込んで来て、パスポートチェックと人数の確認をする。それも終わって、さあ今度こそと思ったら、偉そうな上司が現れて、また同じことを繰り返す。いい加減にしろよ!俺たちの中にテロリストでもいると言うのか!?
我々の検査はやっと終わったが、運転手さんが来ない。もっと厳重な検査を受けているようだ。
運転手さんが現れ、さあこれで出発かと思ったら、若い姉ちゃんの係官がバスに乗り込んで来て、パスポートチェックと人数の確認をする。それも終わって、さあ今度こそと思ったら、偉そうな上司が現れて、また同じことを繰り返す。いい加減にしろよ!俺たちの中にテロリストでもいると言うのか!?

午後12時15分、やっとやっと検問所を出られた。さあ、いよいよ中巴公路【ちゅうはこうろ】(カラコルム・ハイウェイ)を一路パキスタンへ、と思ったら、5分ほど走ってまた検問。国境警備隊が乗り込んで来て、運転手さんに何か聞いている。もう、いい加減にしてくれよ~。

午後12時25分、やっとやっと検問所を出て、今度こそ本当にパキスタンに向かう。(つづく)
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