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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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古都バガン④ータマヤンジー寺院

8月19日(月)

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 午前11時35分、ティーローミンロー寺院を出てタマヤンジー寺院に向かう。道すがら多くの寺院やパゴダが見える。

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 おやっ、お昼のお弁当の配達ですかね。それにしてもうまくバランスを取ってて、頭から落ちないんですね。親子連れだと思うけど、お母さんも少年も民族衣装のロンジーをはいてますね。ロンジーは簡単に言えばビルマ風腰巻き。これの着用率がほぼ100%に近い。男性も女性も老いも若きも、タクシーの運ちゃんも、商店街の店主も店員も、お役所の職員も、ガイドのゼイヤ君も、みんなロンジー姿だ。もちろん、アウンサンスーチーさんもね。

 なぜ、これだけロンジーがミャンマー国民に愛されるのか?実用的に優れていることや、長らく続いた輸出入の統制のために外国製の衣服の入手が困難だったこともその要因だろうけど、やはり伝統文化への愛着が強いからだろう。

  金沢でも最近和服を見かけることが多くなったが、これはインスタ映えを狙った観光客がレンタルして、町を闊歩しているからだ。どいつもこいつも全然着物が似合っていない。たまに着ても駄目。毎日のように着ていないと、しっくりこないもんだ。

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 パゴダが林立している。この前も書いたけど、バガンには3000を越えるパゴダがあると言われている。まあ、それにしてもよく建てたもんだね。バガン朝は1044年から1287年の約250年間続いた王朝だから、毎月1つづつ建てた計算になる。

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 馬車がいっぱい停まっている。大型バスでバガンを周るよりも、馬車のほうがのんびりしていていいよね。1日のチャーター料が3万チャット、2,300円位だから安い。ただし、ぼったくりの馭者もいるらしいから気をつけてね。あと、レンタサイクルとEバイク(電動自転車)があるそうだ。

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 午前11時50分、タマヤンジー寺院に着いた。タマヤンジー寺院は基壇一辺の長さ約78メートルというバガンの中で最大規模の寺院で、午後訪ねるアーナンダ寺院と同じように洞窟をモチーフにしている。煉瓦造りの単層構造だが、上部には、崩落した頂部に向かってそびえる6段のピラミッド型テラスがあり、重厚感がある。


 この寺院を建てたのはバガン朝第5代国王のナラトゥー(在位1167~1170年)なのだが、こんなエピソードが残っている。

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アラウンシードゥー

 バガン朝第4代国王アラウンシードゥーは長男であるミンシンソウを後継者としていた。しかし、お互いの意見の相違から、ミンシンソウは宮殿を追われ、マンダレー東部で亡命生活を送ることになってしまう。弟のナラトゥーは王国の日常的な事務を処理してアラウンシードゥーに好印象を与え、間もなくナラトゥーは宮廷の中で事実上の後継者となった。

 
しかし、王位に就くことを待ちきれなかったナラトゥーは、1167年に重病に罹った父王をシュウェグージー寺院に幽閉。寺に運ばれた父が意識を取り戻した事を知ると、進退窮まった彼は寺に赴き、自らの手で父を窒息死させた。ナラトゥーが政変を起こした直後にミンチンソウが軍を率いてバガンに進攻し、ナラトゥーは大僧正のパンタグと協議してミンチンソウを王位に就けた。

 しかし、その夜にナラトゥーはミンチンソウを毒殺して自ら王位に就き、彼の背信行為に憤慨したパンタグはセイロン島に出奔した。こうして、父と兄を殺害して即位したのがナラトゥーだが、こんな話はどこの国でも起きた血生臭い王位継承争いで、ムガル帝国のシャー=ジャハーンやアウラングゼーブも同じことをしている。

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 その後、ナラトゥーの行為は、王朝の威信を下げ、多くから不評の声が上がり、自らも罪悪感による重圧を抱え、宮殿に閉じ込もってしまう。罪の意識にさいなまれたナラトゥーが、罪滅ぼしのためにそれまでで最大で、最も細工が細かく、最も変わった形の寺院を建て始めた。しかし、工事は遅々として中々進まず、またナラトゥーが煉瓦と煉瓦の間に針が入るほどの隙間があるという理由で左官を処刑した噂も立った。そして、ナラトゥーは即位して3年後の1170年に何者かに暗殺されてしまう。

 バガン王家に嫁いでいた娘を殺害されたパティカヤ王の報復であったとも言われ、パティカヤ王は8人の刺客を送り込み、彼らはバラモンに扮してナラトゥーを刺殺したと伝えられているが、セイロン島のシンハラ王朝の攻撃によって戦死したという説もある。

 ナラトゥーの死によってタマヤンジー寺院の工事は中断した。ナラトゥーの評判は生前から悪く、その後工事をする人も現れず、寺院は荒れるがままになって行った。現在でもこの寺院は未完のままで、地元では夜になると幽霊が出ると言われ、心霊スポットになっているそうな。

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 未完ではあるが、仏像はいくつか収められている。この仏像はティーローミンロー寺院の仏像とそっくり。と言うか、ティーローミンロー寺院の建立のほうがあとだから、ティーローミンロー寺院がダマヤンジー寺院の真似をしたんか。

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 今の仏像の右膝だけど、なんか腫れてない。変形性膝関節症じゃないか。いやいや、実はこれ信者さんが金箔を貼り過ぎた結果なんだ。ミャンマーの人は信仰の証として仏像に金箔を貼るのが大好きなんだ。

 インドのブッダガヤ大塔のお釈迦さまもクシナガラの涅槃像も金ピカにしたのはミャンマーの人たちだ。金箔貼り過ぎてもっと大変なことになった仏さんを後で紹介するから楽しみにしといてね。

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 この仏像は金箔が貼られてないし、その上、袈裟が赤というか、臙脂色だ。ちょっと今までの仏像と趣が違う。それにしても、このなまぐさ坊主は手をあわせることもせず、写真をとってやがる。

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 拝観している時は回廊がひんやりしていて、外からの風が気持ちいいと感じていたんだけど、今こうして文章をまとめながら回廊の写真を見ると、なんとなく重く沈んだ雰囲気だね。地元の人が幽霊が出ると言っているのも分かる気がする。

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 回廊の壁龕【へきがん】(仏像を安置するため壁の窪み)はほとんど空だけど、この壁龕には涅槃像が。

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 これは珍しい二尊仏ですね。みんなも知っている通り、普通は三尊仏だよね。釈迦如来と脇侍の文殊・普賢菩薩や阿弥陀如来と脇侍の観音・勢至菩薩が有名な三尊仏だ。二尊仏というのは初めて見たと思ったんだけど、よく見ると仏像の背後のストゥーパは3つあるよね。真ん中にストゥーパがあって、両サイドに仏像がある。あれっ、これ僕が毎日拝んでいる「一塔両尊と同じ形式じゃないか。真ん中にお題目が書かれた塔があって、向かって左に釈迦如来、右に多宝如来。日蓮宗のご本尊だよだ。

 ダマヤンジー寺院では法華経が信仰されていた、という妄想が脳裏をよぎったが、この2体の仏像はナラトゥーが暗殺した父と兄を祀るために造られたそうだ。

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 回廊から外に出ると、雨季とは言え光が眩しい。いつも通り門前の土産物屋。めぼしいものは一つもない。たくさんの操り人形が木に吊されており、風が吹くたびに揺れている。

 ミャンマーの操り人形が有名だとは、この時はつゆ知らず、晩飯の時にその人形劇を見せられることも知らなかった。

 今は晩飯のことより、昼飯だろうが。レストランに急ぐぞ。(つづく)


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テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【 2020/02/04 05:40 】

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