なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月20日(火)
ウー・ベイン橋はタウンタマン湖をまたいで架かる全長1.2kmの橋。ここアマラプラの南にあるインワという町の歴史は古く、1364年にシャン族の都となって以来、約400年間ビルマ人王朝の都として栄えた。コンバウン朝もインワに都を置いたことがあるが、1841年にターラーワディー王がアマラプラに遷都し、その後都がこの地へ戻ることはなかった。
この橋は1849年にアマラプラの市長にあたる人物であったたウー・ベイン(ウーは敬称なので、ベイン氏)がイ、ンワの旧王宮のチーク材を再利用して造った。ということは、今から170年も前に造られた、世界最長の木造の歩道橋ということになる。
なんと、1086本の木製の橋脚がこの橋を支えている。水面から橋床までは5mくらいの高さがあり、幅員は3m程でやや狭く欄干はない。アマラプラの町で飲んで帰る時は気をつけないと、タウンタマン湖に落ちてしまう。橋床はスノコ状のチーク材で、3cm位の隙間が空いていて、下が丸見え。高所恐怖症のお方はちょっと辛いかも。
30分程ウー・ベイン橋を見学した後、近くの絹織物工房へ。薄暗い室内で大きな織機に二人ずつタナカを塗った姉ちゃんがついて、一生懸命に機を織っている。
食事が終わって紅茶を頼んだら、白湯の入ったカップとティーバッグが出て来た。長いこと海外を旅して来たけど、こんな手抜きは初めて。もっとちゃんとやれや。
マハーガンダーヨン僧院を1時間ほど見学し、すぐ南にあるウー・ベイン橋へ。3分ほどで到着した。駐車場から橋へと向かう道には、門前町のように土産物屋が並ぶ。これは海老煎餅に海老の唐揚げかな。おそらくタウンタマン湖で採れた海老だろう。
おばちゃんが唐揚げを作製中。
ウー・ベイン橋はタウンタマン湖をまたいで架かる全長1.2kmの橋。ここアマラプラの南にあるインワという町の歴史は古く、1364年にシャン族の都となって以来、約400年間ビルマ人王朝の都として栄えた。コンバウン朝もインワに都を置いたことがあるが、1841年にターラーワディー王がアマラプラに遷都し、その後都がこの地へ戻ることはなかった。
この橋は1849年にアマラプラの市長にあたる人物であったたウー・ベイン(ウーは敬称なので、ベイン氏)がイ、ンワの旧王宮のチーク材を再利用して造った。ということは、今から170年も前に造られた、世界最長の木造の歩道橋ということになる。
なんと、1086本の木製の橋脚がこの橋を支えている。水面から橋床までは5mくらいの高さがあり、幅員は3m程でやや狭く欄干はない。アマラプラの町で飲んで帰る時は気をつけないと、タウンタマン湖に落ちてしまう。橋床はスノコ状のチーク材で、3cm位の隙間が空いていて、下が丸見え。高所恐怖症のお方はちょっと辛いかも。
橋の向こうまで歩いてみませんかと、添乗員のO君からお誘いがあった。最近めっきり腹が出てしまったので、往復2km余りを歩いてカロリーを消化しようとも考えたが、集合時間に間に合わないと大変なので止めておいた。
何の変哲もないこんな橋が多くの観光客を呼んでいるのか分からなかったので、帰国後にネットで調べてみたら、こんな写真を見つけた。昼日中に行ったら何の変哲もない橋が、日没時に行くとこんなインスタ映えする写真が撮れる橋に様変わり。僕も夕刻に行きたかった。

30分程ウー・ベイン橋を見学した後、近くの絹織物工房へ。薄暗い室内で大きな織機に二人ずつタナカを塗った姉ちゃんがついて、一生懸命に機を織っている。
製品も見せてくれたが、僕はまったく興味がない。
午後12時50分、「A Little Bit of Mandalay(ア・リトル・ビット・オブ・マンダレー)」でお待ちかねの昼食。午前6時に朝飯を食ってるので、もう腹ぺこ。店の名前の「少しだけ」は何を意味してるのだろうか?まさか、料理が少しだけ、だったりして。
まずはミャンマービールで乾杯。結局、今回の旅では他の銘柄はいっさい飲めず、最初から最後までミャンマービールだけ。料理は米粉を揚げた煎餅に始まって、もやし炒め、ミャンマー風チジミなど、野菜料理中心のミャンマー料理。
食事が終わって紅茶を頼んだら、白湯の入ったカップとティーバッグが出て来た。長いこと海外を旅して来たけど、こんな手抜きは初めて。もっとちゃんとやれや。

帰り際にテーブルの上を見たら、日本語の学習読本が置いてある。日本人観光客が増えてきたので、一生懸命日本語の練習してるんだ。よし、その努力に免じて、紅茶の一件は忘れてあげよう。頑張れ、ミャンマーの諸君。(つづく)
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