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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー大変な別れ話②

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エリザベス

 1533年9月、アン=ブーリンはヘンリ8世待望の子を産んだが、その期待に反して女の子であった。エリザベスと名づけられたこの子がヘンリ8世の世継ぎとされ、キャサリンの娘メアリ王女は庶子の身分となり、王位継承順でエリザベスの次位に下げられた。

 その後のアンは流産や想像妊娠を経るも、男子の誕生を求めるヘンリ8世の期待に応えることが出来ず、その強い性格と優れた知性で政治に介入し、多くの敵を作った。アンはまた贅沢を好み、宮殿の改装や家具・衣装・宝石などに浪費した。一方、ヘンリ8世はアンの侍女の一人ジェーン=シーモアへと心移りし、次第にアンへの愛情は薄れていった。 

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アンの処刑

 1536年、アンが再び流産した直後にその没落は始まった。アンは国王暗殺の容疑、および不義密通を行ったとして、反逆罪に問われ、逮捕された。5人の男と姦通したとされたが、うち1人は実兄ジョージ=ブーリンだったとされる。1536年5月19日、反逆、姦通、近親相姦及び魔術という罪で死刑判決を受け、ロンドン塔にて斬首刑に処せられた。 王妃となって3年余り、「1000日のアン」と呼ばれることになる。

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ジェーン=シーモアとエドワード

 アン=ブーリンの処刑の翌日、ヘンリ8世はジェーン=シーモアと婚約し、10日後に結婚した。ヘンリ8世の女癖は治っていない。1537年にジェーンはエドワード王子を生んだが、ジェーンは産褥死した。ヘンリーは悲嘆にくれたが立ち直り、寵臣トマス=クロムウェル(姉の玄孫がピューリタン革命の指導者オリバー=クロムウェル)に次の王妃を探させた。
 
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アン(ホルバイン画)

 トマス=クロムウェルはカール5世に対抗するために、ドイツ貴族の娘アンを推薦し、ホルバインに肖像画を描かせた。その肖像画を一目で気に入り、若い使い走りの少年の姿に変装してこっそり彼女の姿を見に行ったが、ヘンリ8世は実際のアンナの顔を見て、「絵に描いてある女とは違う!」と激怒したという。結婚はしたものの、彼女が英語を話せなかったこともあり、わずか半年で離婚。

キャサリン=ハワード  
キャサリン=ハワード

 1540年7月28日、ヘンリ8世はアン=ブーリンの従姉妹であるキャサリン=ハワードと結婚した。同じ日、トマス=クロムウェルは叛逆罪で処刑されている。ヘンリ8世は30歳も年の離れたキャサリンを「私の薔薇」「私の棘のない薔薇」と呼んで可愛がった。しかし、1年半後、姦通罪と叛逆罪で処刑されてしまう。

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キャサリン=バー

 ヘンリ8世は6番目の妻として富裕な未亡人であったキャサリン=バーを迎えた。過去に2人の妻との婚姻を無効とし、2人の妻を断頭台に送ったヘンリ8世の求婚にキャサリンは逡巡したが、結局1543年に31歳で王と結婚した。この時、ヘンリ8世は52歳。

 キャサリンは教養の深いプロテスタントであり、エドワード王子の教育を任された。また、メアリ王女およびエリザベス王女を庶子の身分から王女の身分に戻し、エドワード王子の下位ながら王位継承権を復活させた。

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エドワード6世

 ヘンリ8世はしだいに肥満して健康を害し、1547年1月28日、キャサリン=バーに看取られながら、55年の生涯を終えた。男子で唯一存命していたエドワードが、わずか9歳で即位した。マーク=トウェインの『王子と乞食』の主人公である。

 新教派の貴族が摂政となり、国教会にカルヴァンの教えを取り込んで教義を整備し、1549年『一般祈祷書』が作成された。

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メアリ1世

 エドワード6世は先天性梅毒により幼い頃から病弱で、在位わずか6年、1553年7月6日、16歳を前にして没した。エドワードはジェーン=グレイを後継者として指名していたが、民衆の支持を得た異母姉のメアリが、メアリ1世として1553年7月19日に即位した。イギリス史上初の女王の誕生である。

 彼女は母がスペインの王女キャサリンであり、熱心なカトリックの信者であったため、エドワード6世の治世には厳しい迫害を受けていた。はからずも女王となったメアリはカトリック教会を復活させた。さらに、狂信的なカトリック信者として知られるスペインの皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)と国民の不評をおして結婚。異端を禁止する法律を制定して数百人国教徒を処刑したため、「ブラッディ=メアリ(流血好きのメアリ)と呼ばれた。

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エリザベス1世

 メアリ1世は1558年11月17日、卵巣腫瘍により42歳で亡くなった。後継者は異母妹エリザベス以外にいなかったが、母を王妃の座から追いやった淫婦の娘としてメアリはエリザベスのことを終生憎み続けており、死の前日になってしぶしぶ彼女を自身の後継者に指するほどだった。
 
 こうして1558年11月18日、イギリス史上最も輝かしき女王としてエリザベス1世が25歳で即位した。反動と流血のメアリ1世時代のあとで国民の期待は大きく、メアリ1世のカトリック復興策を否定して父・弟の国主義を継承、首長令・礼拝統一令を発して、イギリス国教会制度を確立した。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2020/05/05 05:23 】

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