なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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メアリ=ステュアートは1542年12月8日、スコットランド国王ジェームズ5世の第3子として生まれた。ジェームズ5世はインランド国王ヘンリ7世の孫にあたるので、エリザベス1世の従兄ということになる。12月14日にジェームズ5世が30歳で急死すると、長男と次男が早世していたため、わずか生後6日で王位を継承した。
当時スコットランドはフランスと同盟してイングランド国王ヘンリ8世と戦っていた。スコットランド併合を画策するイングランドはヘンリ8世の死後、若い国王エドワード6世の妻としてメアリを迎えようとしたが、断られるとスコットランドに再び侵攻した。そのためメアリは1548年にフランスのアンリ2世の皇太子フランソワ(1歳年下)と婚約、10年間フランス宮廷で養育された後、1558年に結婚した。
フランスを去るメアリ
フランソワは翌1559年に父アンリ2世が不慮の事故で亡くなると、15歳の若さでフランソワ2世として即位し、メアリはフランス王妃となった。しかし、彼女に不幸がつきまとう。フランソワは耳鼻咽喉科系の先天性の持病を持っており、始終耳から膿を吹き出し、口も半開きにすることが多く、咽頭扁桃肥大症(アデノイド)の症状を表していたという。1560年年末も近い晩秋、フランソワ2世は狩猟に出かけた帰りに耳の後ろに鋭い痛みを訴えて倒れ、中耳炎と診断された。侍医は開頭手術を提言したが母カトリーヌ=ド=メディシスはこれを拒絶、中耳炎は彼の脳葉にまで達し、脳炎を引き起こして死亡した。16歳であった。
結婚してわずか2年、18歳で未亡人となったメアリには子供が無く、翌1561年8月20日にスコットランドに帰国した。
結婚してわずか2年、18歳で未亡人となったメアリには子供が無く、翌1561年8月20日にスコットランドに帰国した。
しかしスコットランドはカルヴァン派の長老派(プレスビテリアン)による宗教改革が行われており、カトリック教徒のメアリに実権は無かった。その後、美しかった彼女の周辺にはスキャンダルが渦巻く。宮廷の有力者だったダーンリー卿と1565年に再婚した。ダーンリー卿はメアリの従弟でカトリック教徒だったので、メアリには都合が良かった。
デイヴィッド=リッチオ
しかし、両親から甘やかされてきたダーンリー卿の傲慢な性格がわかるにつれて、メアリの愛情も冷めていった。やがて音楽家で、有能で細やかな気づかいをする秘書のデイヴィッド=リッチオを寵愛し、重用するようになった。
リッチオの殺害
1566年3月9日、ホリールード宮殿で食事をとっている時、武器を手にしたルースベン=モートンなどの数人の貴族達がリッチオを拉致し、ダーンリー卿の部屋に近い謁見室、しかもメアリの目前で殺害するという事件が起きた。嫉妬に狂ったダーンリー卿が謀ったことだった。
この時、メアリは流産の危機を迎えたが、6月19日無事に息子ジェームズを出産した。リッチオの子だと噂する者がいたため、メアリは床についたまま、ダーンリーの子であることを誓い、ダーンリーにも認めるよう迫った。しかし、ジェームズが大きくなっても、ダヴィデ(デイヴィッド)の子を意味する「ソロモン」と呼ぶ者がいたそうだ。
この時、メアリは流産の危機を迎えたが、6月19日無事に息子ジェームズを出産した。リッチオの子だと噂する者がいたため、メアリは床についたまま、ダーンリーの子であることを誓い、ダーンリーにも認めるよう迫った。しかし、ジェームズが大きくなっても、ダヴィデ(デイヴィッド)の子を意味する「ソロモン」と呼ぶ者がいたそうだ。
ボスウェル伯
子どもは生まれたが、ダーンリー卿との仲は冷め切り、メアリはスコットランド軍を率いる有力者、ボスウェル伯に心を寄せるようになった。1567年2月10日、ダーンリー卿が何者かによって暗殺された。僅かその3カ月後の5月15日にメアリはボズウェル伯と結婚式を挙げた。当時、ダーンリー卿暗殺の首謀者はボスウェル伯、共謀者はメアリであると見られていたにも拘わらずである。カトリック・プロテスタント双方がこの結婚に反対した。
やがて、反ボスウエル伯で結束した貴族たちの反乱が起こり、メアリは反乱軍に捕らわれ、ロッホ=リーヴン城に監禁され、7月26日に廃位された。
やがて、反ボスウエル伯で結束した貴族たちの反乱が起こり、メアリは反乱軍に捕らわれ、ロッホ=リーヴン城に監禁され、7月26日に廃位された。
エリザベス1世
しかし、メアリの美しさに惑わされた城主の息子の手助けで、1568年5月脱出に成功。メアリは6000人の兵を集めて軍を起こしたがマリ伯の軍に敗れ、イングランドのエリザベス1世の元に逃れた。エリザベス1世はメアリをかばい、スコットランドに引き渡さなかったが、イングランド王継承権を持つこの女性は危険な存在であった。カトリックの復権をもくろむ勢力やエリザベス1世を妬む勢力は、メアリを担ぎ出そうとしてたびたび陰謀事件が仕組まれた。
メアリの処刑
エリザベスはメアリを幽閉したが、処刑はせずに19年の月日が経ち、ついに1587年2月8日、女王殺害計画の罪で処刑した。メアリは運命にもてあそばれた44年の生涯を終えた。
スペインのフェリペ2世は同じカトリックの立場からメアリの処刑に抗議し、1588年7月に無敵艦隊を派遣、アルマダ海戦となったのである。
スペインのフェリペ2世は同じカトリックの立場からメアリの処刑に抗議し、1588年7月に無敵艦隊を派遣、アルマダ海戦となったのである。
ジェームズ1世
1603年、生涯独身を通したエリザベス1世が亡くなり、テューダー朝が断絶。彼女が生前に指名していたスコットランド国王ジェームズ6世がイングランド国王ジェーズム1世として即位し、両国は同君連合の形で統合されることになった。皮肉なことにジェームズ1世はメアリ=スチュアートの長子で、メアリの愛人の子ではないかと噂された、あのジェームズである。
ジェームス1世は、国王就任後の1612年、母の遺体を母の仇であるエリザベス1世も安置されたロンドンのウェストミンスター寺院の地下墓地に移した。エリザベス1世の立派な墓の反対側に位置するメアリの墓は、エリザベスのものよりもさらに立派な装飾がされている。
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