なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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1603年4月、スコットランドの首都エディンバラから南下する美々しい行列があった。折からの春風に吹かれながら馬を巧みに操っているのがスコットランド王ジェームズ6世。同年3月「よき女王ベス」として国民敬愛のうちに没したエリザベスのあとを受けて、イングランド王ジェームズ1世となった彼が、戴冠式をあげるためロンドンに向かう途中である。
ジェームズはスコットランド女王メアリ=ステュアートとダーンリー卿の長子であるが、メアリの愛人の子ではないかと噂された。
イングランド王室とスコットランド王室は姻戚関係にあり、メアリの父ジェームズ5世はエリザベスの従兄にあたる。その関係から、エリザベスは後継にジェームズを指名して亡くなった。皮肉にもジェームズは自分の母親を処刑したエリザベスの後を継ぐことになったわけである。こうしてスチュアート朝が誕生し、イングランドとスコットランドは同君連合となった。
イングランド王室とスコットランド王室は姻戚関係にあり、メアリの父ジェームズ5世はエリザベスの従兄にあたる。その関係から、エリザベスは後継にジェームズを指名して亡くなった。皮肉にもジェームズは自分の母親を処刑したエリザベスの後を継ぐことになったわけである。こうしてスチュアート朝が誕生し、イングランドとスコットランドは同君連合となった。
イングランドはすでに16世紀以来アイルランドと同君連合となっていたので、ジェームズ=ステュアートのもとで、歴史上初めてイングランドとスコットランドとアイルランドは、同君連合の形で統合されることとなった。ジェームズ1世治世当時の人口は、イングランドは411万、スコットランド80万、ウェールズ29万、アイルランド140万、合計は一挙に660万となり、キリスト教世界でも有数の国家となった。
イングランド王となったが、ジェームズ1世はイングランドにとっては外国人である。ロンドンに向かう一行がニューアークに着いた時のこと、1人の現行犯のスリが捕まった。すると王は裁判にも付せずに、いきなり命令を下して犯人を絞首刑に処した。イングランドではスリは王が裁く対象ではなく、法が裁く対象である。この事件は、王がこれから統治すべきイングランドの法についていかに無知であるかを暴露したもので、イングランド人に不快と不安の念を与えた。
『自由な君主国の真の法』表紙
ジェームズ1世は教養もあり、みずから『自由な君主国の真の法』を著し、王権神授説を理論づけるような論客でもあった。しかし、「自由なる君主国」とは要するに、その欲するところを自由になしるう君主国という意味で、「王は議会のなんらの助言なく、日々法律や勅令を制定することができる」と主張した。議会演説では「王は地上において神にも類する権力を行使しているのだから神と呼ばれてもよい」とか「王は生殺与奪の権・臣民を形成し廃棄する取捨の権を有していて、神に対してしか責任を負わない」と繰り返し、たちまち議会や国民と衝突した。
あまりに自己の権威に固執し、独断が多かったことから、イングランドの人々は彼を「キリスト教世界一の賢明な愚人」と呼んだ。
あまりに自己の権威に固執し、独断が多かったことから、イングランドの人々は彼を「キリスト教世界一の賢明な愚人」と呼んだ。
ジェームズ1世は宗教問題でも、国民と衝突した。イングランドでは、ヘンリ8世からエリザベス1世にかけて、国教会が国家宗教として公認されたが、なおそれに反対するカトリック教徒やピューリタン(カルヴァン派新教徒)も決して少なくなかった。ジェームズ1世は自己の政治理念から国教会を強化しようとして、他の2派を弾圧したため、しばしば国民の不満を招いた。
1620年9月、ジェームズ1世の迫害から逃れるため、ピューリタンなど102名を乗せたメイフラワー号がイングランドのプリマス港を出港した。彼らはアメリカのヴァージニア植民を目指したが、65日間の航海の末、ヴァージニアのかなり北方のケープ=コッドに到着する。
1620年9月、ジェームズ1世の迫害から逃れるため、ピューリタンなど102名を乗せたメイフラワー号がイングランドのプリマス港を出港した。彼らはアメリカのヴァージニア植民を目指したが、65日間の航海の末、ヴァージニアのかなり北方のケープ=コッドに到着する。
ピルグリム=ファーザーズ
最初の冬は穏やかだったので乗りきったが、次第に病気が広がり、最初の1年間で移住者の約半数が亡くなるという苦労を味わったが、彼らはプリマス植民地を建設し、政治的・宗教的に自立した社会を作り上げていった。
彼らによりアメリカ合衆国の基礎が築かれ、彼らは後に「巡礼者の始祖」の意味でピルグリム=ファーザーズと呼ばれることになった。
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